天晴れ!女房 🌞

上月くるを

天晴れ!女房





 あのころのおれは、どうかしていたのだ。


 時代の追い風もあったのだろう、女房とふたり、電話1台で始めた情報誌が思いがけなく軌道に乗り、40人まで膨れ上がった社員からは社長、外部からは文化人と呼ばれることに馴れきり、家業は女房任せで夜の街を遊び歩くようになった。


 子育て、家事、地域の役員から雪かき、堰浚いまで、日常のことごとくを当然のごとく女房にやらせ、子どもが風邪をひいても熱を出しても締切仕事を丸投げし、まだ日も高いうちから飲み屋街へ繰り出した。そのうえ、興が乗って来ると酒好きの社員を呼びつけるので、彼らがやり残した仕事も女房が背負うことになった。


 母親のデスクの下でおとなしく人形遊びやままごとをしていた子どもらを未満児から保育園に入れ、雑誌に付きものの広告営業までやらせたのは、下手な社員よりあたりのやわらかい女房のほうが企業や商店の経営者に気に入られるからだった。


 エアコンの利かないポンコツ車で真夏の外まわりをさせておきながら、てめえは様子のいい事務員と涼しい室内で茶を飲みながら雑談に興じていた。しかも、そのうちの何人かとはプライベートな関係にまで発展させたのだから、現代風に言えばダメンズというのだろうか、われながら、どうしようもないクズ野郎だった。

 

      *

 

 なのに、事態がこうなったとき最強の味方になってくれたのはその女房だった。

 倒産寸前で辛うじて解散させた会社と、伝手をたどって再就職先を斡旋したとはいえ苦労をかけたスタッフへの自責の念で身心バランスを崩したおれに「あなたが精いっぱい尽力したこと、わたしが一番よく知っているわ。個人にはどうしようもないことがあるのね。すっぱり諦めて出直しましょう」と言葉を尽くしてくれた。


 女房は有頂天になっていたおれを責めることはいっさいなかった。それどころか「おかげで一般の女性には望めないことをたくさん経験させてもらったわ」と感謝さえしてくれた。そのときになって初めて、おれには出来過ぎた女房だったことに気づいたのだから、まったくもって、どうしようもないクズ野郎である。

 

 きわめて順調だった経営の歯車が軋み出したのは、いうところの時代の流れ……すなわち同業者との競合やフリーペーパーの出現による広告収入の激減が主な因ということになってはいたが、だれよりもおれ自身が本当の理由を知っていた。

 このおれに経営者としての能力と自覚が足りなかったことが最大の原因なのだ。


 その冷厳な事実が、傲岸不遜を絵に描いたように鼻持ちならなかったおれの平衡感覚を破壊した。女房がネットで探して来た心療内科医によれば、男にも更年期があるそうで、会社を閉じた衝撃がその年齢のホルモンバランスを直撃したらしい。


 はっきり言って女房からすれば「冗談じゃない、わたしが病気になりたいわ」と言いたいところだろうが、愚痴ひとつこぼさないどころか「長いこと働いて来たんだからしばらく休めということよね。大丈夫、任せときなさいって!」気風のいい啖呵をきると、さっそくハローワークへ出かけて行き、生まれてこの方一度も足を踏み入れたことがない、パチンコ店の早朝清掃というレアな仕事を見つけて来た。

 

      *

 

 かたや、おれはといえば、なまじ地域で顔を知られているだけに街も出歩けず(実際はそんなことはなかったのだろうが、持ち前の自意識過剰ってえやつで)、見かねた友人にお茶に誘ってもらっても、なるべく目立たない隅の席を選んだ。

 

 ――名刺なき手持ち無沙汰やソーダ水

 

 これまた女房の勧めで始めた俳句にすら憂さのはけ口を求めたのだから、「過去は過去、未来は未来」と潔い女房にくらべ、未練たらたらもいいところである。


 それにしても、こうなってみてつくづく思うのであるが、たいていの男がことに大事にしたがる面子めんつというものを、女はハナから持ち合わせていないらしい。


 友人が初対面の人に紹介してくれても、代表取締役社長を初め行政や文化団体の委員や理事の肩書をずらずら並べていた名刺を出せないおれは、それだけで大いに凹んだが、専務取締役兼編集長だった女房は、ぽんと遠くへ放り投げたように名刺のことなど忘れ去り、一介の掃除のオバサンになりきって生き生きと働いていた。

 

 ――同窓会居場所のありや草いきれ

 

 晩夏、これまた未練たらたらの句をちらりと見た女房はなにも言わなかったが、口もとまで出かかっている気持ちは、ジンジンと熱いほどこちらに伝わって来た。

 いつまでも過去にしがみついていないで、一から出直せばいいじゃないの、と。

 

      *

 

 こうしていくつかの季節が通り過ぎ、友人の紹介で地元紙やチラシのDTPなどをフリーで請け負いながら、相も変わらず男の更年期兼自律神経失調症の治療を継続しているおれにも、芝居の幕のような転変から3年目の春が訪れようとしていた。


 そんなおれをよそに、首都圏に住む子どもたちやその家族とオンラインで頻繁に交流している女房は、元スタッフや近所の主婦たちと喫茶店で他愛ないおしゃべりに興じているらしいし、清掃バイトに頼まれ仕事、ボランティアにと忙しそうだ。


      *


 その徹底したポジティブ指向の影響か、最近、おれの句風に変化が生じて来た。

 

 ――犬の尾に満ちるちからや春隣

 

 こういう句が自然に出て来ると、不思議なもので、これまで鳴かず飛ばずだった句誌での扱いも変わって来て、先月号では初めて、巻頭のつぎのつぎの選に入った(句歴ン十年の先輩会員が千余人もいる新人には、これでも破格の待遇である)。

 同時に全国紙の俳壇でも入選がつづくようになり、うち三度は特選を獲得した。


 肩ひじ張らなくても自然に句が詠めるようになると、他の文芸ジャンル、たとえば詩とか小説とかエッセイなどにも興味が湧いて来て、少しずつ書き溜めている。


 それもこれも、すべてオトコマエな女房のおかげであることを思うと、ますます頭が上がらないおれであるが、リードする側とされる側がそっくり逆転したような今のポジションが至って心地よく感じられるのは、いったいどうしたことだろう。


 おい、おまえ、男の面子はどこへ行った? 

 朝に夕に、自問自答の今日この頃である。

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