最終話 コロナ以上の旅路
帰りの東名高速道路上りは、激しい渋滞が発生していた。
旧式のカーナビには表示されなかったが、ハイウェイラジオの放送によると、どうやら交通事故が起こっていたらしい。
前の車が少し動いては停止を繰り返し、その都度ポロのアクセルとブレーキを踏み変える。単調な動作に、さらに睡魔が押し寄せてくるようだった。
「じゃあなんだ、お前は死ぬつもりはなかったのか?」
坂城は、眠気を振り切るように声のボリュームを大きくした。
助手席で身を縮めて小さくなった中嶋は、こくりと頷く。
「死にたいなんて一言も言ってないでしょ」
中嶋はサイズが合わないのか、車に備蓄していたマスクを付け直して、しきりに位置調整をしている。
高速道路に乗るまでは、一日の行動を省みて
「でも、いつもより落ち込んでいただろ。だからてっきり俺は、あのまま海の中に沈んでいくのかと思ったぞ」
「どれぐらいの深さまでいけるか、挑戦していただけだし。そもそも海水浴場で入水自殺なんてありえないって」
きっぱりと返答されると、たしかにその通りだと納得してしまいそうになる。
うーんと唸る坂城に対して中嶋は、肩を落として大きく息を吐いた。
「なんでこういう時だけ、変に気が利くのかなあ」
「そりゃあ心配するさ。当たり前だろ」
「だったら、はじめから心配してよ」
中嶋は苛立ったように言うと、そっぽを向いた。
「自粛期間中、誰にも会えなくて心細かったんだから。それなのにアキは、何度ラインをしても既読スルーばっかりでさ。あの時に相談できていたら、ホストクラブになんて行かなかったよ」
それに、と耳にかけたマスクのゴム紐を弄りながら、言葉を続ける。
「今日はそのことを反省して来てくれたのかな、って思ってたんだけどな。そしたらフードコートでは不機嫌そうにするわ、ふんぞり返ってコロナマウントを取るわで……あれで私の中のなにかが、ぷつんと切れちゃったんだよね」
坂城は、胸の奥に鈍痛を感じていた。
ラインを返さなかったのは、オンラインゲームに熱中するあまりに、通知をオフにして、日常生活を
『今日ひま?』
『おーい』
『生きてる?』
あまりに簡単な、中嶋らしい文面。ここから彼女の心情を推し量ることは、とても無理だった。それに、フードコートでの態度や会話の応酬も、普段の中嶋とのやり取りを考えれば、許容の範囲内だったはずだ。
しかし、そう反論をする気は起こらなかった。
結局のところは、身から出た錆だ。これまでの中嶋との関係性が、偶然にも歯車のように噛み合ってしまったがゆえに、今回のような事態を招いてしまったのだろう。
「ごめんな、気遣ってやれなくて」
また当たり障りのない台詞を吐いているな、と自覚する。
包み隠さずに喋っている中嶋のことを、直視できない。依然変わらず目を逸している自分に、辟易してしまう。
車内には、気まずい空気が漂っていた。
沈黙に耐えられずに、そっと横目で様子を窺う。
中嶋は助手席のサイドウィンドウから、外の景色を眺めていた。薄暗い中で、真っ白なうなじが見え隠れしている。
彼女はそのまま、ぽつりと呟いた。
「いいよ」
静かに顔をこちらに向ける中嶋。
その表情は、マスクに覆われていてわからない。
「抱きしめてくれたから」
それでも、不思議と微笑んでいるように感じ取れた。
「コロナを越えて来てくれたから、いいよ」
坂城は、シフトレバーに載せた左手に、小さな掌が重なるのを感じた。
柔らかく、じんわりと温かい。
「香水の匂いは、海で洗い流されたみたいだな」
坂城は照れ隠しにそう口にすると、手の甲に鋭い痛みが奔った。抓られたのだと、すぐに理解する。
「余計なことは言わなくていいの」
ふん、と鼻を鳴らす中嶋。
はいはい、と坂城は重ね返事をする。
