狩り立てる者

スズヤ ケイ

狩り立てる者

 焔と煙が渦巻く森を、二人の若い男女がよろめくように走る。


 数歩駆けては激しく咳き込み、また足を踏み出しては、あらぬ方向へと体が泳ぐ。

 それを繰り返して蛇行しながらも、荒い息を吐いて懸命に先を急いでいた。


 足元がおぼつかない理由は、双方が抱える負傷にある。


 男の身には深い裂傷がいくつも走り、赤黒い血が全身を覆うように染み出していた。


 その体をおして、酷い火傷を負った女に肩を貸しながら走っているのだ。


 加えて周囲からは燃え盛る木々からどす黒い煙が上がり、焼け落ちた枝や火の粉が絶え間なく降り注いでは、痛んだ身を焦がしていく。


「くそっ……! あそこまでの化け物だとは……」


 進路や視界を塞ぐそれらをかいくぐりながら、男は吐き捨てる。


 上空で荒ぶる咆哮が響いた。同時に森の各所から爆発が巻き起こる。


 自分達を探しているのだ。


 迫る者への恐怖から逃れようと、尚も足を蹴り出す男の脳裏に事の発端が去来した。





 数日前。

 男が所属している冒険者パーティのリーダーが、とある手配書を持ってきた。


 リーダーであるイルデルトは野心家で、功名心から身の丈に合わない仕事を選ぶ傾向がある。


 彼は今回も同様に、自分達には荷が重いと思える仕事を選んできたのだった。


「なぁイルデルト。下位とは言え、俺達にはまだ竜種の討伐は無理がないか?」


 男は手配書を見るなり、イルデルトを諫めようと試みた。


 彼らのパーティは4人。全員がAランクに成りたてだ。


 竜種は最下位のものですらAランク最上級の難敵と認識されている。それに挑むにはまだ早いのではないか、と。


「ばっか野郎! いつまでも安全な依頼ばかり受けてても昇級できねぇだろ!」


 案の定、イルデルトは聞く耳持たず怒鳴り返した。


「大体ヒューゴ、お前だって金が欲しいはずだ。この件をこなせば、一気に夢に近付くぜ?」


 男──ヒューゴは、店を開く資金の為に冒険者をしている。

 竜の討伐は賞金だけでなく、爪や牙等の素材も高く売れる。魅力を感じない訳がない。


「だが、命を失くしたらそれまでだぞ」

「僕達は戦士二人に、神官、魔術師と、バランスがいい。勝ち筋はあると思えるが」


 言い返すヒューゴへ向けて冷静に言って見せたのは、イルデルトの思想に染まっている魔術師のウルムだ。


 彼は氷の系統の魔術を得意としており、それをもって標的である火竜の弱点をつけるのでは、と力説した。


「……理屈はわかるけど。前衛の二人の負担が大き過ぎないかな?」


 神官のミアが、おずおずと言った様子で口にした。

 彼女の青い瞳は戦士二人──イルデルトとヒューゴを気遣うように揺れている。


 ウルムの立てた作戦は、前衛二人で火竜の気を引き付けている間に、後方から魔術を撃ち込むというシンプルなものだ。


 しかしそれは呪文が発動する間、前衛が火竜の攻撃に晒され続ける事を意味する。

 口で言う程容易くはあるまい。


「なぁに、ミアがうまく回復してくれれば耐えきれるさ。俺とヒューゴだって、もう一端の戦士だ。だろ?」


 表情が冴えないヒューゴへ、イルデルトは自信たっぷりに笑いかける。


「……そうだと、良いんだがな」


 4人が組んで冒険を始めてから、はや3年。

 ヒューゴ自身も、それなりの力は付いたとの実感はある。


 しかし、実物の竜は未だ見た事すらない。

 果たして初見で対抗できるのか、という疑念は拭えなかった。


「まあ、そんな固くなるなって。ほら、ここ見ろよ。もし倒せなくても、ねぐらを突き止めるだけでもそこそこの報奨金が出るんだ。戦ってみて、やばかったらずらかればいい。それでどうだ?」


