マフラー地蔵

葛瀬 秋奈

合掌

 祖母が怪我で動けなくなったので、代わりに私が六地蔵の世話をすることになった。町はずれの桜の木の下に立つこのお地蔵様は、町の守りと信じられているらしい。

 小さい頃は祖母と一緒によくお参りに来たものだが、小学校に上がった頃から足が遠のいており、中学に入ってからここに来たのは初めてになる。


 久しぶりに見るお地蔵様たちの顔は無表情にも見えるが、どこか穏やかさがあり、不思議と心が満ち足りた感覚になった。

 大切にされてるのもわかるなぁと感じながら、私は手を合わせた。それから持参した水とアクリルたわしを使って、少しずつ丁寧にお地蔵様を磨いていく。


「今日もご精が出ますねぇ水嶋さん……ってアレ、孫のほうか」


 後ろから声をかけられて振り返ると、同じクラスの段田くんが立っていた。段田くんは理科と音楽が得意な背の低い男の子だ。少々理屈っぽいところがあるものの、男子の中では比較的話しやすい。


「こんなところでどうしたの、段田くん」

「どうしたの、はこっちのセリフだよ。うちの寺、そこの坂の上なんだ」

「あ、私はおばあちゃんの代わりで来たの」

「ああ……そういえば父さんからそんな話を聞いたような。ばあちゃん大丈夫なの?」

「腰やっちゃって動けないだけで、元気そうではあるよ」

「そっか。でも年寄りはそのまま寝ついちゃったりもするからちょっと心配だな」

「まぁね。その為にもお地蔵様を綺麗にしてお祈りしないと」

「そうかもな。ここの地蔵は町の守りだし」

「……あのさ、気になってたんだけど段田くんてお寺の子なの?」

「あれ、知らないんだっけ。水嶋さん町内会の集まりとか来ないからなぁ」


 図星だった。非難がましい目を向けてくる姿に、少々居心地が悪くなる。


「うーむ、面目ない」

「ま、俺らの年頃じゃそれが普通だ。俺だって別に出家するわけでもないしな」

「そうなの?」

「俺、将来は科学者になるつもりだから」

「へぇ、すごいね」

「すごい?」

「だって、私たちまだ中学生だよ。それなのに将来の事ちゃんと考えてるって、すごいよ」


 自慢じゃないが私は志望校のことすらまだ考えてない。それに比べたら本当に偉い。尊敬する。


「水嶋さんって、ちょっと変わってんな」

「よく言われる」


 呆れ顔の段田くんに私が笑ってそう言うと、段田くんも笑った。いつも難しい顔をしているから、笑顔になると少し幼く見える。


「段田くん、ちょっとお地蔵様に似てるね」

「坊主頭だから?」

「ううん、なんとなく、雰囲気が」

「そんなの初めて言われたよ」


 それ以来、私がお地蔵様のお世話に行くと段田くんが通りがかることがあり、私たちは少しずつ仲良くなっていった。


 そんなある日のこと。


「段田くんに、折り入って相談があります」

「どうしたの。俺でいいなら聞くけど」


 私の唐突なお願いに、段田くんは快く応えてくれた。


「前に他の町で前掛けを着けてるお地蔵様見てさ。で、うちのお地蔵様も何かつけたらどうかと思うんだよね」

「何かって、水嶋さんが作るの?」

「実は、ちょっと前にハマって編んだものの持て余してるマフラーがちょうど6本あって」

「その妙な行動力はどこからくるのさ」


 面倒くさがりなくせにハマるととことんやってしまう性格なのだ、私は。


「やっぱりマフラーだと変かなぁ?」

「お供えってことなら、いいと思うけど」

「そうかな。じゃ、さっそくつけてみよう」

「持ってきてたんかい」


 持ってきていたのだ。すでに磨いて綺麗にしたお地蔵様に、マフラーを丁重に巻いていく。


「どうよ、結構いいんじゃない?」

「おお、笠地蔵ならぬマフラー地蔵だな。赤、橙、黄、緑、青、紫か。あと1色でレインボーカラーだ!」

「せっかく作ったのに誰も使う人がいなくてさ。私自身はネックウォーマー派だし」

「なんで6本も作った……てか、そんなら俺が」

「えっ?」

「あ、いや、何でもない」

「あはは。実はもう1本、藍色を編んじゃってるんだよね。使ってくれるならそれをあげるよ」

「水嶋さんさぁ……ま、いいや。ありがとう」

「こっちこそ、いつも仲良くしてくれてありがとう。今後ともヨロシク」


 マフラーが完成するまでには、祖母の怪我が良くなりますように。そう願いながら、私はいつものようにお地蔵様に手を合わせた。



 +++



「あれからもう何年だろうな……」


 満開の桜の下、擦り切れて色あせたマフラーを巻いた六地蔵を眺めながら、段田だんだ たすくは誰に言うともなく呟いた。手には中学時代の同級生、水嶋みずしま 咲良さくらがくれた藍色のマフラーが握られている。その姿は彼女と最後に別れの挨拶を交わした日とだった。その身に纏った墨染めの衣以外は。


 地球の滅亡が確定した日、段田はある博士の助手として滅びの未来を回避する為の研究に明け暮れていた。その研究の副産物として段田は少年の姿のまま老いて死ぬことはなくなったが、陽光の下に出られない体になった。それは同時に二度と故郷へ帰れないことを意味していた。


 この風景は仮想現実として再現された記憶の中の町だ。現実の故郷は荒れ果て、もう誰も住んではいないだろう。探査ロボットの送ってきた映像がそれを伝えていた。

 だからこの景色は、段田にとって墓標だった。あの日確かに存在した人々の記録であり、何もできなかった己への戒めだ。


 段田が現在暮らしている地底世界には、彼と同じようにへと変わることで終末を生き延びた元人間たちが移り住んでいる。彼らの安寧を守ることが今の段田の仕事だ。文明が崩壊しても、彼らがいる限り人類の歴史は終わらない。少なくとも、段田と仲間たちはそう信じている。


 けれど、そう簡単に割り切れるものでもない。段田は研究用の白衣を脱ぎ、僧衣を纏うようになった。正式な出家ではない。袈裟もつけていない。気持ちの問題だ。


 内なる故郷に手を合わせ、永遠の少年は今日を走り続ける。その痛みこそが人間の証なのだと、祈るように。

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