黄昏に溶けゆく

 レリアス王立研究院の静かな資料室で、サイは分厚い紙の束へと目を落としていた。

 一人の研究者として、そこに綴られた内容へと集中はすれども、無意識のうちに指は、いとおし気に荒い文字を辿る。

 少しの時も無駄にしたくないとでもいうように踊る筆致は、見たことのあるサイだからこそ、辛うじて判読ができるものだ。読みづらくとも、添えられた素描の腕は見事で、一目で草花の一覧であると理解はできる。

 それは、とある研究家から届けられた、活動の成果をまとめたものだった。

 署名で目を留めたサイの口元に、笑みが浮かんだ。


(アゥトブ……やっぱり、廻るのね)


 内容は、比較的、人の生息圏近辺に生える植物をまとめたものである。気が付けば家屋の周辺に顔を出していたり、畑ならば引っこ抜かれ、道沿いなら気に留められることもない。そんな存在を、わざわざ観測したものだ。

 あえて城に知らせるようなものではないと困惑を見せる者もあったが、サイは、半ば強引に精査を請け負った。


 研究院は、特に、敵の弱点である聖魔素の回収や研究に奔走してきた。設立の経緯が、人類の敵――邪竜への対策のためなのだから当然ではある。

 敵は邪魔素の化身ともいうべき相手だから、多少は邪魔素も調査範囲にあるものの、主な研究対象にはなっていない。過去の幾度かの戦いから、他者への影響を確認されなかったため、目的を敵の弱体に絞ったのだ。

 時間的な猶予は多少あれど、あれもこれもと手を出せるほど人員に余裕があるわけではない。


 邪竜は小山のような巨体で暴れ、多くの者が命を犠牲にし、どうにか退けた。しかし、数十年後の出現時には、自らを模した兵を邪魔素から生み出し戦力を強化した。それも前回以上の犠牲をもって追い返したが、やはり倒せはしなかった。邪魔素に満ちた山頂に逃げただけだ。

 傷を癒すためか、力を溜めるためか。邪竜は、およそ人の一代ほどの年月、山に身を隠すという。邪竜が操ることのできる邪魔素は山の地下に溜められたものだけ、と考えられた根拠だ。

 当然、次があると考えた今代の岩腕族の王は、さらに力を増して戻るだろう邪竜へ備えるために各国へ働きかけ、聖魔素を持つ者を各地から集めた。


 現在、その研究員の一人であるサイは、それだけでは足りないと痛感していた。聖魔素の減りゆく世にあって、敵は力を付けていくというのだ。

 だからこそ、突然に送られてきた、何の意味があるのかと思える見慣れた植物の一覧は、思考の袋小路に入りつつある研究院に叩きつけられた痛烈な批判とも、サイには思えた。

 そこに何が込められているのか、サイには思惑を辿る手がかりはあった。


 観測対象は身近な存在、という意図の下にまとめられてあるのだ。


 これは、行き詰るだろう研究院の行く末に、指針を与える報告だとサイは考えた。

 今回は、間に合わないのかもしれない。

 今回、間に合わなければ、次はあるのかも分からない。

 サイは、故郷を旅立ってからの日々を思い返した。


 ♧


 なだらかな山々の狭間を縫うように進んだ旅の一行は、見上げるほどの石の壁に阻まれ足を止めた。その石の壁には大きな扉がある。先頭に立つ岩腕族の引率者から、国の境を示しているものだとの説明を受けながら、その門をくぐった。

 大森林内で呼ぶところの樹壁を、自力で作ったとでもいうのだろうか。森の民らの口からは信じがたいといった言葉が出たものの、石造りの家が連なる街を歩く内に事実として受け入れざるを得なかった。


 岩腕族が治める、レリアス王国の首都マイセロ。

 当然ながらサイにとっても、理解の及ばぬ街だった。遠くに見える山々も灰色で、大森林のような深い緑はどこにもない。見上げれば、灰に掠れたような青だけ。

 どこまでも空を遮るものはなく、あまりの眩しさにサイは手を目の上に翳しながら、どうにか案内の声を頼りについていく。人の手でここまで成し得るのかと、目の当たりにした技術に始終圧倒された。遮りたかったのは、興奮の陰に抱いた恐れのためでもあったろう。


 一際大きな石造りの家――案内人が王城と呼んだそこから、ほど近い場所がサイら旅の同行者の目的地だった。

 王立研究院。

 こうしてサイは、聖魔素を持つ者が集められるという組織の研究員として、正式に所属することとなった。


 そこには、すでに探究心を持った研究者達が集っていた。アゥトブのような者が一つ所に居るのも不思議ではあったが、周囲の扱いも、変人だと困っているような雰囲気はない。彼らの情熱が、アゥトブのものとは似て非なるところが大きいのだろう。

