彼の尊き収蔵品

冬野瞠

或いは強烈な愛について

 驚異の部屋(独:Wunderkammer)

 16世紀から17世紀にかけて、欧州の王侯貴族が邸宅内に設けた珍品陳列室。世界中から目を惹く物が収集された。ヴンダーカンマー。

 いくつかのコレクションは今日こんにちの博物館の前身となった。



「物に元々価値があるわけではない。いつだって人間が、物の中に価値を見出だす」


 身なりのいい男が、広い屋敷の廊下を歩きながら高説をのたまっている。歳は三十代半ばか。男盛りといっていい年頃だ。


「動物だって自分が食べる物には価値を見出だせるだろうが、何ら役に立たない、ただ美しいだけの物を愛でることができるのは人間だけ。しかも、審美眼が優れた一握りの、ね」


 男に付き従う形で話を聞いているのは、上品な格好の妙齢の女だ。うっとりするように、陶酔に近い目をして男の言葉に聞き入っている。

 広い館だった。男がたえなる才能を駆使して一代で築いた財産は、ほとんどがわざと古めかしく建てられた洋館と、館の中に収められた多種多様な陳列品にぎこまれていた。

 数えきれないほどの部屋それぞれに、膨大な数の種々の博物が陳列されている。例えば動物の剥製、骨格標本、液浸標本、毛皮、角、化石。それから昆虫の標本、植物の標本、種、珪化木けいかぼく、海辺に漂着した貝殻、色とりどりの鉱物、金属、人間が太古に使っていた矢じりなどの道具、中世の生活雑貨、産業革命後の緻密な機械、ガラス製品、様々な年代の地図、地球儀、天球儀、古文書、稀覯本きこうぼん、オペラや演劇のチラシまである。天井付近には鯨の全身骨格が空中を飛んだり、太陽系の惑星を模した模型が整然と並んだりしている。

 破格の価値がある貴重品から石ころ同然の物品まで、おおよそ世界の縮図といえるものがそこにつどっていた。

 男はことにめぼしい収蔵品に解説をつけながら、館の奥へ奥へと同伴者をいざなっていく。


「そら、この昆虫の標本を見てごらん。体長一センチにも満たない小さな虫だけれどね、腹があるべき部位に頭が生えているんだ。この双頭の羽虫は私が見つけたのだよ。こいつを発見した瞬間は興奮したものだ」


 女は頷き、ほほえみながら着いていく。この男を愛し、男に愛されるのは、並の女性にはできない芸当だ。女は男の趣味や価値観を理解できるからこそ驚異の部屋――もはや驚異の館と表現するべきか――に招かれた。

 この敷地には、男に認められた存在しか入ることを許されない。それが物でも、人間でも。


「この部屋は……今は見学をやめておこうか。ここには拷問器具のコレクションが並べられているからね。君のような繊細な女性には、ちょっと刺激が強すぎるだろう」


 男は一室を飛ばして、とうとう館の一番奥まった場所にある部屋にたどり着いた。そこは他のより頑丈なドアがついていて、しかし内部空間は小ぢんまりとしており、個人的な書斎めいた雰囲気だった。窓はなく、レトロな照明がぼんやりと室内の様子を浮かび上がらせている。

 天井まで届く棚に、乱雑ともいえるほど無秩序に収蔵品が陳列されていた。しかし、男の説明を聞きながら彼の思考回路をトレースしてきた女には、雑多な陳列品を繋ぐ文脈が手に取るように分かった。さながら部屋全体が丸ごとひとつの、彼にしか描けない、細い糸で織った絵織物えおりもののようだった。

 さて、と男が立ち止まり、部屋の最奥にあるものに視線を注ぐ。そこには、高さニメートル弱の、ガラス張りの直方体が鎮座していた。館の中でそのケースだけが伽藍堂がらんどうで、女はどこか奇妙な印象をいだく。それはまるで――立てられた棺桶のように見えたからだ。

 さすがの女の内心にも、そこはかとない不安が生じる。

 女の不安定な心情に構うことなく、男はいよいよ歌うように言葉を紡いでいく。


「美しいものを永遠に美しく留めようと、私は己の審美眼にかなう品々をこの館に集めてきた。美を留めるにあたって、最も大きな妨げになるものは何だと思うね。……それは時の流れだ。特に、生きとし生けるものにとって時間は致命的だ。私や君は今は美しいけれど、いずれ時は美を不可逆的に損なってしまう。私が思うに、生物の美を固定できるものはひとつしかない。たった、ひとつだ」


 男は顔を強張らせた女に笑いかけた。女はぎこちなく、口の端で気丈に笑いを返す。

 ご覧、と館の主は掌でガラスケースを示した。


「これは私の、最愛にして究極の収蔵品を収める場所だ。然るべきものが収まって初めて、この館は完全な姿になる。ここまで私の言葉を聞いてきた君になら、それが何か分かるのではないかね?」


 女はケースをっと見る。彼女の中で、悪い予感はどんどん膨れてきていた。きっとそこには、人間が入るのに違いない。その人物は、自然に考えるならば――。


「もう見当がついているのだろう? そう、君に頼みたいことがあるのだよ。それは」

「お、お待ちになって」


 制止する女の声は震えている。

 目には強い恐怖と明確な拒絶の色。


「わ、私、できませんわ。死んだ後でそんな風に、まるで見世物みたいにガラスケースに収まるなんて……」


 女の目には既に見えていたのだ。死に化粧を施され、永遠の美しさを保った自分を、ガラス越しに愛でる男の姿が。

 色を失い、半歩後退あとずさりながら首を振る女の前で、男は「あっはっは!」と高笑いしてみせた。

 よほど可笑しかったのか、目尻に涙まで浮かべている。懐から手巾ハンカチを取り出しながら、失敬失敬と取り繕う顔はまだ緩んでいる。


「いやこれは失礼、しかし君があんまり突飛なことを言うものだから。私は君に、このケースへ入ってもらおうなんて考えてもいないよ」

「じゃあ、頼み事とは……?」


 そこで男はガラス製の棺桶に向かってがばりと両腕を広げた。にわかに全身を駆け巡った興奮が、彼の白皙はくせきの頬に朱を施す。


「このケースに収まるべきものとは何か? 答えは当然、。そう、この私! 君への頼み事というのはね、私が服毒して永遠の眠りについたのち、全身を防腐処理してケースに収めてほしいということだよ。それによって私のコレクションは完全で完璧なものとなる。もちろん、この館には人が常駐していなくてはいけない。尊いものは愛でられてこそ美を発揮できるからね。だから君には、その人材の確保も……おや」


 直方体に熱い視線を注ぎながら話していた男が振り向くと、そこにもう女はいなかった。

 強烈すぎる男の自己愛に恐れをなし、回れ右で逃げ出した後だったからだ。

 男は残念そうに眉尻を下げ、独りつ。


「やれやれ、これで最終段階で逃げたのは18人目か……。また人間を探さねば。私の尊いアイデアを実現してくれる人間を」


 彼が収集した宝物だけが、その心からの嘆きを聞いていた。

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