エピローグ.立待月
カサカサ、と城の西側の廊下の壁を黒いシミが移動していた。
一センチに満たない楕円形の黒いシミはワイヤーのような脚が何本も生え、蜘蛛のように垂直の壁を進んでいる。爆ぜる音や獣の遠吠えが遠くでする中を、シミは現在地を確かめるように時々、止まってはスルスルッと脚を動かしている。
蜘蛛なら八つ目がある位置に、かろうじて肉眼で見えるくらいの穴が開いていた。
穴の奥のカメラはあくまでセンサで、潜入に可視光を拾うビデオカメラはもはや使われない。種々のセンサが取得した情報がシミ、〈INSECT〉の送信機を経由し、暗号化された通信がマイクロマシンを送りこんだ人物のもとへ届ける。
すでに送りこまれた大量のマイクロマシンたちのほとんどが、城の防衛システムやキャンディにやられ、あわれにも東塔へ向かった機体たちは、気づかれることなく狼に踏みつぶされるか、魔女の炎に跡形もなく蒸発していた。
運良く戦闘地域から離れ、低下した城の防衛システムをかいくぐった唯一の〈INSECT〉は冷却器特有の周波数を羅針盤に、ひたすら進み続けている。そして運が次の幸運を呼んだ。
『Wizard Computer Room』のメタリックなプレートのオフィスドア。もちろん〈INSECT〉に字は認識できないが、城を揺らす爆発の影響か、わずかに開いた隙間から目的の周波数が漏れ出している。発信源はここだ。
隙間から米粒ほどの機体を滑り込ませ、マイクロマシンがさらに進んでいく。
その進路上にはシャンデリアのように天井からぶら下がった量子コンピュータの演算装置だ。超低温冷却器に収められた豪華絢爛なプロセッサを記号や数字、解読不能な模様がイルミネーションよろしく煌びやかだ。城のシステムが軒並みダウンしたなか、なぜこの部屋だけ電力も魔力も維持できているかはマイクロマシンの知るところではない。小さな機体の目的は目当ての端末を見つけ、情報を盗み取る。テクノロジーが進んだおかげで、デバイスへある程度ちかづければ事足りる。
〈INSECT〉は磨きあげられたタイル床を、奥の管理用メインフレームへ向かって這っていく。着いて、侵入用プログラムを起動すれば、任務遂行だ。
「グシャ」
「思いあがった連中だのう。元祖〈ウィザード〉のデバイスをハックしようとは……千年はやいわい」
高慢な声はシミにも、その送り主にも届かない。
すっと、巨大なブーツが消えると、床には文字通りただの黒いシミが残るだけだ。
「【Signal Lost】……」
割り当てられた半透明のブースに文字が点滅する。
「くそっ……魔女めっ‼」
ブースの主の目はまだ諦めていなかった。
完
歎きの魔女王 †Another Prototype† ウツユリン @lin_utsuyu1992
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