第7話 ハートのエースは敵わない

 エースの人生はいつも「二番手」だった。

 出来のいい兄を持つエースはいつも兄に比べるとあと一歩届かないのだ。エースがハートのエースなのだとしたら、兄は切り札であるスペードのエースだろう。

 幸い彼の育った環境は穏やかで、両親も村の皆も比べるような真似はしなかったし、エース自身も一番にこだわることはなかった。両想いの幼馴染もいたこともあって、エースは愛情深さを表すハートのエースである自分が結構好きだったのだ。

 けれど、キングだけは違う。

 兵器人間として施設を初めて訪れたあの日、キングから手厚い「歓迎」を受けてからと言うもののエースにとってキングは無視できない存在となっていたのだった。

 見た目も中身も何もかも、客観的に見ればエースの方が優れていると判断する人は少なくないだろう。それでもエースの中でキングは勝つことのできない相手として心に刻み込まれていたのだった。

 アイツにだけは負けたくない。

 その思いに突き動かされて、エースはここまで生き抜くことができたのだ。

 



 それは平和が訪れた今だって変わることのない感情だった。

「この荷物は俺が持つ。チビのお前には無理だ」

「うるせえ、デカブツ。僕だってそれくらい持てるから寄越せ」

 月に一度の買い出しの日、エースとキングは競い合う様に荷物の奪い合いを繰り広げていた。クイーンやジャック辺りがいればいさめることもしただろうが、生憎付き添いはジョーカーである。彼はと言えば二人を止めることもなくただただ買い物の任務を淡々とこなすばかりだった。

「お二人とも。これが最後です。どちらが持ってくれますか?」

 二人が荷物持ちをこなしてくれるのでこれ幸いとジョーカーは役割を押し付けている。そう問いかければ二人は躍起になって「自分が」と声を荒げるのだった。

「じゃあ、まだ余裕のありそうなエースにお願いします」

 ジョーカーの公平なジャッジの上、選ばれたのはエースの方だった。キングはこれ以上持つと前が見えなくなる可能性があったからだ。

 悔しがるキングに向けて勝ち誇った笑みを浮かべるエースだが、やっていることは荷物持ちだ。何がそんなに彼らを駆り立てるのだろう、とジョーカーは内心で独り言ちる。

「それじゃあ、早く帰ろうぜ。この分なら飯にも間に合うだろ」

 そう呟いて先を急ぐキングの後ろに二人が続く。けれど不意にエースは歩を早めるとぐいと勢いよく彼の肩を掴んで抱き寄せた。

「あ?」

 そうして次の瞬間、エースの腹部を鋭い熱が襲う。小さくうめくエースの腹にナイフが突き刺さっているのを認めた途端、キングは目の前の女の手首を掴むと地面にたたきつけた。

「何しやがるッ」

 容赦なく地面に縫い付けられた女は痛みにうめきながらもとぎれとぎれに言葉を発する。

「よくも、よくも彼を……!」

 目に涙を浮かべる女ががむしゃらに腕を動かし続けるものだから、キングは加減しながらも一発女の腹に拳を叩きこんだ。そうすればぐったりと動かなくなった女を捨て置いて、キングはうずくまるエースの方を向き直る。

「テメエもさっさと立てよ。ナイフくらい僕たちにはどうってことないだろ」

 兵器人間である自分たちならナイフの刺し傷なんて致命傷には至らない。そう思って声をかけるキングに向けて、ジョーカーはと言えば信じられないといった様子で声を荒げる。

「何を言っているんですか?」

 そうして告げられたのは、およそ信じることのできない真実だった。

「エースは兵器人間ではありません。生身の人間です」




 数時間後、エースが運ばれていった病院に五人全員がそろっていた。顔を青くして黙りこくったままのキングに寄り添うように座るジョーカーが事のあらましを伝える。

 エースが人間であることを知っていたのは、ジョーカー唯一人だった。

「けど人間なら、なんでわざわざ兵器人間だなんて嘘ついて戦ってたんだ?」

 人間なら人間の兵士用の戦場があるはずだ。わざわざ危険性の高い兵器人間としての戦いを望むのはおかしいだろう。

「私のせいだ……」

 テンのもっともな疑問に答えたのは、クイーンだった。震える声で彼女は彼との間の秘密を語る。

「エースは、私の幼馴染だったんです」

 病院の待合室の椅子に腰かけながらクイーンはぽつりぽつりと言葉を漏らした。強くつむったまぶたの裏に蘇るのは、まだ二人が平和な村にいた頃の光景。二人は決定的な言葉こそないけれど、確かにお互いを想い合っていたのだった。

