0日目:2人の出会い

 目を覚ます。見慣れた天井、変わらぬ風景、カーテンの隙間から挿す陽光、響き渡るアラーム。そこまで認識した私は遅いくる眠気を跳ね除けて体を起こす。カーテンを開けて洗面所で顔を洗い、一階へ降りる。リビングでは母親が朝食の準備をしている。


「おはよう……」


「おはようナタリー」


「おはようナタリー」


 両親と挨拶を交わして、机に出されたトーストを食べて歯を磨く。自分の部屋に戻って着替えを済まし、玄関を出る。


 もう通いだしてから丸1年経った通学路を歩く足取りはひどく重いものだった。それもそうだ、私は所謂イジメというものに遭っているからね。なにが原因なのかそもそも原因なんてあるのか分からないけど彼女たちは私を攻撃することをやめない。


 いつしか、抵抗しようとか復習しようとかそういった事を考えることをやめた。どうせ無駄だから黙って時間が過ぎるのを待つしかない。


 いつも通りの時間に校門を抜けて教室へと入る。ふと視界には見慣れない女の子が目に入る。すらっとした手足に顎のラインで切りそろえられた黒髪、気怠げに欠伸をするその顔はかっこよさと可愛さを兼ね備えている。2年になってから親の事情だかで引っ越してきた秋さんだ。


 彼女の方をぼーっと見ていると私の視線に気づく。


「なに?なんかついてる?」


 無愛想に聞くその様子から転校から1週間経った今でも中のいい人がいない理由が見て取れる。私は、小さく「なんでもないの」といって席に着く。あぁ、また始まる。またこの苦痛の時間が。


 昼休み、ご飯を食べることなく屋上に呼び出される。これももういつものことだ。その日の気分によってされることは様々で、真夏なのに防寒着を着せられたまま昼休みの間放置されたり時にはお腹や足を蹴られたり殴られたりもする。


 いじめっ子のリーダー格の女の子が、いつも通りニヤニヤしながら何やらホースを持っている。今日は水か……お母さんに隠すの大変だな。なんてことを思っていると彼女が口を開く。


「はぁい!今日はぁ、優しいので水分補給をさせてあげようと思いまーす!」


 なんて言って彼女の後ろにいた2人の女の子が私の腕を押さえ、もう1人は私の口を開かせる。ホースを持った彼女は屋上に取り付けられた蛇口にホースをつけると片腕が空いた取り巻きに持たせる。


「さーん、にー、いーち、ぜろー!」


 元気のいい掛け声と共に蛇口をひねる。無理矢理開かれた口に向かってホースから大量の水が注ぎ込まれる。


「あばばば……!んー!グエッ……ゲホッゲホッ!」


 一瞬に大量の水を送り、止めて、また沢山水を飲ませる。とても苦しい。涙が出てくる。あぁ、なんだこの日常。


「キャハハハハ!ウケる!ちょっと〜せっかく水飲ませてやってんだから無駄にすんなよほら!」


 そう言って目の前にできた水溜りに無理矢理顔を抑えつける。


 そんな事をやってるうちに昼休みが終わる予鈴が鳴る。彼女たち「片付けよろしく〜」と言って屋上を後にする。


 私が片付けを済ませて出入り口に向かうと私たちがいた方とは逆の日陰から誰かが出てくる。秋さんだ。眠そうにあくびをして扉に手をかけると私に気づいたのかこちらを見てくる。


「なにしてんの?」


「あ、えっと別に……?」


「なんで疑問系……まぁいいや」


 そう言って彼女は1人で屋上を出ていく。いたことに全く気づかなかった。日陰で寝てたのかな。確かに、いつも授業ギリギリに教室に入ってくるなぁ。なんて考えながら授業に戻る。


 それからも、細かい嫌がらせなんかを受けながら午後の時間を過ごす。帰りのホームルームで、


「えーと秋。お前数学の小テストの追試があるらしいから後で乃木先生の所へ行くように」


と先生が言っているのを聞いた。昼休みに寝ていた彼女はどうやら勉強は得意ではないようだ。ホームルームが終わって帰路に着く。学校が終わってもどうせまた始まるっていう事を考えるとやはり足取りは重いまま。帰り道の途中、小さな公園があるのでそこのブランコに腰をかけて少し休む。


