トルカ王国の姉妹

加瀬優妃

旅立ちの日

「……姉さま……」


 トリカ王宮の離れ、東の塔の上。

 この国の第二王女クレアは、王宮を旅立ってゆく馬車や騎馬の行列を溜息をつきながら眺めていた。

 クレアの美しく聡明な姉、トリカ王国第一王女ベアリスが隣国プレル帝国の皇太子の下へ嫁ぐための行列だった。


 第二王女といっても、王妃腹のベアリスとクレアでは天と地ほども立場が違う。

 王妃付きのメイドだった母エマに、国王が手をつけた際に生まれたのがクレアだからだ。

 魔法鑑定で正式に国王の娘と認められたものの、国王は怒り狂う王妃に遠慮してこの母娘を東の塔に閉じ込めた。


 そして王妃はというと、エマ自身がメイドなのだから使用人などたいして要らないだろう、むしろ王宮に置いてやっているのだから働け、と洋裁の腕が優れていたエマと、さらに成長した娘クレアに針仕事をさせていたのである。

 

 しかし、当のクレアはそのことを悲観してはいなかった。日がな母と共にひたすら針を動かす日々だったが、生活は慎ましくも穏やかだったし、時折姉のベアリスが会いに来てくれたからだ。


「正直言って、父様は国王として駄目だと思うわ。……というより、良い所ってあるのかしら?」


 東の塔に遊びに来たベアリスが溜息をつく。

 彼女は実母である王妃とも険悪で、王宮から逃げるように東の塔にやってくる。

 そしてクレアが淹れた安物の紅茶をそれは美味しそうに飲み、王宮のことや隣国のことを話してくれた。


 物知りでハキハキと物を言い、快活なベアリスは、この控え目で素直な性質の妹を可愛がっていた。

 こんな酷い仕打ちを受けているのに国王や王妃を恨むことなく、また王妃の娘である自分を快く迎えてくれた二人が大好きだった。


「兄様は父様の悪いところばかり真似をするし、母様は自分を美しく装うことしか頭にない。クレアはエマの良いところをちゃんと真似ているのにね」

「そんな……」

「きちんと親子鑑定で認められたのだから、本当は王宮に一室を与えられて然るべきなのよ。しかもこんな針仕事までさせて」

「でも、裁縫は好きですから」

「うーん、実際、エマやクレアの仕立ては格別なんだけどね。無くなっちゃったら私も困るんだけど」

「ふふふ」


 真面目くさるベアリスに、クレアが珍しく声を出して笑う。

 その笑顔につられて微笑んだベアリスだったが、次の瞬間にはふう、と溜息をつき、グッと眉間に皺をよせた。


「でも、あまり楽観視はできないのよね。王室のせいで国の財政はどんどん傾いて、そのしわ寄せは民へ。このトルカ王国も、もうおしまいかもね」

「そんな……」

「だからプレルから援助の申し出が来た訳でしょ」


 今から三年前、プレル帝国皇太子ノエルとトルカ王国第一王女ベアリスの婚約が決まった。

 もともと親交があり、帝国にもトルカ王の名代として何度か訪れていたベアリスは、皇太子の人となりも知っており、快く了承した。

 しかし心残りは、この不遇な妹姫のことだった。


 国王が金に目が眩んでクレアを利用するかもしれない、せめてクレアの結婚相手が決まるまでは、と結婚を先延ばしにしていたのだが、もうそれも限界だった。

 そして今日ついに、ベアリスは隣国へと旅立ってしまったのである。


“クレア。そんな顔ばかりしていると、幸福が逃げていくわよ”


 外を見下ろし溜息をつくクレアの耳を、母エマの声が掠める。

 運の悪いことに、エマの母は病に倒れ、一カ月前に亡くなってしまった。それを理由に、「縁起が悪いから」とベアリスの見送りにも出させてもらえなかったのだ。


 その母がよくクレアに言っていた。眉も目も口も下げてばかりでは幸せは逃げてしまう。辛い時でも笑いなさい、と。


 しかし、その母も亡くなってしまった。クレアは、本当に一人ぼっちになってしまった。

 とてもじゃないが、もう逃げるだけの幸せも無いように思えた。



   * * *



 二日後の夜更け過ぎ、クレアは王宮から呼びつけられた。

 急いで向かうと、国王がオイオイと嘆き、王妃がヒステリックに泣き喚き、異母兄の皇太子が苦虫を噛み潰したような顔をしていた。


「クレア。ベアリスが死んだ」

「……えっ」


 話にならない両親に代わり、兄が前置きもなく告げる。

 クレアは、兄が何を言っているのかよくわからなかった。


「プレルの国境を越えた途端、山賊に襲われたそうだ。早馬の報せだから詳しいことは分からないが」

「……」

「とにかく、このままでは大損だ。ベアリスには持参金代わりにリマ金鉱の権利もくれてやったのに」

「え、あの……」


 どうやら単に援助を取り付けただけではなく、色々な目論見があったらしい。

 しかしそういう政治的なことには疎いクレアにはよく分からなかった。


「しかしベアリスは国境を越えていたため、もう帝国の人間になっていた。このままでは援助の約束もどうなるか分からない。何しろベアリスが『自分が上手くやるから』と言っていて完全に任せきりだったからな」


