ミスター・ソロホームランの苦悩

RAY

ミスター・ソロホームランの苦悩


 快音とともに白球が夜空に舞い上がった。

 打球の行方を一瞥いちべつした 山田やまだ 次郎じろうは一塁ベースの方へ足を踏み出す。打った瞬間の手応えからホームランであることを確信していた。

 同点で迎えた八回裏、山田の一振りでライトリーズは一点のリードを奪う。まさに値千金の一発。ベンチで出迎える仲間にエアタッチをしてスタンドへ一礼をすると、ファンから惜しみない拍手と声援が送られる。本拠地メトロポリタンスタジアムはその日一番の盛り上がりを見せた。

 山田は二十四歳のプロ野球選手。川崎ライトリーズに入団して三年目になる。打率は二割五分そこそこながら、一年目十二本、二年目十五本と二桁のホームランを放ち、長打力が買われて七番ライトのレギュラーに抜擢された。

 この日のホームランは今シーズン十本目。七月上旬であることを考えれば二十本の大台も夢ではなく、山田はプロ野球選手として着実に成長を遂げていた。


 そんな順風満帆に見える山田だったが、ある悩みを抱えていた。

 それは、これまで放った三十七本のホームランがすべてソロホームランであること。最初は偶然かと思っていたが、打撃フォームをビデオでチェックしていたとき、それが偶然ではないことに気付く。ランナーがいるときといないときとでフォームが明らかに違っていた。ランナーがいるときは、バットをボールに当てにいくような、こじんまりとしたスイングになっており、普段の豪快な振りが鳴りを潜めている。

 原因が特定されたことで、今シーズンはランナーのいる場面では豪快なスイングを心掛けた――が、これまでのホームランはすべてソロ。ランナーがいる場面でホームランは出ていない。ビデオで確認したところ、ランナーがいるときのフォームがどこかぎこちない。豪快というより闇雲に振り回しているように見える。

 普段のスイングを心掛ければこじんまりとしたものとなり、豪快なスイングを意識するとバランスが崩れる。山田はどうしていいのかわからなかった。


★★


 そんなある日、友人の里中さとなか 正道まさみちから電話が掛かってきた。里中は高校・大学と七年間同じ釜の飯を食い苦楽を共にしたライバルであり親友。現在は父親が経営する会社に就職して帝王学を学んでいる。


「お前ケガでもしてるの? テレビで見てたけど打撃フォームが無茶苦茶じゃん」


 里中の言葉を聞いた瞬間、山田はフッと息を吐き出すように笑った。里中には隠し事はできないと思ったから。


「里中、聞いてもらいたいことがあるんだ」


 山田は、誰にも心の奥に秘めてきた思いを里中に吐露した。恥ずかしい気持ちはあったが、親友を信じて洗いざらい打ち明けた。

 そんな山田の言葉を里中は黙って聞いていた。普段は泣き言など口にしない山田だけに、彼がどれほど追い詰められているのか、痛いほど理解できた。


「それは内面の問題だな。高校のときからそうだったけど、いつもお前は自分よりも他人のことを優先するんだよ」


 山田の説明が終わった瞬間、満を持したように受話器の向こうから里中の明るい声が聞こえた。


「他人のことを?」


「ああ、そうだ。ランナーがいるとき、お前はチャンスを広げることばかり考える。自分のせいで良い流れが断ち切れることを何とか避けようとする。その結果がヒット狙い。違うか?」


 里中の言葉に、山田は目から鱗が落ちたような気がした。言われてみれば、確かに思い当たる節がある。

 高校のときは甲子園で準優勝し、大学では全日本選手権で優勝した。山田の後ろにはいつも里中がいた。最も信頼できる男が後ろに控えていることで、つなぐことが最良の結果を生むと考えた。プロになった今でもそんな考えが抜けきらないのだろう。


「たぶん里中の言うとおりだと思う……。でも、どうすればいい? 僕に何ができる? 教えてくれ、里中!」


 山田が声を荒らげる。ポーカーフェイスの彼が感情を表に出すのは珍しい。溜め込んでいたものを吐き出したことで、心のタガが外れたのかもしれない。


「知り合いに心理療法に長けた医者がいる。一度彼女に会ってみないか? うちの会社の従業員も何人か世話になってる。薬の類いは使わないからドーピングの問題もない。お前にとってマイナスの要素はないと思うけど」


 里中の言葉はストンと腹落ちした。その提案が魅力的なものだったことに加え、その言葉には説得力があった。もともと里中には十二分の信頼を置いていたが、このときほど彼のことを頼もしいと思ったことはなかった。


「ありがとう。ぜひお願いするよ」


 山田は里中の提案を二つ返事で了承した。


★★★


 次の日、山田の携帯に里中からのメールが着信する。そこには、里中が言っていた、心理療法の医師の名前、住所、連絡先などがあった。加えて「話は通しておいたから都合の良いときに連絡してくれ」といったメッセージが書かれていた。

