研究家

 岩腕族の旅人らが去った闇を見るサイの目には、関連する様々な事柄が浮かんでいた。


 幼い頃からのアゥトブの懸念。

 周囲の大人達はまともに取り合わなかったが、長老は窘めた。たかが子供が騒ぐことにだ。伝え聞いただけではあるが、実際にアゥトブはそれから口をつぐんだ。サイがアゥトブの後を追い回すようになってからは、そのような言動を聞くことはなかったのだから。

 それは、長老らが深刻に捉えるだけの何かを知っていたからだろうと思えた。


(聖魔素だけが……そっか、そうだったんだ)


 今しがた聞いた恐ろしい獣の存在が事実ならば、アゥトブの行動は、遠回りに見えて真実を捉えたものだったのだ。


 邪質の魔素を操るらしき存在。

 アゥトブが調べていたような対象は、気が付けば印象の変化していた植物。

 その変異が邪質の魔素によるものではないかという推測が、サイや、恐らくアゥトブへも確信をもたらしたのは、サイが聖質の魔素を使用した時――サイが意図して、変異植物へ働きかけたわずかな時間。確かに、葉脈内の魔素は乱れたのだ。

 もし、さらに長い時間、働きかけることができるなら、邪質の魔素を散らすことができるのかもしれない。

 ならば明確に弱点といえる。


 本来、どちらも体内に存在しながら、決して混ざらない二つの魔素だ。

 それは、ある意味、同等の力を持つためではないか。

 森を徘徊し始めてから、異常植物への聖魔素の使用を繰り返しているサイだったが、残念ながらまだ長時間を維持することは難しい。

 しかし、手応えはある。

 サイは拳を握り込んだ。

 アゥトブからの気付きは、きっと、この為だったのかもしれない、と――サイには、そう思えてならなかった。


 聖魔素を扱える人間は減っているという。


(でも、私は扱える)


 サイの目には全てが揃っているように映っていたアゥトブが、唯一持たない能力。

 それを、自分が持つのだ。

 さらには、世界を脅かすものに対抗する手段であるという、大義名分が目の前に掲げられた。


「私、志願するよ……!」


 己の真意を確かにすべくそう口にしたサイは、頭の中を焼くような熱意に背を押されるまま、ずんずんと長老の元へと向かう。

 とはいえ、岩腕族の使者らの動向が分からなければ、ただの無駄話だ。大森林の顔役である首都オレストの長老からの連絡を待つ必要があり、ちょうど追い立てるように解散が告げられた。散り散りに戻っていく人波に押されるように、サイも渋々戻ることになった。

 言われたとおり、返事を待つ必要はあるだろう。

 翌朝、サイは早起きして飛び出していた。そわそわしながら日課を済まし、早めに長老宅周りをうろうろしていると、驚いたことに旅人へ同行させた者の一人が戻ってきた。

 それだけ、この件の緊急性が高いということだ。


 集会は、各家の代表である大人の一人が集まり行われることだ。普段なら子供は追い出されるものだが、サイは鼻息も荒く居座ったし、長老らもそれどころではないのかもしれなかった。

 ある程度、人が集まったとみるや開催された集会にて、正式に通達がなされた。


 その内容は、サイにとっては意外な話ではあった。

 戦士の志願者を募るのは当然の事ではあったが、それは時期が来ればすぐに動けるよう準備をしておくようにというものだ。

 それよりも、聖魔素の持ち主を集めることが優先だという。敵への対抗策を練るために、岩腕族の国へ集ってほしいというのだ。

 サイは、彼らや長老らの深刻な様子から、すでに敵はそこにいるのだと考えていた。

 確かに思い返してみれば、岩腕族の使者は『予兆』と言ったのみだ。

 どういうわけか、彼らは敵の現れる時期を知る術があるらしい。


 サイには見当のつかない話が、さも知っていて当然のように皆の会話に上る。

 成人と認められた暁には、伝えられるようなことなのだろう。

 

 集落の外には、サイの知らないことが、多くある。


(知らなきゃ)


 胸の内にこぼれた言葉は、まさに今、外界を目にしているだろう存在を想ってだ。


 集会は深刻な様子で続いていた。戦いを厭うているのではない。どれだけ人を出すか、他の集落からはどれだけ集まるのか、他の種族はどうかといったことだった。

 日々お腹を満たすための生活を繰り返す、小さな集落。戦士が出るということは、主な働きを担う者が取られるということだ。集落の運営に直接的な影響が出るだろう問題ではある。


(でも、それはもっと後って言ってるじゃない)


