最終話 何にもなれないジョーカーは

「ジョーカーはこのあとどうするんだ?」

 テンが荷造りをしながら彼にそう尋ねたのは、期限の一か月をちょうど迎えた日のことである。すっかりジョーカーの冷静なようでいてどこか抜けているところや生真面目な性格を気に入ったテンは彼と行動を共にすることが多くなっていたのだった。

 だからつい、踏み込んだ質問をしてしまったのも無理もないことだろう。

 ジョーカーはと言えば、少し考えるそぶりを見せた後テンをまっすぐに見据えて口を開いた。

「自分は、兵器人間としてここに残ろうと思います」

「え?」

 思いもよらなかった答えにテンの口から思わず間の抜けた声が出る。そしてわななく口で事の真偽を問いただした。

「それって、死ぬってことか?」

 死なんて数えきれないほど見てきたし、数えきれないほど殺してきた。それでも動揺してしまうのはきっともうすでに彼のことを仲間だと認めてしまっているからだろう。そんなテンの様子など意に介さず、ジョーカーは淡々と言葉を続ける。

「もともと、そのためにここに来たんです。ですから、悲しむことなんてないんですよ」


 ジョーカーはずっと生きるのをやめたかった。

 優しい父と明るい母。彼らと織りなす穏やかな生活はきっと人からすれば羨ましがられるものであることは自覚している。

 それでも、漠然とした生きる不安が胸を巣食っていた。

 何のために生きているのだろう。いつか死んでしまうのに、どうして精一杯生きなくちゃいけないんだろう。何にもなれないなら生きていても意味がないんじゃないだろうか。

 だからジョーカーの兵器人間としての素質が目覚めて彼のもとに組織の人間が現れた時、ジョーカーは心底安堵したのだ。

 これで死ぬ大義名分ができた、と。

 けれど現実はそうはうまくいかなかった。ジョーカーが戦場に赴く前に戦争は終わりをつげ、彼は用無しの兵器人間に成り下がってしまったのだ。

 そんな彼に任務が与えられる。

 兵器人間を人間に戻すための手伝いをすること。ただし……

 そこまで話して、ジョーカーはおもむろに口をつぐむ。

 テンはと言えば静かに彼の話を聞いていたが、不意にそっと言葉を唇に乗せた。

「確かに、生きてりゃいつか死んじまうし、悲しむのはおかしいよな。でも、」

 栗色の瞳はおだやかな輝きに満ちている。目の前の彼の心のままの言葉をひたすらに受け止めて、そして何か少しでも良い方に向けることはできないかという傲慢な輝きに。

「死んだからって生きてたことが無駄になるわけじゃないだろ。楽しいって思い出はずっとなくなったりしない」

 そうしてテンはジョーカーに向けて手を差し伸べる。

「どうせなら死ぬまででいいから楽しい思いしようぜ。死にたきゃ死ねばいいけど、まだ少し早いだろ?」

 テンはまっすぐにジョーカーを見つめる。

「オレたち、友達になろうぜ」

 差し出された手を前に、ジョーカーは混乱していた。

 ずっと何にもなれないと思っていた。けれど、今目の前の少年は違うと言ってくれている。

 自分は、この手を取っていいんだろうか。

 この手を取るということは、取ることのできない誰かを生むということだ。

 戸惑うジョーカーにしびれを切らしたのか、テンは強引に手をつなぐとそのまま勢いよく歩き出す。そうして向かった先は残りの仲間が待つ居間だった。

 手をつないで登場した二人に一同は少し目を丸くする。一番最初に口を開いたのはキングだった。

「なんだお前ら。仲良しこよしか」

 からかうキングをひと睨みすれば、舌を出してますますあおる態度を彼がとる。それをこら、とたしなめるように小突いたのは安静状態を保ちつつも退院したエースである。けれどキングが文句を言うよりも早くクイーンが眉を吊り上げて「王様を叩くなんて!」と抗議した。この三人は相変わらずだ。

