尊い王子は三歳児

黒いたち

尊い王子は三歳児

「サニス。あし、にげちゃった」


 そう言っていだズボンを持ってきたのは、三歳になったばかりの第三王子、クロト様だ。

 ふわふわの髪の毛に、ぷるぷるのほっぺ。

 見た目は、かんぜんに天使だ。


「クロト、トイレしたの。でも、あし、にげちゃった」

「おトイレできて、すごいですねー!」


 おおげさにめながら、クロト様からズボンをうけとる。

 ズボンの片足部分が、中に入ってクシャクシャになっていた。

 

「ズボンのあし、みつけましたよ」


 直してあげると、クロト様の顔がパッと華やいだ。


「じぶんではく!」

「はい、おねがいします」


 クロト様が、一生懸命ズボンをはいているのを、微笑みながら見守る。

 

「できた!」

「おじょうずです」


 クロト様が、ニパッと笑顔になる。

 ズボンの前後が逆だが、いつものことだ。

 得意げなお顔はかわいらしく、私のほほを限界までゆるませた。


 今日も第三王子クロト様が、尊すぎてしあわせです!!






 私、サニスは、第三王子クロト様付きのメイドだ。

 クロト様が日々健やかにご成長あらせられるように、彼を見守るお仕事だ。


 私が王城のメイドになったのは、十三歳のときだ。

 その年にクロト様がお生まれになり、先輩メイドと一緒に、クロト様のお世話をすることになった。


 クロト様のことは、年の離れた弟のようにおもっている。


「サニスのおひざ、すわる」

「はい、どうぞ」


 天使のようなクロト様にもなついてもらえ、毎日充実した日々をすごしている。


「サニス、おそと、いこ」


 クロト様が、窓の外の庭園ていえんを指さす。


「クロト様、このあと授業なので、終わってから行きましょうね」

「いや!」


 授業より、庭を駆けまわりたい気分はわかるが、うなずくことはできない。

 ここで甘やかすのは簡単だが、将来困るのはクロト様ご自身だからだ。

 

「せんせいが、クロト様と会えるのをたのしみにしていますよ」

「いやー!」

「クロト様、せんせいに書いたおてがみ、今日わたすんですよね? どこにおきましたっけ? いっしょにさがしましょうか」

「いやあーっ!!」


 クロト様は、イヤイヤまっさかりだ。

 ふだんはだまされてくれることが多いが、今日は手ごわい。


 クロト様は私の手を振りはらい、換気のために開けていたまどから、庭園へと逃げて行った。


 あわてて後を追った私は、息をのんだ。

 クロト様が、高いへいに、よじ登っていたからだ。


「クロト様!」


 おもわず声を上げる。

 私の大声におどろいたクロト様が、へいから手を離し、落下した。


「うあああん!!」

「お怪我は!?」


 クロト様が、大声で泣き始めた。

 すぐに医者が呼ばれ、その間、私は何もできずに見ているだけだった。






「サニス、今いいかしら」

「メイド長」


 その日の夜。

 メイド長に声をかけられ、昼間の件かと身構える。


契約更新けいやくこうしんの時期だけど、あなたの意志を確認したいわ。あなたの働きぶりは評価ひょうかしているし、できれば残ってほしいのだけど」

「残っても……いいのでしょうか」


 出した声は、無様ぶざまに震えていた。


「クロト様のことを気にしているのね」

「はい」

「サニス。独身のあなたにわかれというのは何ですが」


 メイド長は、キリッと顔をひきしめた。


「男の子とは、ああいうものです」


 予想と違う言葉に、私は耳をうたがった。

 こちらの監督不行かんとくふゆとどきで、王子に怪我けがを負わせたのに……?


「人の話を聞かない。深く考えない。今が楽しければいい。危険なことをおもしろがる。汚いことは気にならない」

「あの、メイド長?」

「だから、考えるだけ無駄むだです。かすり傷のひとつやふたつ、なんですか。第一王子様など、今はおちついていらっしゃいますが、幼少期は手のつけられないくらいの暴れん坊で、両手両足を骨折こっせつなさってもりずに危険に飛びこんでいくような子供でしたよ。男子に多くを望んではいけません! さいあく生きていればいいのです!!」


 第一王子様付きだったメイド長の言葉は、どっしりと心に響いた。

 

契約更新けいやくこうしん、しておきますよ」

「……はい」


 にっこりと微笑むメイド長におされ、うなずいた。






 次の日。

 クロト様の部屋を訪れると、いきなりクロト様に抱きつかれた。


 とっさのことに固まっていると、部屋のすみに居た先輩メイドたちが、手でしゃがめと合図あいずをしてくる。

 わけがわからずしたがうと、クロト様の天使なお顔が目の前にあった。


「サニス、ほっぺ」


 チュッ♡


「こっちも」


 チュッ♡


 止める間もなく、クロト様は私の両頬にキスをした。

 

「サニスごめんね! だーいすき!!」


 そして、ニパッと笑って、もういちど私に抱きついた。


天使てんし……」

とうとい……」


 先輩メイドたちの本音ほんねが口からもれる中、私は次の契約更新時けいやくこうしんじにも絶対に継続けいぞくしようと、気の早すぎる決断をした。






 そして、月日は流れ――。

 十五歳になられたクロト様だが、天使のようなお顔は健在けんざいだ。


「サニス、疲れたから、おひざ貸して」

「はい、どうぞ」


 クロト様が休憩用に置いた長椅子のはしに座る。

 クロト様がいそいそとやってきて、私のひざに頭をのせた。


「ねえサニス。庭園のバラがキレイだよ。一緒に見にいこう」

「クロト様。授業が終わってから、いきましょうね」

「えー」


 身長は私と変わらないほどに伸びたが、授業の前に逃げ出そうとするところは、三歳のころから変わっていない。


「じゃあ、授業がんばるから、ハグして」

「しょうがないですね」


 私のハグひとつで、授業を受けてくれるなら、たやすいものだ。

 起き上がったクロト様に、軽くハグをして離れる。

 

 いつもならこれでだまされてくれたが、今日は手ごわかった。


「サニス、ほっぺ」


 チュッ♡


「こっちも」


 チュッ♡


 止める間もなく、クロト様は私の両頬にキスをした。

 

「サニス、だーいすき!!」


 そして、ニパッと笑って、もういちど私に抱きついた。

 三歳のころから変わっていない甘え方に、私の頬が限界までゆるむ。

 今日も第三王子クロト様が、尊すぎてしあわせです!!




 それでも。




 ガッシリとした体つきになってきたクロト様とハグをするのは、なんだかすこし気恥ずかしく感じてしまった。

 私の赤くなった耳を見て、クロト様が天使ならざる笑みを浮かべていたことなんて、その時の私には知るよしもなかった。

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