 そんな二人を引き裂いたのは他でもない組織である。そして別れの瞬間クイーンはエースに涙ながらに伝えてしまったのだ。

 助けて、と。

 その言葉だけをよすがに、エースはこんなところまで来てしまった。

「分かっていました。彼が私のことを追いかけてここに来たことくらい。彼に私のために死んでほしくなかった。だから私は彼に嫌われたくってわざとつれない態度を取っていたんです」

 声を涙で詰まらせながら、けれど懺悔するようにしっかりとクイーンは言葉を紡ぐ。

「いつか、こんなことになる気がしていたんです……」

 そこまで口にすればもうあとは言葉にならなくって、ひたすら彼女は涙にむせぶ。そんなクイーンを抱きしめたのはジャックだった。

「大丈夫。今までだって彼は生きて帰ってきたじゃない。今回も大丈夫だよ」

 そうは言うものの、今回ばかりはノーガードで腹の肉をえぐられているのだ。装備をそろえて死に物狂いで戦っている戦場とはわけが違う。

 その証拠に数時間たった今でもエースは目を覚まさないままだ。

 沈黙が満ちる一同の中で、キングが小さく声を漏らす。

「ふざけんなよ……」

 血の気が引いて真っ青だった顔に、わずかに赤みがさす。彼の黒スグリの瞳にギラギラとした光がともった。そしてキングは勢いのままに病室のドアを開けると未だに眠りについたままのエースの胸倉を掴んで叫ぶ。

「人間なら、僕をかばう必要なんてなかっただろ。そんなに僕は頼りないのかよ!」

 エースがキングを好敵手だと思っていたのと同じように、キングだってエースに負けたくなかった。そんな相手にかばわれて、それで命を落とされるなんてたまったもんじゃない。

「起きろ、起きろよ」

 そう叫びながらがくがくと揺らせど、いつもの憎まれ口は返ってこない。がなり声だけが病室にこだまする中、彼の手をそっといさめたのは他でもないクイーンであった。

「落ち着いてください、王様」

「黙っていられるかよ。だってコイツ」

 隻眼を吊り上げるキングに対して、クイーンは涙に濡れながらも毅然とした態度で言い切る。

「あなたのせいじゃありません」

 その言葉を受けて激しい嵐のようだったキングの手からするりと力が抜けた。そしてわずかに震えながら、キングは小さな小さな声で囁く。

「だって、お前、コイツのこと好きだろ?」

 それは、クイーンの中での一番の秘密だった。

 けれど彼女と一番長く時間を共にしていたキングにはよく分かっていたのだ。彼女の一番好きな人は自分だけれど、恋をしているのは別の人間だということを。

 だからこそ初めて目にした時からエースが気に食わなかったし、それと同時にこれでクイーンが幸せになれると安堵したのだった。

「伝える前にコイツが死んじまったらどうするんだよ。さっさと伝えちまえ」

 それなのに、それを他でもない自分がぶち壊したのだ。どうして平静でいられよう。

「いいんです、言わなくて」

 けれど、クイーンは困ったように眉を下げて笑った。

「彼を好きって認めたら、私はあの頃の弱い私に戻っちゃうから……」

 そうすれば、弱々しい表情を浮かべていたキングが苦虫をかみつぶしたような顔をする。そして無理やり頬に笑みを浮かべるといつもの通りふんぞり返ってこう言った。

「忘れちまったのか、クイーン。僕の言うことは絶対だ」

 それは、クイーンとキングが初めて出会ったときに伝えた二人の間の約束。

「それが守れたらお前のことは僕が護ってやる。だから好きなだけ弱くなれよ」

 その言葉にようやくクイーンの顔から作り笑顔が剥がれ落ちる。そうしてエースの傍に膝をつくと涙と共にクイーンは一つの言葉を口にした。

「好きです」

 ずっとずっと胸の中にしまい込んできた言葉が今になって堰を切って溢れ出す。

「私はあなたが好き」

 こんなところまで来てほしくなかった。クイーンに比べたらエースは弱く、戦力になっていたかどうかは分からない。

 それでもここでエースとまた会えて、どんなに嬉しかったか!