 部屋の片隅で、それらを眺めていたサイは、苛立ちを感じて思わず立ち上がっていた。


「まずは、聖魔素が扱える人でしょ! 私、参加するから!」


 サイの宣言に沈黙した場は、次には騒然となった。

 当然の如く、サイは叱られたり宥められたりするのだが。

 長老だけは悩む様子を見せつつも、しかし、拒否はしなかった。


 皆が分かっていることだった。

 聖魔素を扱える者は多くない。

 そして、サイにとっては未だ判然としない世の危機とやらの実状を、長老ら幾人かの老いた大人は知っているということ。

 そこを見越しての宣言でもあったのだが、思ったよりも苦労なく説得が叶ったことに、ほっとした。恐らく、婚約の儀を過ぎた準成人であることも味方したのだろう。

「本気かサイぃぃぃい!?」

「離れてー!?」

 半泣きで縋りついてくる父親を引き剥がす方が、よほど苦労したサイだった。




 ♧




 件の岩腕族の使者は、幾人かが伝令で行き来するほかは、行商の時よりも随分と長いこと首都オレストへ滞在していた。

 その間に、大森林内の、それぞれの集落から長老を集めた会議なども開かれた。当然、サイの住む集落からも長老は出かけていった。あらかじめ集会でまとめた、出せる人員の情報などを持っていき摺り合わせしたようだ。

 戻った長老から、首羽族らも集まっていたという大会議の内容が掻い摘んで話された。

 話を締めるように一呼吸おいて、長老は、サイを呼ぶ。


「間もなく、岩腕族の使者は去る」


 帰り際に立ち寄るから、気が変わらぬなら共に行け――それだけを伝えられ、お開きとなった。


 旅立ちの日は、想像以上に早く訪れたということだった。




 着替えなどの荷物をまとめると、サイは胸元の布をぎゅっと掴む。それは、決意とは別の葛藤の現れ。

 苦しくないはずがなかった。

 アゥトブのことだけでなく、父母や友達との、ここでの生活。この集落が、サイの人生の全てだったのだから。

 他の集落との交流を兼ねた行商などを長老に任されて生業にしている家の者ではない上に、サイのような年頃の娘にとって、ほんの少し遠い集落を訪ねてくるだけ、といった気軽さで言えることではなかった。この集落のために、架け橋となるべく他の集落へ嫁ぐといった理由でもなく出て行った者の話など、サイが暮らしていた間に聞いたことはない。

 アゥトブを除いて。

 それだけアゥトブの行動は、大人達の間にも動揺をもたらした。

 そして、もう一人。アゥトブの許嫁を自称していた者が、隣国へ。大森林の外にある、別の人種が暮らす街に向かうというのだ。いかな理由があろうと良い顔をされる筈もない。


 岩腕族の国は、聖魔素の研究所とやらを設立し、サイのような者を集めることで、戦闘だけに頼らない対抗手段を探りたいようだった。死傷者を減らすための活動を、地域や種族を越えて積極的に行おうというのだから、歓迎はすれど非難などできようもない。


 けれど、と、サイは溜息をついた。

 状況を把握し事を成すまでに、幾度の季節が巡るのだろう。最近の、アゥトブを真似た短い活動期間を思い返してさえ、一足飛びに事が運ぶとはとても考えられなかったということもある。

 そして、それだけ帰ることができないならば、日常的に集落を構成する人物ではなくなるということ。

 実質、決別を告げるのと同じだ。

 この集落を出て行った者として数えられる――アゥトブと同様に。


 気ままな母が、狼狽えて口元を抑える姿を初めて見た。

 そんな母の肩を支えた父は、悲し気ながら、それでも、ただ頷いてくれた。


 大切だった。

 だからこそ。


 サイは、熱くなる目を瞬かせた。涙が零れないように。


「みんなを守るから!」


 殊更に力強く声を上げ、笑顔で別れを告げた。

 サイは、行きより増えた岩腕族の一行の末尾に着いた。サイの他にも志願者がいたのだ。

 そうして、列が動き始めれば、サイは決して振り返らなかった。




 両親に、アゥトブを追うためではないと何度も伝えたが、信じてもらえるとは思えなかった。

 実際に、ある意味では、間違いなく彼を追うことになるだと分かっていたからでもある。

 研究対象を通して、必ずアゥトブへも行き着くと。


 アゥトブを追う事だけが、これまでのサイを支えてきた。

 まるで、その失った穴を埋めるように、アゥトブの行動を辿って過ごした。

 それが聖魔素の研究へと繋がり、さらには災厄を退ける力になるというなら。


(やらないで、いられるか!)


 どのみち、この場所で一人で出来ることには限りがあると感じ始めていたのだ。

 もっと多くの対象を調べる必要があると思えた。それが、サイと同じく聖魔素を持つ者と行動できるなら、より捗ることだろう。

 アゥトブが、この狭い世界から旅立ちたいと考えるに至り、実際に行動を起こしたことは当然だと思えた。


 情けないことに、サイには理由が必要だった。

 けれどアゥトブは、ただ研究対象を追い求める情熱のみを抱えて出て行った。


(冒険家になるなんて、てきとーに言ってたけど……)


 彼こそが、研究家――と、そう呼ばれるべきだろう。

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