夜を舞う

トト

江戸の町は今日も満開

「琴葉ちゃん、こっちにも一杯」

「はいよ、昨晩も遅くまでお仕事ですか犬飼いぬかいさま」

「あぁ、昨晩もまたネズミ小僧のせいで……」


 犬飼が口を開きかけた時、他の客が蕎麦屋に入って来たので、琴葉は犬飼にペコリと頭を下げると営業スマイルを浮かべ次の客を席に案内しにいってしまった。


「旦那、だめですぜ、いくら初根さんとは言え、ねずみ小僧のことは秘密事項です」

 

 犬飼はいわゆる江戸の治安を守る同心である。部下である岡っ引きが小声で注意をする。


「はいお待ちどうさま」


 初根琴葉はつねことはは蕎麦屋の看板娘だ。テーブルの上に無造作に置かれている十手の隣にトンと出来立ての蕎麦を置く。


「大丈夫ですよ、もうその話題は瓦版になってますから、秘密ではないですよ」


 助け舟を出された感じになった犬飼が、面目なさそうに頬を掻く。


 江戸の町をにぎわしている義賊が二人。


 一人は昨晩犬飼が取り逃がしたネズミ小僧。

 大名屋敷のみを狙って盗みに入り、貧困街の人達に盗んだお金を配ってまわるという貧困街のスター。

 毎回予告状を出したうえでの犯行なのに、役人たちの目を潜り抜け、成功させるその華麗な様は江戸の瓦版の売り上げを倍増させた。


 もう一人はネコ娘。人さらいや、いかさま賭博の借金のかたに身売りされた娘たちを救うこちらは町娘たちのヒーローだ。

 助けられた娘たちの証言から、その人物は猫の面を被った女性であるということ、そして迫りくる用心棒たちの刀をサッとかわすと、目にもとまらぬ速さで次の瞬間には用心棒たちを気絶させているその動きは人間技とは思えないと、本当に猫のようにしなやかで無駄のない鮮やかな動きは語る娘たちを再び夢心地にする。


 犬飼は蕎麦をズズっと胃に流すと、「お勘定」と声をかける。

 琴葉がソロバン片手に「はいよ」と答えた。



「はぁ。ねぇ、何考えてるのナルシストさん」


 月明かりの下。寝静まった屋根の上に若い男女の影二つ。

 猫の面をつけた、ネコ娘が横に立つネズミの面をつけたネズミ小僧を鋭い眼光で睨みつけている。


「いやぁ。奇遇ですね」


 睨まれたネズミ小僧はしかし悪びれた様子もなく、どこか楽し気にネコ娘に笑いかける。


「なに笑ってるのよ、あんたが予告状なんてだすから、警備が倍になってるじゃない」


 眼下に提灯を片手に沢山の部下たちに指示を出す犬飼が見える。


「だいたいなんでここなのよ?」


 今二人の目の前にあるのは江戸一番の賭博場だった。


「あれ、ネコさんはこの賭博場の敷地が、安久田アクダ大名のものだと知らないんですか?」

「えっ……? 知ってるわよ、それぐらい」


 もごもごと口ごもる様子に、ネズミ小僧が小さく笑いをかみ殺す。


「じゃあ、驚くことでもないでしょう。で、ものは提案なんですが」


 すました顔でネズミ小僧が続ける。


「いつもは一匹狼のあっし達ですが。今夜はひとつ協力しませんか?」

「はぁ?」


 明らかに嫌そうにネコ娘が返事を返す。


「ほら、ここって広いでしょ。身売りされた娘さんたち探すだけでも一苦労ですよ。それに今夜は役人の数も倍以上いますし」


 それはあんたが予告状をだしたからでしょ。といいたかったが、ニコニコ顔のネズミ小僧に毒気を抜かれる。


「あっしはすでにだいたいの目星はついていますが、ネコさんはどうなのですか?」


 そう言って懐から何やら座敷の図面らしきものが書かれた紙をチラリと見せる。


「あんた、まさか初めから……」


 いいかけたがやめた。それを認められたら共闘なんて絶対無理だ。

 しかし一人で娘たちを助け出すには、この役人の多さでは難しい、だからといって今日を逃せば、明日異国からやって来る南蛮船に娘たちは連れていかれてしまう。そうなったらいくらネコ娘でも助けようがない。


