ソロミステリ

λμ

二日酔いは人を探偵にする

 目覚めた高遠遥斗たかとおはるとは秒速で「うわあ」と言った。自身がいるベッドとオシャレちゃぶ台の狭間と、キッチンスペースまでの動線という、局所だけが荒らされていた。

 買い置きしてあったスナック類は三つも四つも開封(しかも覚えたばかりのスナックボウル開け)され、普段はめったに飲まないスト○ング・ゼ○の五百ミリリットル缶が、ひ、ふ、み、の


「五缶!?」


 死ぬぞ!? と遥斗は戦慄せんりつした。途端に襲ってくるド○キホーテで殴られたような頭痛。もとい、鈍器で殴られたような頭痛。遥斗にはどちらも経験があった。ドン○ホーテで元気なお兄ちゃんに半ヘルメットでしばかれたのだった。一挙両得だ。

 

「……ぬ、ぐがががが……」


 先ほど自分であげた頓狂な声が、脳内でこれでもかと反響している。これは間違いなくあれだ。噂に聞く二日酔いという奴だ。

 とうとう俺もか、と遥斗はベッドの横板を押して背筋を伸ばした。二日酔いに殴られた。しかし、なぜ。


 なぜ俺は酒に負けた。


 そもそも、いつ、なんのために戦ったのか。分からぬまま、遥斗は負け犬らしく四つん這いになって猫の額並のベランダに近寄り、カーテンを払った。

 陽が、しょぼくれた目に痛烈に染みた。襟ぐりの回りをボリボリと掻きながら部屋に向き直る。乱れたまんまのベッド。ゴミ箱に叩き込まれた卓上カレンダー。ストゼ○缶とスナックが林立するちゃぶ台ウィズ吸ったことのない煙草たばこ


「煙草!?」

 

 遥斗は自らの声で自らを痛めつけつつ、ちゃぶ台に這い寄った。賃貸ワンルームで煙草は勘弁してくれと思ったら、


「……封は切らなかったんか……」


 じゃあ何のために買ったんだ、お前。自問はできるが答えがない。トレースすべきなのは素面しらふの自分の思考か、酔っぱらいの一般的な行動か。首を巡らし、遥斗はまた目を見開いた。


『酒はやめる!!』


 というサインペンの殴り書きが、壁に貼られていた。


「……え。マジで?」


 普段の遥斗なら百パーセントしない行動――いや、それを言い出したら、記憶がなくなるほど飲むのも初めてだ。子供のころ生まれる前の記憶がないと気づいて恐ろしさのあまり眠れなくなったことがあるが、昨日の夜という直近の記憶がない恐怖はどうだ。寝ていただけならいい。記憶がすっぽり抜け落ちているのに、かなり元気に動き回っているとなると、目眩めまいがしてくる。


「……なんだっけ……ジキルと、ハイド?」


 古い怪奇小説を思い出した。表向き善人として通っていたジキル博士は内に暴力的な欲望を秘めており、善悪を分離する薬を開発し、善良なジキルと悪辣なハイドという完全な二重生活を送っていた、という話だ。なにがどういうわけか緑の怪人と化してア○ンジャーズに参加し正義の人になったりした。ということは、

 

「酒を飲んだ俺は正義の味方……」


 口にした途端、虚しさが胸をついた。とにかく、ひとつずつ片付けていこう。そう決めて床に手をつくと、落ちていたスマートフォンが妙に気になった。かかってくることも少なければ、かけることも少ない。なんでこんなに気になるのだろうか。

 壁の張り紙。スナックと酒の缶の林。吸わないのに置かれた煙草と灰皿。

 遥斗はスマホを拾い上げ、きたる恐怖に耐えるべく両目を強く瞑り、意を決して指を滑らす。ウンともスンとも言わないスマホ。充電切れだ。


「――っだよ!!」


 決意を返せとばかりに叫んだ瞬間、声が鈍器となって遥斗の頭を叩いた。うなだれ、充電ケーブルをつなぎ、顔でも洗って水を飲もうと誓い、そのとおりにして、両手を腰にため息をつく。

 

 いったい、なんだというのだ。俺がなにをした。アホほど酒を飲んだ。バカか。


 アホかバカかどっちかにしろ、とため息しか出なかった。なにから片付ければいいんだと、まずはちゃぶ台の空き缶に手を伸ばし、


「……あれ?」


 空いているのは二缶だけだった。つまり、たった二缶で気を失った。

 ぺち、ぺち、と遥斗は顔を軽く叩いた。

 たった二缶ではない。アルコール度数九パーセントの飲料を一リッターだ。アルコール量をウィスキーで換算するとボトル三十パーセント弱に達する。当然のように酔っ払うし、下手すれば、吐く。


「……怖っ」


 そう、下手をすれば、吐いていた。オシャレちゃぶ台とベッドの間に座り、頭をベッドのふちに乗せ、顎をあげたまま吐いていた。吐瀉物としゃぶつが喉につまる。脳は気を失うほどのアルコールでからだの危機管理を放棄している。


「これは、殺人未遂だ」


 遥斗はおのれに言い聞かせるように呟いた。いったい誰が――いや、それは俺だ。だが、俺ではない俺だ。一缶目に口をつける前の記憶すら無い。すでに酔っていたのだろうか。分からない。

 素面の遥斗は、酔った遥斗に、一晩だけ殺された。

 いったい、なぜ。

 答えは、ずっと握りしめていたであろうスマートフォンのなかにある。はずだ。頼むからあってくれ。

 祈るような心持ちで遥斗はスマホを起動する。


「マジ……かよ……」


 なんの変哲もなし。かえってキツい。理由なき犯行とか嫌すぎる。ジェームズ・ディーンじゃあるまいし。あれは反抗か。

 とりとめもない思考を巡らせる遥斗の手の内でスマホが鳴った。見れば、同じゼミの女の子から、メッセージがきていた。


『今日、何時だっけ?』

「……何が?」


 そう呟いた瞬間、遥斗の脳裏で、失われていた一晩の記憶が鮮明に蘇った。

 ちゃぶ台の上のスナックボウル開けされたポテチ群。五本のストゼ○缶。握りしめていたスマートフォン――


 わ、ワンルームだけど、俺のとこでよければ。


 それは酒と悲しみが抑圧よくあつした記憶。

 卒業式後に行われるはずの、最後の飲み会の話だった。同ゼミの数人で飲もうと話していた。このご時世に店で騒いだりしたら学生全体の心象に差し障るという話になり、じゃあ誰かの家でしめやかにやろうとなって、どうせ最後だからと遥斗が勇気をふるい手をあげたのだった。


「――で、日付を間違えた」


 昨日と、今日を。卓上カレンダーがゴミ箱に叩き込まれた理由だ。叩き込んだのは自分だ。誰も来ないし、連絡もないし、なんだってんだチクショーと缶を開け、


「……酒はやめる……か……」


 遥斗は昨夜に貼られたであろう張り紙を見つめて呟いた。

 やったのは俺かと思う。

 誤解に気付かぬまま、確かめることもなく。


「犯人は、俺だったのか」


 暴走したのは素面の遥斗だった。酒のせいにしようと痛飲し、酔った遥斗に責任を押し付けようとしていた。酒を悪者にして自分は悪くないと言おうとしていたのだ。


「……いや俺どんだけ楽しみにしてたんだよ」


 遥斗は思わず笑ってしまった。

 

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