 医者の名前は 夏川なつかわ・ソフィア・美優みゆ。イギリス人と日本人のハーフで才色兼備の三十二歳。日本語は日常会話であれば問題なく話せるとのこと。

 山田は美優のクリニックへ電話をすると、オールスター戦の週に診療の予約を入れた。


「暗示療法を試してみましょう」


 診療所を訪れた山田に、美優が口角をあげて笑いながらウンウンと首を縦に振る。大きな、青い瞳がジッと見つめている。隣りには通訳を兼ねた看護師がついているが、出番はほとんどない。

 山田は間接照明のみの薄暗い部屋に案内された。甘美なアロマの香りが漂い、静寂に包まれている。銀座の真ん中とはとても思えなかった。


「では、このヘッドフォンをつけてベッドに横になってください。できるだけリラックスしてください。三十分ほどで迎えに来ます。Have a good time!」


 そんな言葉を残して美優は部屋を後にする。

 山田は言われたとおりにヘッドホンを付けると静かにベッドに横になった。アロマの香りがさっきより強くなった気がした。

 目を瞑ると、静かな音楽に混じって、小さな子供の声が聞こえてきた。複数の女の子が何かを囁いている。最初は英語かと思ったが、耳をそばだててみると、それは日本語だった。まるで歌うようにリズミカルに言葉を紡いでいる。


『ランナーなんかいないから。いるよな気がするだけだから。だから思い切り打って。狙いはひとつホームラン。大きな大きな幸せが。みんなの元へと降り注ぐ。それをやるのはあなたの役目。山田次郎の役目なの――』


 軽やかなフレーズが繰り返し山田の耳元で囁かれる。厳密に言えば、繰り返しではなく、強弱が付けられ、時折笑い声や泣き声が入ったりした。ただ、心地良いことに変わりはなかった。アロマの香りも手伝い、いつしか彼は深い眠りに落ちていた。


 三十分後、山田は美優に起こされる。眠っていたのは三十分にも満たない時間であるのに数時間グッスリ眠ったような感じがした。それほど気分は爽快だった。


「これで治療は終わりです。私は野球のことはよくわかりませんが、ランナーを置いてバッターボックスに入るとき、アロマの匂いを嗅いでください。そうすれば、あなたはがんばれます。Good Luck!」


 美優は小さくウインクをすると、山田にピンク色のアロマが入った小瓶を渡す。

 あまりにもあっさりした治療に拍子抜けしながら、山田はクリニックを後にした。


★★★★


 後半戦の初戦、ライトリーズは本拠地で宿敵・東京タイタンズを迎え撃つ。

 八回裏一死一塁。得点は五対四とタイタンズ一点のリード。劣勢ながら一発が出れば逆転の場面。ここで登場するのは七番ライト山田。

 ベンチ裏でアロマの小瓶を開けると、あのときと同じ甘美な匂いが鼻を衝く。同時に、どこからか小気味よい、女の子の声が聞こえてきた。


『やってやる。ホームランを打ってやる』


 心の中で自分を鼓舞しながら山田はバッターボックスに入る。


『ランナーなんかいないから。いるよな気がするだけだから――』


 頭の中では、女の子の声がキズのついたCDのように繰り返し流れている。

 ピッチャーの足が上がり、山田に第一球が投じられた。


「ランナーなんかいないから。いるよな気がするだけだから」


 まるでバッティングのリズムを取るように小さく口ずさみながら、山田はバットを振った。それはランナーがいないときに彼が見せる、豪快なスイングだった。


 鈍い音を残して打球がライト方向に高く舞い上がる。ただ、スタンドまで届くかどうかは微妙だった。手の痺れから山田もそれは認識していた。ライトが打球を見ながら少しずつ後退していく。


『入れ! 入ってくれ!』


 山田は心の中で必死に叫びながら全力で走った。

 ライトが背中をフェンスに付けてジャンピングキャッチを試みる。


「いけー!!!」


 思わず声が出た。その声が後押しするように白球がスタンドに吸い込まれて行く。割れんばかりの大歓声が球場を包み込む。

 両手で大きくガッツポーズを取った山田は、声にならない声をあげながら二塁ベースを回る。その顔には清々しさが溢れている。


『里中、ありがとう』

 

 親友に心から感謝した。

 涙が出そうなのをグッと我慢した。


 しかし、次の瞬間、思わぬ光景を目の当たりにする。

 何と三塁審判が右手を高々とあげてアウトを宣告していた。


 山田は何が起きたのか理解できず、狐につままれたような顔をする。

 戸惑いながらベンチへ視線を送ると、そこにも予想外の光景があった。監督が額に手を当ててしきりに首を横に振っている。コーチと選手は口をポカンと開けて虚ろな眼差しを浮かべている。


「おい、山田」


 二・三塁間に立ち尽くす山田の背中から声が聞こえた。

 振り返った山田の目に一人の選手の姿が映る。その瞬間、彼は理解した――自分が一塁走者を追い抜いていたことを。そして、起死回生の一発は取り消され、記録上、アウトとなることを。


『ランナーなんかいないから。いるよな気がするだけだから』


 頭の中では、相変わらず女の子の声が聞こえている。

 あの医師が野球のルールを知らないと言うのは、どうやら事実のようだ。



 RAY






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