「俺達って、どんな関係なんだろうな」
ふと頭に浮かんだ言葉が、するりと口から出てしまった。彼女を見ると、空いた手でセンターコンソールのボックスを弄っている。
「うーん、そうだね」
中嶋の指先には、紫色のグミが二つあった。
歪な形をしているのは、車内の熱気で溶けたからだろう。一つを彼女が食べて、もう一つは坂城のマスクをずらして、そのまま押し付けようとする。
坂城は観念して、口を開けた。中嶋はグミを摘み入れて、咀嚼する様子を興味深そうに観察している。
そして中嶋は上目遣いで、少し溜めてから囁いた。
「コロナ以上友達未満、かな」
満足げな中嶋に対して、坂城は何度も瞬きをした。
「どういう意味だよ」
「だからコロナ以上、友達未満。前の街コンの彼氏は、コロナで会えなくなって自然消滅したけど、アキはコロナを乗り越えて来てくれたから」
「意味がわかるような、わからないような……」
坂城は首を捻った。
「それで、友達未満っていうのは?」
「大学卒業したばかりの時にさ、私がハン・ハンⅢを買ったら、アキは
不意を突かれたように、坂城は体を跳ねさせた。
「え、そんなことあったか」
「あったあった。初心者の相手なんかしてらンねーよ、って。俺のランクまで上がってくることができたら認めてやるよ、とかほざいててさあ」
「わー、やめろやめろ!」
思わず顔が熱くなる。どうして言った本人が忘れていたことを、しっかり記憶しているんだ、こいつは。
中嶋は冗談っぽく口に手を添えて、高笑いの仕草をしていた。このままでは癪だから、なにか言い返してやることにする。
「じゃあ、もしお前がPCR検査で陽性反応だったら、入院することになったらさ。その時は二週間の隔離で暇だろうから、ハン・ハンⅢやれよ。オンラインだから、離れていても一緒にできるし。俺からも
坂城は、顔を真正面へ戻した。
前の車のブレーキランプは、赤く灯ったままだ。
「それと感染経路もさ、俺が陽性反応だったら、俺からうつされたことにすればいいよ。世間体で見れば、ホストクラブよりはいくらかマシだろ」
他の意味で疑われるかもしれないな、と苦笑しながら付け加える。
「本当?」
坂城の左手に重ねられた掌に、わずかに力が籠もったようだった。
目を逸らしながら、その手を握り返す。
「本当に、本当だよ」
そう口にした瞬間、視界が塞がれた。
何事かと思って身を引くと、中嶋が中腰の姿勢で、運転席に飛び掛かっていた。助手席のシートベルトが彼女の体に引っかかったまま、限界まで伸び切っている。
「アキ、ありがとう!」
「やめろ、苦しい!」
バタバタと藻掻く坂城の抵抗を無視して、その首へと二の腕を絡める中嶋。
「わかったから離れろ、ベタベタするなって!」
「え?」
中嶋は、慌てて体をシートに戻した。肌の感触を確かめるように、彼女自身の腕を擦っている。
「やっぱり海水でベタベタしてるよね、シャワーもなかったし」
「いや俺が言ったのは……」
呆れた風にそう言いかけた時、高速道路の前方で、少しずつ車の列が動き出していた。
両手をハンドルに載せて、体勢を再びドライピングポジションにする。
一度、中嶋を確認すると、相変わらず肌のベタつきを気にしているようだった。
「中嶋は、帰ったらなにをやりたい?」
「決まってるよ」
彼女は、朗らかに答えた。
「お風呂に入りたい」
坂城は、納得したように笑みを零した。
「それがいい」
アクセルを、少しずつ踏み込んでいく。
停滞していた真っ赤なポロは、ゆるやかに走り出した。
―― コロナ以上友達未満 了
コロナ以上友達未満 赤狐 @yumegaato
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