待ち合わせの客
ある日の暑い日の事でした。今日も店内にはピアノの音色が静かに流れています。
殆んどの方は私‥‥この店でピアノを弾いている葉木と申しますが、私のピアノを聴きながらコーヒーを飲んだりします。
その中でかれこれ一時間程座っておられる青年が一人。
アイスコーヒーを飲みながらこの店に馴染めなさそうにしている彼は、最初煉瓦色のアップライトピアノと一緒に居る私の顔をちらっ、ちらっと一瞥し、それに気付いた私が顔を向けるとまるで奥の壁を見ていたかのように視線を外してスマホの画面を凝視するのです。
どうやら彼は、この店で誰かを待ち合わせているようです。
すると、カラカラン、という鈴の音と共にドアが開きました。
「いやあ、暑いですね」
入ってきた中年のサラリーマン風の男性は、炎天下で汗だくだった屋外から涼しく静かな店内で一気に顔が変わると、店の私に声をかけてきました。
「いらっしゃいませ
「ええ、まあ」
彼の名は
彼は誰かを探すように店内を見回して、向こうに座っている若者の姿を見つけるとその席へ向かいました。
「よ、
「ああ」
笑顔の克一さんにもノーリアクションの、攻人と呼ばれた青年。
彼が待ち合わせていた人はこの中年男性だったようです。
どちらもサラリーマン風だったけど、親子と見て取れる位歳が離れ、面影も似ていました。
「どうだ、元気にやっているか?」
「別に。いつも通りだよ」
在り来たりの言葉をかける克一さんにそっけない挨拶の攻人君はすぐに目を逸らし、再びスマホを手にする。
「悪いこともしてないし、悪いやつに騙されてお金を無限に要求されてもいないよ」
克一さんは悪態をつく息子にも苦笑いしつつ、注文を聞きにきた店員にコーヒーを頼みます。すると、
「ずっと待ってたから腹減ったよ。何か頼んでいい?」
攻人君はスマホ目を向けたままそう言うので、ハンバーグランチを二つ追加しました。
「珍しいな」
「いつも安っすいハンバーガー店しか行かないからたまには。父さんとも会うのも久しぶりだし。‥‥それにしても、急に何で?」
攻人君は仕事で家族にも滅多に会えなかった克一さんに、久々に会おうと思った理由を尋ねました。
「お前も今年からこっちに上京してきて、母さんが心配してたから‥‥たまにはこうして会おうと思ってな」
「まあ、ようは安否確認だろ。こんな小洒落た店にいつも来るんだ?」
「まあしょっ中じゃないけど」
克一さんは流れるピアノに耳を傾けながら、攻人君を見つめる。
「単身赴任でずっと家に帰ってなかっただろ。その間に見つけたんだ。‥‥仕事で嫌な事があった日は此処に来て人知れず泣いてるのさ」
「ピアノとコーヒーで?」
‥って此処は飲み屋じゃないし。と攻人君は思ったか思わなかったか、有り得ないといった表情をしています。
「‥‥まあ、喫茶店のピアノなんてジャズとかバラードみたいなのだろ。俺聴いても解らないし」
そういいつつ私のピアノをやんわりと否定した攻人君は父との会話は長く続かないと判断したのか、アイスコーヒーを片手に視線をスマホに戻す。
店内のピアノを聴き入っている父と無音でスマホに集中する息子。
二人の間に暫く沈黙が続きました。
それなら、と私は彼の知っていそうなファンタジー系のゲーム音楽の曲を奏でてみます。
すると、店内の音など気にもしなかった攻人君がふとその音楽に気づいたように、こっちを意識し始めました。
スマホからピアノの流れる方にちらっと視線を向けると‥‥冴えない風貌の私と一瞬、目が合ったのです。
サラダとスープ、それにパンかライスがついたランチセットは焼き目が色良くついたハンバーグからドミグラスソースの芳香な匂いと湯気が立ち込める。
食べると、閉じ込めた肉の旨味が口の中に広がります。
二人はそれを口にしながら話しました。
「明日は仕事なのか」
「ああ」
「じゃあ余り長居させるのも悪いな」
ハンバーグを頬張る攻人君に克一さんは、そろそろここに呼び出した、聞きたかった本題を切り出すのでした。
「好きな人と食べる方が美味いだろうし‥‥」
‥‥笑顔で息子の顔を見る克一さんを、察した攻人君は冷笑する。
「母さんから聞いたんだ」
「まあ、その‥‥水臭いな、最近じゃ一緒に住んでるっていうじゃないか」
息子ののろけ話を期待する、野暮な表情の克一さん。
そんな父の姿に攻人君は淡々と口を開きました。
「悪いけど、彼女とはもう別れたよ」
「……は?」
「いろいろ合わなかった。今の部屋は一人じゃ高いので出ていくんだ」
それを聞いて何と言っていいのか解らない、寂しい顔で固まる克一さん。
攻人君は何故か期待を裏切ったようでこっちが悪い事をしたと思ったのでしょうか。
そんな事もあると同情してくれるのか、それとも何やってんだと責められるだろうか?色んな事を考察する攻人君に、克一さんは言いました。
「じゃあ家に来るか?」
「え?」
「他に住むところが見つかるまでだけどな。たまにで良いんだぞ」
「ああ‥‥考えとく」
そう言った攻人君はまたハンバーグを口にする。
滴のように一つ一つ落ちていくピアノの音色を聞きながらこの店に少しだけ近親感が湧いた彼は、社会人になって少しだけ父の気持ちが解るようになったのです。
父はこの店にたまに来て、誰にも打ち明けられない気持ちを解消しているのだと。
「親バカと思われてもしょうがないですね」
「いいえ」
苦笑しながらこう言う克一さんに私は首を振る。
「親というのは幾つになっても心配ですよ」
「そうですね」
そう言って彼は店を後にしました。
喫茶ことりは街はずれにある店。
私は今日も、店に来た人たちの為にピアノを奏でるのでした。
喫茶ことり 嬌乃湾子 @mira_3300
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