図書室には魔女がいる

冬野瞠

魔女の思い出

 これは僕の、図書室の魔女に関する思い出の話だ。



 高校に入学してまもなくの頃、学校のシステムがどれもこれも友達を前提に構築されていることに、僕はほとほと絶望していた。

 こうして嘆くからには当然だが、僕には友達がいない。一人もいない。中学時代に割合仲の良かった同級生はみんな別の高校に行ってしまって、クラスには最初からなぜかグループが出来上がっていた。そこに一人で突撃できるほどの胆力は僕にはない。

 化学の実験でも、体育のペア組みでも、昼休み中でも、僕はずっとあぶれていた。教師はクラスの誰しもが友人を持っていて、皆が仲良しだとでも思っているのだろうか。どうか少数派にも権利を。そんな心情が届くわけもなかったが。

 季節は初夏にさしかかっていた。昼食を食べる場所を探して、僕は校舎内をとぼとぼと逍遙しょうようしていた。晴れていたら外で食べるのに最高の季節だが、外は生憎の雨模様である。

 ぼっちにとって雨は死活問題だ。屋外で一人で弁当を食べるのはまだいい、人目があまり気にならないから。屋内から出られないとなると誰もいない特別教室を探すしかないが、既に先客がいることが往々にしてある。知らない人が複数いるところへ割りこんでいく勇気、そんな持ち合わせがあったらそもそも友達に困っていない。

 どうしようもない時は教室で食べる。それには大変苦痛を伴う。あいつ、また一人で食べてるよ。友達いないのかな? そんなひそひそ声が聞こえる気がするし、笑いが起こると己が嘲笑されている気分になる。まあ友達は確かにいない。たいていは被害妄想で自意識過剰なだけだろうけど、自分が思っているほど他人は見てない、と開き直るほど心臓が強くないのだ。

 最近は食事でも映画でもキャンプでも何でも一人でやる人が増えているそうで、僕のもソロランチと言えば聞こえはいいかもしれない。でも僕は別に一人が好きなのではなく、やむを得ず単独行動をしているだけなので、ぼっち飯と言った方が現状を正しく表現している。

 その日は旧棟まで足を伸ばして、寂れた空き教室で昼飯を食べた。そそくさと新棟に戻ってきて、教室に戻ってもやることもないしどうするかな、と思ったところで図書室の前を通りがかった。

 僕はまだ、高校の図書室を利用したことがなかった。本を読む習慣もなかったし、ある怪しげな噂があって、なんとなく寄り付きづらかったからだ。

 まあでも、暇潰し程度にはなるかと思い直し、木製のドアをくぐる。

 昼休みの図書室は閑散としていた。棚にも机にも人っ子一人いない。貸し出しカウンターにすら人影がない。それでいいのか、うちの図書室。

 僕は拍子抜けしていた。噂――というか、眉唾ものの都市伝説――の気配も何もなかったからだ。

 この高校の図書室には、文字を食べて永久に生き続ける魔女が住んでいる。

 それが生徒間に伝わる噂だ。悲しいかな僕は友達が皆無なので、盗み聞きでしか内容を知らない。そのような都市伝説が生まれるからには、よほど由緒あるおどろおどろしい図書室なのかと思っていたが、近年改築されたばかりらしい図書室は明るく開放的な雰囲気で、民間伝承が入りこむ隙間など微塵もなさそうに見える。置いてある本のラインナップも近代的で、漫画やライトノベルまで置いてあった。

 僕が漫画を二冊ほど流し読みするあいだにも、誰も図書室を訪れることはなかった。そろそろクラスへ戻ろうかときびすを返して、そこでびっくりする。無人だったカウンターに人が出現していた。

 気配も音も、何も感じなかったのに。その人物を遠巻きに観察してみる。俯きがちにハードカバーのページを手繰たぐっているのは、生徒ではなく大人の女性だ。図書室の先生だろうか。赤みがかった長髪は先にいくほど緩やかにウェーブしており、丸い形の眼鏡をかけているようだ。

 そろりそろりとドアに近づき、女性との距離が一番狭まったタイミングで。


「何か借りる?」


 唐突に話しかけられたものだから飛び上がりそうになる。木管楽器のような、落ち着いた声質だ。彼女は思ったより若そうで、二十歳そこそこといったところ。色素が薄い不思議な色の瞳でこちらを見据えていた。

