リベンジ・オブ・ゴリラ ~質量は世界を救う~

蒼天 隼輝

密林一本勝負、見届けるでごわす!

 ジャングルの中に鳴き声が響く。何かに怯えて後ずさるそれらは、メスのマントヒヒたちだった。逃げ出せばハーレムの主にかみ殺される事すらあるため、後ずさりはすれどメスたちはそれ以上動けなかった。そのハーレムの主はというと、牙をむき出し毛を逆立て、尻だこを揺らし始めていた。現地のガイドたちに深紅の尻鬼クリムゾンケツタイフーンと恐れられるこのマントヒヒは、霊長類の中では小柄ながらも、実質上の密林のトップに君臨していた。

 乱入者は、マントヒヒの顔からチラ見えする尻にも臆さずどっしりと構えていた。怒りのこもった眼で見据えてくるその影は、深紅の尻鬼クリムゾンケツタイフーンの記憶にない。……それもそのはず、深紅の尻鬼クリムゾンケツタイフーンは、ハーレムの巨大化と尻を煌々と赤く染め上げることにのみ心血を注いできた。その際覇道の上に他の霊長類を屠り、勝利の証としてメスを奪った前科自体はある。だがそこはマントヒヒ、種族による対格差からは逃れることは難しい。よって……もしゴリラをターゲットにするのならば、まだ成熟していない若いゴリラや栄養失調で力を発揮できないゴリラ、いわゆる弱者しか狙わないのだ。

 だが、目の前にいるはどうだ。ゴリラという種に生まれたことで与えられた十分すぎる筋肉も脅威だが、それだけではない。そのゴリラは、他のゴリラにはあるまじきことに……心なしかふくよかだった。ほぼ筋肉の塊のはずのゴリラのシルエットの間に、柔らかな脂肪がまたがっていた。その分増える体積は、空気を押しのけ代わりに威圧感を置いていく。ゴリラでありながら、ゴリラではない。ジャングルに生きたために正常な生態系に慣れ親しんだマントヒヒ達には、この脂肪こそが恐怖の象徴となっていた。

 深紅の尻鬼クリムゾンケツタイフーンに復讐しに来たそいつは、もはやただのゴリラではない。あえて名付けるならば……がふさわしい。


 恐怖と興奮で、深紅の尻鬼クリムゾンケツタイフーンの尻ダコの揺れが爆速になっていく。猿、猿、猿……360°のパノラマを猿の顔が埋める円形の空間は、ゴリラリキシによって特別な意味を持ち始めていた。そう、女人禁制の時代などジャングルには古すぎる。時代はメスが手を取り合い、オスを戦いの場に追いやるためにしれっと土俵と化すのが最も賢いトレンドなのだ。


 メスが一斉にゴリラリキシに注目したのが気に入らない深紅の尻鬼クリムゾンケツタイフーンが、先に動く。素早く体毛の少ない胸に向かってジャブを放っては離れるヒットアンドアウェイ戦法だ。牙をむき続け、さらなる攻撃の可能性をちらつかせることも忘れない。


パァン!ポイン!ペイン!


 しかしその手は皮膚と共に脂肪にからめとられ、全く効いていない。ただでさえ体格のいいゴリラの大胸筋に余すことなく乗った柔らかな脂肪は、その大きさから乳房と呼んでも差し支えない。乳腺がないことを加味すると、ジェネリック乳房である。タイフーンと呼ばれる所以である高速移動を駆使して他の場所も殴りかかるも体の全方位を覆う脂肪の前に生半可な攻撃はなすすべがない。細いマントヒヒの腕、揺れるジェネリック乳房、訳の分からなさに波打つメスたちの顔、焦る赤い尻。地味な展開ではあるが、猿たちのボルテージは頂点に達しようとしていた。


**********


 ゴリラリキシと深紅の尻鬼クリムゾンケツタイフーン、そしてそれを囲むマントヒヒ達の輪からやや離れてこの対決を眺める影があった。湿度の高いジャングルの中でうっかりあせもができないよう、あえて着物を貫くこの巨体こそ、ゴリラリキシをこの世に生み出した元関脇、珍味丸であった。