 彼らはクイーンの故郷で三人で暮らすことを決めたらしい。きっと今までと変わらないにぎやかで騒がしい日々が続いていくのだろう。

「そういや、ジャックは?」

 まだジャックの行き先を聞いていなかったな、とテンが話の矛先をジャックへと向ける。

「お前も人間に戻るんだろ。どうするんだ?」

 当のジャックはと言えば微笑みを返した後「どうしようかな」と首を傾げた。「どこか旅にでも行こうかな……テンは一人で大丈夫?」

 穏やかでマイペースなところはいつでも変わらない。二人で一緒にいられないのは寂しいけれど、ジャックにもジャックの人生があるのだ。だからテンはほんの少しの強がりを込めて胸を張る。

「大丈夫。ジョーカーもいるし、それにオレはジャックの友達だから」

 いつかジャックは「テンは僕の友達だから大丈夫」と言ってくれた。

 だから少しくらい離れていたって、大丈夫。そう伝えれば一瞬ジャックはぎゅっと眉を寄せた後眉を下げて笑った。

「……うん。僕も大好きだよ」

 その言葉を皮切りに、彼らは各々の場所へ向かってゆく。なにかを心配しているのか歩き出そうとしないジョーカーの手を引いてテンも目的の場所に歩みを進めた。

 きっと、大丈夫。

 生きてさえいればきっと、なにか楽しいことが待っている。

 そんな希望を胸に、テンはジョーカーと共に新たな一歩を踏み出したのだった。









 最後に一人残された館で、ジャックは一人息を吐く。「戸締りをするから」と嘘を言って残ってしまった。思えば自分はずっとテンに嘘ばかりついてきた気がする。そんなんじゃ本当の友達になれないのも仕方ないだろう。

 彼女はソファに腰掛けるとずるりと力を抜いてしなだれかかった。食料も水もいくらかはある。

 あとはここで戦争兵器として処分されるのを待つばかりだ。

 本当のことを言えば、きっと自分はテンと一緒に生きたかったのだと思う。けれどさっきジョーカーの手を引いたテンを見たときにわかってしまったのだ。

 友達として敵わない、と。


 ジャックはずっと男の子になりたかった。

 兵器人間として生きるには女は脆すぎる、と思って男装を始めたのもある。もちろんクイーンにはすぐに見抜かれてしまったけれど。

 けれど一番の理由はそうすれば、テンの隣にいられると思ったからだ。

 ジャックはテンに尋ねてみたことがある。

「テンは好きな女の子はいないの?」と。

 そう聞けば、彼は眉間にぎゅっと皺を寄せたあと「わからない」と答えたのだった。

「恋とかそういうの、よくわかんねえよ」

 なにせ今まで生きていくのに必死だったのだ。突然そんなことを聞かれたって答えられるはずがない。けれどその答えはジャックの決意を硬くさせたのだ。

 僕はずっと彼の友達の「男の子」でいよう、と。

 けれど、彼の隣に「本物」の友達ができて、思い知らされたのだ。

 自分はちっともテンを「友達」だとおもっていなかったことに。女の子は男の子の友達にはなれないという残酷な事実に。

 ああ、自分はテンの隣にはいられない。

 それだけならまだ泣いて暮らせばよかった。けれどジャックは気づいていたのだ。勝利したわけではないミハズ王国の兵器人間の中からきっと戦犯を差し出さなくてはいけないだろうということを。

 その嫌な予感は見事的中した。ジョーカーに問いただせば、彼がここを訪れた理由はその一人を探し出すことだという。だからジャックは声を上げたのだ。

 僕がその一人になるよ、と。

 死ぬのが怖くない訳じゃない。けれど大丈夫。自分には仲間と過ごした時間がある。

 テンと過ごした楽しい時間が、生きていた意味を作ってくれる。

 だから好きな人の未来を守るために、ジャックはその場で歩みを止めたのだった。



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何にもなれないジョーカーは 折原ひつじ @sanonotigami

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