 僕はなぜか、急激に緊張するのを自覚した。二、三度唇をぱくぱくと動かして、


「図書室の魔女ですか」


 その問いは意図せず、僕の口からこぼれ出ていた。まるで、誰かに言わされたみたいに。

 相手は驚くでもなく、ほのかな微笑を崩さない。


「それって、私が文字を食べて生きてる不老不死の魔女か、ってこと?」

「は、はい」

「ふふ、そんなわけないでしょう」


 一笑に付されて、僕はなんだかほっとした。そうだよな、そんなファンタジーなことが現実にあるわけない。でも、


「私でも死ぬ時は死ぬかな。不老であっても不死ではないから」


 ついでのように付け足された言葉に、僕の全身はいよいよ硬直した。

 魔女。この人が、魔女。

 噂は本当だったのか。

 口の中が乾く。相手はこちらをじっと見つめている。僕はどうしたらいい? 一目散に逃げるべきなのか?


「あの……文字を食べるって、どうやるんですか」


 え?、と彼女が目をしばたかせ、え?、と自分でも思う。さっきから何を訊いてるんだ、僕の口は?

 魔女という名を肯定した女性は、ふっと口元をほころばせた。


「ふむ。君はどうやら、深層心理で文字を食べて生きていきたいと思っているようだね。文字を食べるというのは情報を糧にするという意味だけれど、そんなに難しくはないよ。努力すれば君にもできる」


 そこで細く白い指がぱちんと音をならす。いつの間にか、カウンターの上に使い古したノートが現れていた。手品なのか、魔法というやつなのか。圧倒される僕に、魔女は印刷がかすれたノートを差し出す。


「この中に、呪術に必要な本のリストが書かれている。呪術と言っても、危険な代物ではないから安心して。リストの通りに図書室にある本を読んでいけば、自分に不老不死のまじないをかけることができるんだ。ちなみに、リストには千冊ある」

「千冊!?」


 素っ頓狂な僕の声が部屋中に響く。

 おそるおそる、ノートを開いてリストを見てみた。郷土資料めいたタイトルもあれば、普通に有名な小説もある。これを読むのか……いや、僕はどうしてやる気になっているんだ?

 でも、と改めて考えてみる。不老不死はともかく、文字を食べて生きていけるのは魅力的かもしれないな。昼食をどこで食べるのか、悩む必要がなくなるのだから。


「幸運を祈るよ」


 魔女はばちんとウィンクしてみせた。



 最高に後ろ向きな経緯で始めた読書だったが、僕は呪術そっちのけで本にのめり込んだ。郷土資料を読むのは確かに骨が折れたけれど、小説は体験したことのない世界が豊かな語彙で描写されており、わくわくと胸が躍った。テレビや動画と違って、自分のペースで進められるのもいい。文章を読むスピードも徐々に上がっていった。

 何より、物語の世界にいる間は、他人の目が気にならなかった。自分は一人ではなかったからだ。本が一緒にいてくれた。本と共に、僕はいつでもどこへでも行けた。

 学年が上がってクラスが変わると、僕にも少ないながら友達ができた。読書はやめなかったが、卒業までに千冊のノルマを達成することはできなかった。図書室の本は生徒しか借りられないから、僕の不老不死チャレンジは失敗ということになる。

 高校を卒業してからもう幾年も過ぎ、全てのことはどんどん遠ざかるばかりだ。あのひとが魔女だったのかどうか、真実を知るすべは多くない。真相を暴くことも手を尽くせばできるだろうが、僕は不可思議かつ、じんわり心が暖まる思い出として、この記憶を胸にしまっておきたい。

 もしかしたら彼女は、僕がいつも一人でいることを知っていたのかもしれない。その上で、一人でいたっていいんだと、読書を勧める形で伝えてくれていたのかもしれない。

 たまに母校の近くを車で通りがかる時、いつも僕はひとつの想像をしてみる。落ち着いた雰囲気の図書室で、魔女と名乗った彼女が分厚い本を静かに読んでいる姿。

 その想像は、今でも僕の心を少し、上向きにさせてくれる。

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