「わかったわ。今夜だけよ」


 ネコ娘が今にも引っかきそうな勢いでネズミ小僧から地図を奪う。


「そう来なくては、では役人たちの引きつけ役は頼みましたぜ」

「えっ! あんた私を囮にするきだったのね」


 月夜にこだます怒号もなんのその、クスリと笑う小さな残像を残しネズミ小僧の姿は屋敷の闇に消えていった。


 そうして二人の義賊の初めて共闘が始まった。



「さぁ、さぁ皆さんお立合い。昨晩あの江戸を騒がす二大義賊、ネズミ小僧とネコ娘が初の共闘をしたってさ」


 瓦版売りの声が響く。


「ネコ娘がお侍や役人たちをバッタバッタとなぎ倒している隙に、攫われた娘さんたちの前に音もなく現れたネズミ小僧。さっと手をかざしたらあら不思議、あの頑丈な南京錠がわけもなく開いちまった。そしてあっという間に屋敷の外まで娘たちを連れ出しちまった」


 瓦版売りの周りに徐々に人だかりができていく。


「でもただ娘を逃がしただけじゃあすぐに役人に娘たちも捕まってしまう。そりゃあ可哀そうだが、娘たちは借金のかたに身売りされた商品だからそれはしかたないことだ。しかし、ねずみ小僧、さっと懐から取り出した借用書、それに書かれた金額以上の代金を娘さんたちに一緒に手渡した」


 ざわざわと町民が騒ぎ出す。


「これで借金をチャラにしろと?」

「いやいや、盗んだ金で娘を買い戻す。奉行所には通じないよ。そこは我らのネズミ小僧。盗んだ書類はそれだけじゃーなかった。賭博場を裏で牛耳っていたのはあの安久田様、いや言わせてもらうよ、安久田の野郎。いままでの横領や悪事のかずかず、出るわ出るわ、それに賭博のいかさまの証拠も違法利子の証拠も、全てセットで手渡した」


 「おー」と町民から感嘆のため息が漏れる。


「これで安久田も賭博場もお縄さぁ。いかさま賭博でおった借金はもちろん取り消し。損害は娘たちがそれ以上の金額をネズミ小僧からいただいている。一件落着言うことなし」


 飛ぶように売れる瓦版を、一人面白くなさそうに蕎麦屋の窓から見ているものがいた。琴葉である。

 でもそれも一瞬、つぎの瞬間にはいつもの営業スマイルになっている。


 それともう一人瓦版の声を聞かないように耳を塞いで肩を落としているものがいる。犬飼である。

 仕事とはいえ蓋開けてみれば悪人を守ることをしていて、そしてネズミ小僧とネコ娘にはまたしてもしてやられて、


「俺の仕事って……」


 頭をかかえる犬飼の前の席にその時一人の若い侍が座った。


「あっ、忠兵衛ちゅうべいさま、こんなところにどうして? 護衛は?」


 犬飼に忠兵衛と呼ばれたお侍は「シッ」というように口に指をあてる。

 ほのかに薫お香の匂いが侍がただならぬ身分であるとほのめかす。


「たまにはこういうところで食事がしてみたくてね」


 にこりと微笑む。


「それといつも犬飼が話している琴葉ちゃんにも会ってみたくなってね」


 今度は慌てて犬飼が「シッ」というように口に指をあてる。

 そんな犬飼の様子にクスリと忠兵衛は笑うと、今さっき買った瓦版を目の前で広げる。


「しかし、おまえもだな」

「めっそうもありません。次こそはこの二匹捕まえて見せます」


 その言葉に忠兵衛はさらに満面の笑みを浮かべる。


 江戸は春。二人の義賊の活躍はまだしばらく続くだろう。









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夜を舞う トト @toto_kitakaze

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