 研究員としてではなく雑務をこなすために雇われた者も多いのだが、共通する国の為といった大義が岩腕族の彼らを支えているようだった。

 何よりサイが驚いたのは、研究員の多くが、森葉族でいうところの長老のような身分だということだった。


(さすがに、長老に変人だとか言えないもんね……)


 岩腕族には森葉族よりも多くの階級が存在し、各階級の長に属する者は、多くの知識を得る貴い立場ということで貴族と呼ばれているらしかった。さらにはその長老や、彼らの家族にも階級があるとのことで、サイは研究以前に学ばねばならないだろうことの多さに眩暈を覚えた。

 それはともあれ、彼らの本心は別として、サイら研究員が妙なことを調べ回るからといって不当に扱われる理由はないということだ。

 どちらかと言えば、招いたとはいえ他国の他人種であるサイらの扱いに迷っている節があった。

 自ら出向いた以上、サイに自身の流儀を認めるよう主張する気は微塵もない。そこはサイの方からも意見を仰いだり、時には失敗から学びつつ次第に馴染んでいった。


 サイは必死に様々なことを学んだ。そこには、多くの部外秘となるものも含まれていた。邪竜討伐の道を探るには、隠し立てしている場合でもないのだろう。

 もともと故郷を捨てる覚悟ではあった。しかし真の歴史の流れを知って、ようやく、もう郷里に戻る道はないのだと、本当の意味で理解した。

 たとえば、サイが故郷を出る際に告げられた邪竜が現れる予兆とは、地鳴りがあるということだった。告げた岩腕族の男は信じていたが、必ずしも真実ではない。あの言い方では間もないのだと、サイは深刻に捉えた。事実は、まだ先の話だった。

 しかし全くの嘘でもない。確かに、時に大地の鳴動はあるためだ。だが、邪竜の出現時には、頻繁に起こるという。

 その誤認を誘うことによって危機を煽り、レリアス王国は――人を攫うような真似をして回っていたのだ。

 それだけレリアス王は危惧しているということでもあった。

 そこまでの策を弄し、そして大森林での暮らしからは想像もできない、これだけのことを成せる技術力がありながら、目的を果たす手がかりさえ掴むには遠いことも知った。

 サイは、複雑な感情を握りつぶして、この場に踏みとどまっている。

 希望を、焦燥が上回りつつあった。


 そんな風に、文化の違いなどに苦心しつつも、サイが腰を落ち着けた頃。分厚い書類が、アゥトブの名と共に届けられたのだった。


 ♧


 胸のつかえを取り除こうとするように、サイは一つ息を押し出した。


 世の中に研究所などと称する組織は、この国、この場所しかない。幾ら重要な問題を調査するためとはいえ、食べることに直接には関係ない。国の補助がなければ、生活できはしない。サイも調査のために各地へ出向いたが、やはり同様の存在はなかった。

 アゥトブは、天然ものだ。

 唯一と言ってもよい存在は研究員らの興味を引くようで、自然とその活動についての噂は耳に届いていた。その噂は、各地の住民から奇行として語られたものだったが、そこは仮にも同じ研究員らには別の意味で伝わっている。都度、彼の独自の調査について想像を働かせていたのだ。

 ところが、とうとう噂の当人がレリアスへと訪れ寄越したのは、まるで意図の掴めないものだった。別の視点から得られるものがあるかと、期待を寄せていた者達は困惑した。

 それだけ行き詰まりつつある彼らの中に、現状を打開する「即、役に立つ何か」を欲する期待が強かったためだ。


(いいえ。アゥトブは、無駄なことなんかしない)


 そう考えたサイは、アゥトブの報告書から得られた事柄を会議にて発表した。

 簡単に言えば、「邪質の魔素を多く含む植物の報告」でしかない。

 しかし、「長い時をかけて変異したもの」という共通点があった。

 そこまで話せば、研究員らはサイと同じ点に気が付いた。

 邪竜が現れてからの、邪魔素の動きだ。


 会議は紛糾した。これまで判明しているように、直接的な関連があるとは考えられなかったが、無視できる内容ではない。聖魔素の研究が第一だとしても、手を割くべきだろうというわけで、アゥトブへ協力を取り付けようという意見では一致したが、他国の人間だ。勧誘するにしろ、城へ報告し許可を得る必要がある。

 研究院からの報告を、レリアス王も重要だと考えたのだろうか。すぐに使者を送ることが決まった。


 自らの手順に拘るアゥトブだ。他人との共同作業を好まない。時を経たからと、その点が変わったなど、到底サイには思えなかった。

 しかし城からの使者がどう説得したものか、手を組むことにアゥトブは頷いたという。よく聞けば、研究院で他の研究員らと共に働くことを承諾したわけではなかったが、協力する気があるというだけでサイには驚きだった。