 兄の言葉に国王がうんうん頷き、王妃が

「本当にあの子ったら口ばっかり。どうしてくれるのよ!」

と叫んでいる。


 これにはさすがのクレアも呆れた。

 国を左右する案件だというのに、王太子はおろか国王も把握していない。そして実の母である筈の王妃はベアリスの死を悼むどこりか自分のことばかり考えている。

 ベアリスが

「王宮では話が通じる人間がいないのよ」

と言っていた意味が、ようやくクレアにも理解できた。


「あの……」


 私はどうして呼ばれたのでしょう、と恐る恐る聞くと、兄が腕を組み、

「その者の進言もあり考えたのだが」

と早馬の使者らしき人間を一瞥した。


「ベアリスの代わりにノエル皇子の元へ嫁いでくれ。今すぐに出立してほしい」

「えっ!?」

「幸い、ベアリスが死んだことはまだ他国には伝わっていない。その前にお前が妻になるのだ。他国の姫がノエル皇太子の後釜に入られては困るからな」

「あの、でも、約束とか、何も……」

「なに、死んだ妻の代わりに妹が後妻に入ることはよくあることだ。行ってしまえば拒絶もできないだろう」


 つまり、ノエル皇子の正妻であるベアリスの死が表に出る前にクレアを押し付け、プレル帝国とトルカ王国の間で結ばれた契約を維持したい、ということなのだ。


 こうしてクレアは事態も飲み込めないまま、数人の供と兄に進言したという使者と共に、トルカ王国を出発したのだった。



   * * *



 国境付近には山賊がいて、ベアリスはその山賊にやられたという。そのときよりもずっと少ない護衛で本当に国境を越えられるのか、とクレアは不安だったが、簡素だったのが功を奏したのか、山賊は襲っては来なかった。

 しかし、王宮直轄領の手前で帝国の早馬に止められた。帝宮ではなく、ここより北のマルミ離宮に迎え、と。


 どうやら帝宮はかなり混乱しているらしく、その上勝手にクレアを寄越してきたトルカ王国にも腹を立てているらしい。

 しかし王女を粗末に扱うこともできず、事の次第がはっきりするまで離宮で待機していてほしい、とのことだった。


 そうして向かったマルミ離宮には煌々と明かりが灯され、何十人もの使用人がクレアを出迎えた。

 招かれざる客であるはずのクレアに彼らはとても親切で、生まれて初めてこんな温かい対応をしてもらった彼女はひたすら頭を下げた。

 メイドたちを戸惑わせることになってしまったが、クレアには他に感謝を伝える術がなかった。


 部屋に案内してもらい肩の力が抜けたクレアは、ようやくベアリスが死んでしまったことを実感できた。

 『自分が上手くやる』と言っていたベアリス。確かに姉ならできるだろう。

 だけど自分は……。


「姉さま……教えて頂きたいこと、たくさんあったのに……」


 自分が縫い、刺繍したハンカチを握り、クレアはほろほろと涙をこぼした。

 ――しかし。


「勿論、これから教えてあげるわよ。たくさんね!」


 突然聞き覚えのある元気な声が聞こえ、クレアは「ええっ!」と悲鳴を上げて立ち上がった。

 見ると、隣室に繋がっているという扉が少しだけ開いて、ベアリスが顔を覗かせている。


「ね、姉さま!?」

「ごめんね、クレア。騙す形になってしまって」


 ベアリスがクレアに駆け寄り、そっと抱きしめる。クレアは何が起こっているのか分からずに何度も瞬きをした。


「あなたを安全に王国から連れ出すにはこれしかなかったの。でもびっくりしたわよね。ごめんね」


 よしよし、とクレアの背中を撫で涙を拭ってやりながら、ベアリスがそっとクレアの額に口づける。


 婚約期間の三年の間、ベアリスは考えた。

 このままでは国は疲弊し、民は重税に苦しむだけ。もう王宮は腐敗しきっていて、仮に自分が帝国に嫁ぎ援助を受けたところでどうにもならない。

 それならばいっそ、帝国に陰で協力して国を倒した方がいい。速やかに王室と王軍を押さえ、なるべく民に被害が及ばぬように。

 彼女は血のつながった王族より、民衆を選んだのだ。


 しかし心残りはクレアのこと。正式に国王の娘と認定されている彼女も、王室の人間。国が倒れれば彼女も断罪されてしまう。

 それならばその前に彼女も帝国に引き取ってもらえばよいのだ。

 クレアはベアリスの良心。絶対に失いたくなかった。


「え、でも、あの、ノエル皇子は……」

「勿論、知ってるわ。この計画は二人で立てたんだから」

「ええっ!?」


 すると、扉が開いて一人の兵士が現れた。

 トルカ王国にベアリスの訃報を伝え、兄に進言したという兵士だ。そして、ここまでクレアにとんぼ返りで付き従ってくれた。


「彼が、皇太子ノエルよ」

「え……ええっ!?」

「今は変装しているけどね。どうしてもこの目でトルカ王室とあなたを見たいと言うから、一役買ってもらったの」


 得意気なベアリスとその隣で優しく微笑むノエル。

 この二人に任せていれば、確かにトルカは住みよい国に生まれ変われるのかもしれない。


 いや、違う。誰かに任せるのではなくて、自分も何ができるのかを考えなくては。

 自然に顔が上がり、目が輝き、口元が引き上げられていくのを、クレアは確かに感じていた。

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