 イルデルトは書面の一部を指差し、ヒューゴの肩を軽く叩いた。


「……決して無理はしないと約束してくれ」

「分かってるって。俺だって死にたくはない。引き際は間違えねぇよ」


 結局その一言が決め手となり、ヒューゴも首を縦に振った。


 どのみち冒険者を続ける以上は、いずれ出会う相手なのだ。

 敵わずとも、生きて帰りさえすれば、それは貴重な経験となるだろう。




 ──などと、軽い気持ちで挑んだのが間違いだった。



 森を抜けた山の頂に、その火竜はいた。


 先に見付けた幸運を活かし、岩肌の死角からウルムが十分に魔力を練った氷の槍を発射した。


 しかし、それは火竜に届く前にあっさりと消えた。


 火竜自身が発する熱の前に、無力に溶けて蒸発したのだ。


 初手で切り札が無効とわかり、即座にイルデルトが撤退指示を出すも、その直後に隠れていた岩もろとも爆炎で全員吹き飛ばされていた。


 幸い標高は低く、落ちた先の生い茂った木々の枝が緩衝材となり、一命は繋いだ。


 辛うじて見付けたミアを抱え上げると、ヒューゴは鎧も脱ぎ捨て脱兎のごとく逃げ出した。




「ハァッハァッ……ハァッ……」


 ヒューゴは息を切らせながらも、街への道を辿る。


 ミアは咄嗟に皆を守る為、障壁を張りながら前に出た。

 お陰でヒューゴは直撃を免れたが、彼女は障壁越しに余波をまともに食らってしまったのだ。


 か細い呼吸だけは聞こえるが、意識はあるかどうかも怪しい。


 脱力した人間を抱えて走るという行為は、想像以上の負担となる。


 ましてやヒューゴ自身も重傷なのだ。こうして引き摺るようにして踏み出すその一歩すら、なけなしの死力を尽くすものだった。


「……ヒューゴ……私を……置いていって……」


 ぽつり、と耳元でミアの声が漏れた。


「喋るな……!」

「……あなた……だけでも……」

「喋るな! 置いて行けるわけがないだろう!!」


 歯を強く食いしばり、歩を進めるヒューゴの胸にあるものは、生への執着。

 そして愛する者を救いたいという渇望。


 その激情だけで今の彼は動いていた。


 しかし……希望とは、時に容易く打ち砕かれる。


 絶望が顕現したかのようなおぞましい巨躯が、ヒューゴの前に立ちはだかっていた。


 ずしりと地を揺らし、先回りした火竜が降り立ったのだ。


 羽ばたきの風圧に負け、木々と等しく地に転がる二人の冒険者。


 死神がそれを眼下に見据え、大きく吸い込んだ息を、尖った歯が並ぶ巨大なあぎとから解き放たんとした刹那……


 ゴチュ──


 形容しがたい衝撃音が響き、火竜が横倒しに吹き飛んで行くのを、ヒューゴは確かに目撃した。


 ズッシャアアアアッ!!


 火竜の巨体が森を巻き込みながら遥かへと滑っていく。


 その振動に耐えつつ愕然とするしかないヒューゴの視界に、ふらりと一人の男が現れる。


「よう。生きてるか」


 若い男だった。


 筋骨逞しい巨漢だが、整った顔立ちには幼さが残っている。

 20も超えていないのではと思える青年だ。


 簡素な革鎧を着た青年は赤毛を揺らし、紅色の瞳で二人を見下ろしている。


 呆気に取られ返事をしないヒューゴへ、突然液体がびしゃりと浴びせかけられた。


 すると、今まであった激痛がすっと弱まっていくと同時に、判断力が戻って来る。

 回復薬ポーションをかけられたのだと理解した。


 同じようにミアにも瓶に入った液体を振りかけている青年へ、ヒューゴは自由を取り戻した身体で深く頭を下げた。


「……すまない、助かった……」

「ああ、ついでだ。気にすんな」


 青年はあっさり言うと、ヒューゴに背を向けた。


「ついで……?」

「おう。本命はあいつだ」


 ヒューゴの問いに、青年は森の奥を指し示す。


 身を起こした火竜が、木々をなぎ倒しながらこちらへ突進を始めていた。


「な……! なんだは! 君がやったのか!?」


 ヒューゴは思わず叫ぶ。


 吠え猛る火竜の胴体に、脇から大木が突き刺さっていたのだ。


 そして理解する。


 この若者が、自分達を壊滅に追い込んだ火竜を事も無く吹っ飛ばしたのだと。


「そこで大人しくしてな」


 青年はにやりと一つ笑みを見せると、地面に倒れた大木をがしりと掴む。


 ヒューゴは開いた口が塞がらない。


 両の腕でも抱えきれないような太く長い樹木を、青年は指を幹に食い込ませて軽々と持ち上げたのだ。


 それを肩に担いだと思うと、瞬時に青年は姿を消した。


 代わりに視界には火竜の姿が映る。


 そして火竜は視線を上空へと向け、ブレスを吐く態勢に入っていた。


 と、ヒューゴか視認した直後に、火竜の開いた喉から胸までを、槍と化した大木が串刺しにしていった。


 ズズン……


 巨体が森の中へ沈み、余震がヒューゴの身を揺らす。


 それと同時に、宙に跳んでいた青年も優雅に降り立っていた。


 跳ねる鼓動を抑え込み、ヒューゴは恐る恐る尋ねた。


「君は……何者だ……?」

「──ヒューゴ!」


 青年の返事を、呼びかけが遮る。


 木陰から飛び出したイルベルトのものだった。


「イルベルト! ウルム! 無事だったか!」

「ああ、通りかかったその人のお陰でな。事情を話して、こうしてお前らも助けて貰った訳だ」

「そうだったのか……改めて礼を。本当にありがとう」


 ヒューゴ達が揃って頭を下げるのへ、青年は一笑していなす。


「だから狩りのついでだ。礼はいらねぇ」


 青年はぶっきらぼうに言い置くと、火竜へと足を向けた。


「もう動けるんならさっさと帰りな。俺はこれからあいつを解体しなきゃならん。相手をする暇はねぇ」

「あ、あいつは賞金がかかってるんだ! それはどうする!?」

「好きにしろよ。俺は素材がありゃ十分だ。じゃあな」


 イルベルトの声へにやりと返すと、青年は結局名乗りもせずに火竜の死体の元へ去って行った。


「……凄い奴がいるものだな……」

「おう……」


 ヒューゴの感嘆に、イルベルトが同意する。


「……今思い出したが、あれ、Sランクのヴェリスじゃないのか?」

「……ああ、僕も聞いた事がある。史上最年少、しかも単独ソロでSランクまで昇り詰めた怪物がいると。SSも間近だともっぱらの噂だ。風貌も一致しているね」


 ウルムが語った内容は、ヒューゴも聞き及んでいた。


「やっぱり、Sまで行くような奴は選ばれし者なんだな……」

「格の違いがよく分かったぜ……俺らは堅実に行った方がよさそうだ」

「同感だね」


 ヒューゴ達が呟きながら見やる先には、火竜の首を素手で豪快に引き千切る、若き英傑の姿があった。

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狩り立てる者 スズヤ ケイ @suzuya_kei

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