 なにも考えずにただ座っているとポツリ、ポツリと雨が降ってくる。あぁ、そういえば今日天気予報で夕方から雨って言ってたなぁ。傘、忘れちゃった。このまま打たれてたら嫌な気持ちも洗い流せるかな。なんて考えながらなおもブランコに座っていると公園の入り口を通る赤い傘をさした人影が見える。


 その人影は一度通り過ぎたと思うと引き返してこっちにやってくる。やってきた人の顔を見ると私は「あぁ、今日はよく見るな」なんて思ってた。目の前に立ってるのは秋さんだ。秋さんはブランコに座る私の目の前で止まって声をかけてくる。


「なにしてんの?」


 それは昼休みにかけられた言葉と同じものだった。私がなにも返さずにいると秋さんは呆れたような口調で話してくる。


「びしょ濡れじゃん」


 なおも答えないでいると、ため息を一つついて私に傘を差し出してくる。


「ほらっ」


「え……?でも……」


 私が抗議するよりも早く、彼女は私に傘を押し付けて公園の出口へ向かう。


「待って……」


「私、馬鹿だから風邪ひかないんだわ」


 そう言って彼女は走り去ってしまう。その姿を見てしばらく呆然と立ち尽くす。そして渡された傘をさして家に帰った。


 次の日、彼女は学校を休んだ。私に傘を渡して濡れて帰ったからだろう。また会ったらお礼を言わなきゃ。


 その日も、また普段とは変わらないゴミを煮詰めたものの方がマシだと思えるような1日だった。


 さらに次の日、秋さんは学校に来た。いつも通り遅刻ギリギリで教室に入ると誰とも会話をせずに席に着く。席についた彼女に私はお礼の言葉を述べる。


「あ、あの……一昨日はありがとうございました。傘、持ってきてるんで後で渡します」


 そんな私を見た彼女は、また呆れ顔で声を出す。


「お前さぁ……ま、いいや」


 何かを言おうとしてやめた彼女はそれ以降なにも言ってこなかった。昼休みになり、またいつものように彼女たちの戯れが始まる。今日はなにをされるのかな、なんて思っているといきなり腕を蹴られた。


「ッ……!」


「そんな強く蹴ってないよ〜?」


 彼女たちは代わる代わる私を殴る蹴る。心の中で一つ大きなため息をすると私は耐えるために考えるのをやめようとした、その時。


「あーあーあ。ガッツリ映ってる」


 彼女たちの背後から誰かの声が聞こえる。この声は一昨日私に傘をさしてくれた人物、秋さんだ。彼女たちは焦って振り向いて秋さんの方を見る。秋さんの手にはスマートフォンがこちらに向けられていて、音を出して何かを再生すると私が殴られてる音声が聞こえてくる。秋さんは撮れているのを確認すると彼女たちに画面を見せて口を開く。


「ほら、こんなにガッツリ映ってるよ?」


「ふざけんな!」


 リーダー格の子が秋さんに詰め寄ると秋さんはすごい鋭い目をして彼女を睨む。その目に怯んだ彼女に対して秋さんは口を開く。


「なに……?やるの?あぁ、後、次そいつに手ぇ出したらこっちから行く」


 その気迫に押されたのか彼女たちは慌てて屋上を出る。秋さんは座り込んでる私の方をチラリと見るとなにも言わずに屋上を後にしようとする。私は慌てて秋さんに声をかける。


「あ、あの!」


「なに?」


「どうして助けてくれたの……一昨日も……」


「はぁ?いや、目の前で人が殴られてたら不愉快だし公園で死にそうな目をしながら雨に打たれてる人がいて、それをほっといたら夢見悪いだろ普通」


 彼女は呆れたようにそう告げる。その言葉を聞いて私の心にかかっていたモヤのようなものが少し晴れたような気がした。


「あ、あの……ありがとうございます秋さん」


「ハァ……まず敬語やめろよ。後、恭香でいいよ。えっと、名前なんだっけ」


「わ、わかった。私ナタリー。本当に助けてくれてありがとう」


「いいって、また何かされたら言えよ。その時はこの動画を学校に出すだけだから」


 地獄みたいな日常を彼女が壊してくれた。さらに、次の日からは私のことを気にして話しかけたり、不器用な彼女なりの優しさを見せてくれるようになった。そんな私たちが友達になるのには時間が要らなかった。さらに、その話を聞きつけた子も加えて新しく私には2人も友達ができた。


 私は、彼女を救うためならなんだってする。だって彼女が、恭香が私に当たり前の楽しさを教えてくれたから。

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