 当のアゥトブは、マイセロの街外れにある空き家屋を借りて、しばらくの拠点としたようだった。

 しかし彼が研究院を訪ねることはなく、専ら使者が赴いて話し合った。サイも書類を挟んでではあったが、今後の調査先の選定などに意見を重ね、邪竜にまつわる邪質の魔素が流れる地脈を探ることになった。研究院始まって以来の大規模な調査で、少人数に分けた隊を方々へと派遣する。

 奇しくも、その調査へと、サイとアゥトブは共に参加することが決まった。




 調査へ旅立つ日になって初めて、サイは街はずれの家屋へと足を踏み入れていた。

 背を向けて立つ男の姿を認め、サイは目を眇める。

 すっかり成長していたが、斜に構える立ち方や無精に伸ばした艶のない金の髪は、記憶の中の姿に重なった。

 振り返ったアゥトブには、なんの動揺も見られない。緑柱石色の瞳の輝きは、人を射抜くほどに鋭さを増したようだった。


「君も、物好きなものだな」


 呆れた物言いではあったが、どこか懐かしむようでもあった。

 サイは信じ難いというように、わずかに目を見開く。あのアゥトブが、自分と同じ気持ちを抱くのだろうかと。

 大人になり、世を知り、彼も丸くなったということだろうか。

 それは互いにだった。


「肌に合ってたのよ」


 サイも、そんなアゥトブへ苦笑で返す。

 以前のように真っ直ぐな笑顔など、咄嗟に浮かべられはしない。皮肉な態度は、研究院で別の価値観に苦心する内に癖になってしまったものだ。

 その気だるげな態度に何を思ったとて、アゥトブが口を挟むことはない。


 アゥトブは無理に視線を背けることもなく、自然に雑談を交わす。

 サイも、積極的に外での活動を続けてきた。サイがアゥトブの名を風の便りに聞くのなら、それは彼の方もそうだったのだ。


 会話が途切れ、サイは、堪え切れなかった問いを口にしていた。


「なぜ……」


 続く言葉は、あまりに多すぎて言えなかった。


「結局、目指すところは同じというだけだ」


 アゥトブは、事もなげに答える。


「そう……その通りね」




 アゥトブと共に歩く。そのことに、現実味は感じられなかった。

 まるで、何年ものあいだ離れていたことが嘘のようで。

 サイは心の中で、幼かった二人のまま森を歩いているようにさえ思えた。


 けれど、空は不自然に赤くひび割れる。

 突然に、その時は来た。


 邪竜が復活したのだと、道中で知らされた。

 大人になったアゥトブだが、その視線の鋭さに含まれた好奇心が、光を放つ。


(いつもアゥトブは、先を見ている)


 人類の敵が、滅びを願っているというのにも関わらず。

 彼は、ただ真実を明らかにする機会としか捉えていないのだ。


「……やっぱり、私、追いかけるしかないんだね」


 掠れた声で呟くと、サイは背筋を伸ばして一歩前に出た。

 追いかけ続け、追いつくことはできなかったけれど、アゥトブが立ち止まる時には間に合った。


 世の滅亡かといった事態を前にして、こうして終焉の旅に出られたことは、奇縁というほかない。

 サイは、空を仰ぐように目を眇める。

 子供時代から現在までの、長いようで瞬く間に過ぎた人生を噛みしめながら。


 アゥトブに変わらない部分があるように、サイにも変えられないものがある。

 胸の内にある熱は、未だ、燻り続けている。

 けれど少女の頃のようには、隣に立つ者を意識して視線を向けるようなことは、もうない。

 アゥトブと並んで、彼の向く先を見つめることを選んだから。

 その視線の先にあるのは、破壊を告げるような昏い赤の滲む空。前向きになれる要素などない。

 明るい未来の見えない暮れ行く世界の縁に立ちながら、サイは穏やかな表情で、前を向いたまま、自分にとって何よりも確かな存在へと声をかける。


「いい発見が、あるといいわね」


 その声に対して、アゥトブも声に目を向けることなく隣へ返す。


「それを、君と見ることになるというのも、不思議なものだな」


 サイが、自分の言葉を聞き逃すことはないと知っているから。


 故郷から飛び出して、二人はそれぞれ違う道を歩み、巡り巡って同じ位置に肩を並べて立つに至った。

 共に歩こうとも、腕を掠めることさえなかったが――二人の指先には、互いの魔素が絡んだようだった。



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自称許嫁の少女は、今日も変人研究家を追いかける 桐麻 @kirima

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