「いいでごわす……そのままその時が来るまで耐えるでごわす」



 史上最高のちゃんこ鍋を求めてジャングルに入った珍味丸が、ぐったりしているゴリラを見たのが事の発端であった。

幼いメスを引きずっていくマントヒヒにボロボロのゴリラが食い下がるも、見かけに反して攻撃性の低いゴリラはマントヒヒの牙に怯えてしまって取り残されてしまった。その後に響く鳴き声は、まるで泣いているよう……感性豊かな珍味丸は号泣し、ゴリラの元に駆け寄った。何とかしてメスを連れ去られないようにあがいた姿に感銘を受けた珍味丸は、ゴリラへの稽古を行わずにはいられなかったのだ。なお稽古とは、具体的には打ち込みと油分と糖分を多く含んだフルーツを使ったゴリラ専用冷製ちゃんこ鍋の爆食わせである。

 本来取らない脂肪分が大量に来れば、体内の微生物が処理しきれない。そうして皮下脂肪としてたまっていった結果、攻撃と防御を兼ね備えたゴリラリキシが誕生した。全てはこの時……深紅の尻鬼クリムゾンケツタイフーンとの戦いのためである。


 一方的に取った弟子の晴れ舞台をそっと遠くから、時々ジャングルで仕留めた獣肉をかじりながら珍味丸が見つめる。ちなみにこの獣、専門家の間では新種と騒がれた貴重な動物であるのだが、珍味丸が今かじっている肉が最後の1頭となる。今まさに一つの種が滅びている瞬間なのだが、そのうまさとカロリーを差し出されては、珍味丸を止める者がいないのである。



「……ごっつあんです」



**********


 ジャブではどうにもならないと気が付いたのか、深紅の尻鬼クリムゾンケツタイフーンがついにヒットアンドアウェイをやめて間合いを詰める。そしてハーレムに振りかざし続けてきた伝家の宝刀、鋭い牙に武器を切り替えた。むき出しになった牙は、やはり体毛のない胸に突き刺さらんとまっすぐ向かってきていた。

 その瞬間を、ゴリラリキシは見逃さない。一歩踏み込んだのち伸ばされた手は、深紅の尻鬼クリムゾンケツタイフーンの後頭部に差し込まれ、そのまま素早く引き寄せる。そして――――――



ポコポコポコポコポコポコポコポコポコポコポコポコポコポコポコポコ!!



 ゴリラリキシの高速ドラミングに、深紅の尻鬼クリムゾンケツタイフーンが巻き込まれている。顔面からその豊かな胸板にダイブし、深紅の尻鬼クリムゾンケツタイフーンの牙は無効化されている。さらにそこにドラミングの手が来るのだが、こちらもただでさえ柔らかい手のひらのため、衝撃が程よく吸収されている。痛くはないがなすすべはない、深紅の尻鬼クリムゾンケツタイフーンの繊維をそぐには十分すぎる技であった。

 深紅の尻鬼クリムゾンケツタイフーンが、戦意を喪失してメスを大きく飛び越え離れていく。それを皮切りに、集まっていたメスたちも一斉に散っていった。一部は深紅の尻鬼クリムゾンケツタイフーンを追っていったが、何度か逃げようとしたと思われる傷持ちのメスは、明後日の方へと走り出す。暴力で無理やりまとめ上げてきたハーレムが、終わりを告げた瞬間でもあった。



「さすがでごわす!これこそ純粋な勝敗をつけるためだけの慈悲の決まり手、叩き胸でごわすぅぅぅぅぅ!!」



 感極まり、意味不明な独自の決まり手を叫びながら珍味丸が号泣する。メンタルがやられたのか案外吼えないゴリラリキシの代わりに、一人の力士の嗚咽が数時間ジャングルの中に響いていた。

 なお、ゴリラリキシが深紅の尻鬼クリムゾンケツタイフーンに執着した理由のメスのゴリラは体格の有意差でその後すぐ逃げているため、感動的な再会などは一切起こらなかった。


**********


 この戦いの後、自分よりも強いものが出てきてしまった影響で深紅の尻鬼クリムゾンケツタイフーンはおとなしくなり、威嚇の後に持っている荷物を盗まれる被害は減った。代わりに一度居座ると全く動かないゴリラリキシは、威嚇も効かないこともあって地元のガイドたちには不動のデブファッキンファットと呼ばれるようになったという。

 そして珍味丸はというと、入国審査を突っ張りで押し通った不法入国罪と、正規の発見のはずだった新生物を(ちゃんこ鍋の材料にして)絶滅させた疑惑から、この決戦の三日後、ついに日本へ強制送還されたのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

リベンジ・オブ・ゴリラ ~質量は世界を救う~ 蒼天 隼輝 @S_Souten

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る