仰げば尊し
桜木武士
この◯◯からの、卒業
仰げば尊し、我が師の恩。
とは誰が言ったか。
なんと恩着せがましい言葉だろうか。
言葉そのものではなく、教師礼賛を全校生徒に謳わせるということが。
教師の思い出など、有無を言わさず顔を叩かれた記憶がほとんどだ。
内心の自由が"我が国"の憲法で保障されている以上、思ってもいない感謝の弁を述べさせることは虐待に値しないのだろうか。
などと下らない愚痴で暇を宥めすかし、退屈な全校集会をやり過ごす。
今日はまだ予行演習だ、本番は明日。
卒業を迎える本番の日を、子供のように指折り数えてきた。
卒業が待ち遠しくてたまらなかった。
●
教室に入ると、監査の役人が黒板の前でむっつりと仁王立ちしていた──
その姿を確認した者に緊張が走り、その緊張は瞬時に廊下に波及する。
──なぜ今日、監査の人間が。
──つい最近、済ませたばかりのはずだ。
さまざまな思いが生徒達の頭をよぎったが、態度には出さなかった。
「失礼いたします!」
一人一人が入室の挨拶をこなしつつ、実に十秒以内に全員が机の前で敬礼の姿勢を取っていた。
「敬礼やめ!」
教師による掛け声の後、しばしの沈黙。敬礼を解くことと緊張を解くことは当然イコールではない。全員の集中が、しかめ面で教室を睨め付ける役人の口に注がれていた。
「280613番!」黒服の役人が口を開く。
呼ばれたのは俺の番号だった。
「はい!」再び敬礼の姿勢を取る。
黒服はその身体を微塵も動かすことなく、視線をこちらへ向ける。
「お前の国の首都はどこだ」
「我が地域に首都はありません!」
「お前の属する国はなんという名前だ?」
「我が地域に名前はありません!」
「そうか。では何だ?」
「私たち名前のない地域は、貴国の平等にして忠実たる仲間であります!」
はじめから決まりきった定型文。黒服は頷きもしない。
いつかの生徒が指摘され、似通った文を唱えさせられる。僅かにでも噛んだ者はその場で教師に顔を酷く叩かれた。俺はきっとこの教室で一番叩かれた回数が多い。ばちん、と空気を震わす音を、役人はやはりぴくりとも顔を動かさずに聞いていた。
やがて監査の人間が、校内の他の施設を検めるために教室を出て行く。木製の校舎が鳴き声のようにぎゅうぎゅうと音を立てる。
足音が去るのを見計らって、教師が小さく悪態をついた。
「あ〜、ではこれから、国語の授業を開始する」
気を取り直した教師のその言葉に従い、すべての生徒が仕込み机の天板を開く。
「組み立て、はじめ!」
俺達はいっせいに、ばらばらに置かれた銃の部品を手に取り、組み立て始めた。
●
国語。「我が国の言語」を冠したその授業は、表向きには存在しないものである。
監査の役人やその他占領政府による厳しい監視の目を逃れ、支配国に抵抗すべく、真の"我が国"の名前と文明を取り戻すことを目的として行なわれる全ての授業。それを教師達は国語と呼ぶ。
国語における歴史の授業によると、始まりは20年前だった。
我が国は唯一の後ろ盾であった某国の敗戦を契機として、事実上戦勝国の占領下に置かれることとなった。
既に経済成長のピークを過ぎていた我が国は、大国に逆らうだけの体力も、軍事力も持っていなかった。そのせいで幸か不幸か、はじめは拍子抜けするほど簡単に支配を受け入れたように見えた。
占領は至って平穏に行なわれた。貧困による諸問題はあったが、逆らわなければいくらかの援助やインフラ整備も約束されていた。経済格差は国内においてのみいえば、むしろ慣らされたとも言える。支配国の言語という留保付きで、教育も行われた。
我が国が奪われたのは、言語と名前だけだった。
私たちはしばしば名前のない地域、と呼称された。
そんなマンネリの状況に、異変が起きたのは数年後だ。
占領下において、ほとんどバラバラだった"我が国"は、奇妙な結束力を発揮し始めた。
ネット上で、国民を自称する者が現れたのだ。
合言葉は国名であり、暗号は国語だった。彼らは集い、会話した。母語による会話に熱中し、懐かしい思い出を語り合った。特殊なアルゴリズムを持ったSNSの拡充も、裏での繋がりを加速させた。
"我が国"はインターネット上にミームとして復活したのだ。
結局皆、どこかへの帰属を必要としていた。そう纏めてしまうことは簡単だが、実際のところどうだったのかは分からない。
はじめは革命とも反抗ともつかない、自我意識の萌芽だった。それは時とともに加速度的に成長し、膨張しつつあった。
当然行き着く結論は、"我が国"を取り戻すべき、というものである。
その先端こそが我が校であった。極右の勢力と色濃い関係を持つ学校では、生徒達に「愛国心」と、戦う方法を刻み込んだ。
その名の通りの言語教育から、登録番号の振られていないゴースト・ガンの入手と組み立て、集団による戦闘の訓練に、「正しい歴史と理念」の唱導まで。
占領後に生まれた子供達に、本来存在しないはずの民族意識を植え付けたのである。
「歴史からも、我が国が不当に占拠され、その名前と固有文化を奪われたことは明らかである。いずれの進路を選ぶ者も、それぞれが国民である矜持を持って相応しき行動をせよ」
卒業を控えた俺たちに、教師は卒業式では言えない言葉を懇々と語り聞かせた。仰げば尊し、というのも、たしか"我が国"の言語における一節だったか。全く恩着せがましい。
なんにせよ、俺たちは生まれた時から、支配国に従属するか、真の我が国に属するか、そのダブルスタンダードを両耳から叫ばれてきた。
だが、もううんざりだ。
俺はどちらにも帰属なんてする気はない。自分の生き方は自分で決める。愛国心なんてない。背負うなら自分の名前が書かれた旗であるべきだ。
学校は戦う方法だけを貰う場所だ。その戦いの是非にまで、干渉される筋合いはない。
傭兵としての働き口は既に確保している。しばらくはそこで稼いで、戦うべき理由は自分で考えよう。だからこの詩にだけは共感する。
今こそ別れめ、いざさらば。
仰げば尊し 桜木武士 @Hasu39
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