「だから目を覚まして」

 祈るように彼の手を握りながらクイーンは愛の告白を続ける。

 その様子を、テンはどこか遠くの出来事のように眺めていた。


 結局その日はクイーンを残して、テンたちは病院を後にしたのだった。


 


「眠れませんか」

 その日の晩、寝付くことができずにテンが居間のソファでホットミルクを飲んでいれば、後ろから声をかけてくる人物がいる。

 ジョーカーだ。

 彼もホットミルクで満ちたカップを手にしていることから、おおよそテンと同じ理由だろう。横に座れるように少し詰めてやれば、彼は軽い会釈をした後テンの横に腰掛けた。

「心配ですね」

 不意に単調な声でジョーカーが呟く。確かに心配ではあるのだが、テンが眠れないのは他の心配事によるものだった。

 誰にも言うつもりがなかったのに自然と彼の小さい口から悩みが零れ落ちたのは、ジョーカーの落ち着いた雰囲気によるものだろうか。

「いや、エースは人間なんだなって思ってさ……」

 好きな人のために命さえなげうつその姿は献身的で、破滅的だった。

 自分はあんなにも人を愛することが、愛されることができるだろうか。できてしまうのだろうか。

 そう思うとなんだか人間になるのが怖くなってしまったのだ。そんなこと考えること自体が不謹慎なのかもしれないけれど……

 一方のジョーカーはと言えば、その悩みを前にぱちくりと鋭い目を丸くしていた。そしてしばらくの沈黙の後、不思議そうに口を開く。

「あなたが愛されてないとは到底思えないのですが」

「そりゃあ、仲良い奴はいるけどさ。ジャックとか」

 けれど、愛とか恋とかそういうのじゃあないだろう。そう思ってため息を吐くテンを見つめながら、ジョーカーは言葉を選びつつ提案を口にした。

「それなら、練習しましょう」

「へ?」

 テンが驚きに顔を上げれば、真面目腐った顔でこちらを見つめるジョーカーと視線がかち合う。

「のめりこみすぎるのが怖いなら、ほどよくすればいいんです。それなら怖くないでしょう?」

 なんだそれ、と笑い飛ばすにはあまりに真剣な瞳が眩しくって、気づけばテンの肩からは力が抜けていった。

「じゃあ、どうにもならなくなったら頼む」

 だから少し照れ臭さを感じつつそう伝えれば、今度こそジョーカーはぎょっとしてみせる。

「え、自分ですか?」

 この流れでお前以外誰がいるんだよ。そうつっこもうと口を開いたタイミングで後ろから声を掛けられる。

「楽しそうだね。何の話をしていたの?」

 それはテンの相棒、ジャックだった。

「ああ、聞いてくださいよ。実はですね……」

 止める間もなくテンの悩みを話し出すものだから、いたたまれなくなってテンは慌ててカップの中身を飲み干すと「オレもう寝る」と言って駆け足でその場を去った。

 残されたジョーカーとジャックは顔を見合わせると、二人で軽く笑みを交わす。けれどすぐにジョーカーは眉を顰めるとジャックに向かって問いを投げかけた。

「いいんですか、あなたは言わなくって」

 そうすれば曇り空のような瞳を丸くした後、ジャックは眉を下げて笑う。

「いいよ。言っても変わらないし」

「そうですか」

 二人はそれ以上言葉を交わすことはなく、けれどその場をすぐに離れることもなく、ただただちびちびとミルクをすすって時間を共にしたのだった。





 私の名前を呼ぶのは誰だろう。

 故郷にいた頃の懐かしい名前。「クイーン」ではないもう一つの……

 そこまで考えたところで、クイーンは無理やり意識を覚醒させる。だって、ここで私の名前を呼ぶのは、

「おはよう」

 エース一人だけなのだから。

 朝日をバックにして笑顔を見せるエースの姿が眩しくって、クイーンの瞳からひとりでに涙が零れる。次から次へと溢れるそれに、エースは眉を下げて笑いながら優しくすくった。

「そんなに泣いたら目が溶けるぞ」

 気障ったらしいセリフも今はなんだか恋しくってクイーンは椅子から立ち上がると勢いよく彼に抱き着いた。そうすればバランスを崩して二人してベッドに倒れこむ。

「一生恨むところでした」

「一生俺のことを考えてくれるのか、嬉しいな」

 相変わらずの軽口をたたく口が憎らしく、クイーンはそのまま唇でそれをふさいだ。そうすれば彼が若葉色の瞳を白黒させながらクイーンへと問いかける。

「君、キングが一番好きなんじゃないのか?」

 だからクイーンは今度ははっきりと口にしてやるのだ。

「そうですよ。お前が二番目に好きなんですから、ちゃんと自分を大事にしてください」

 しばらくフリーズした後、エースはこれ以上なく幸せそうに笑う。そして今度は自分から彼女に口づけるべく顔を寄せたのだった。

「やっぱり君には敵わないな」





 

 



 


 

 

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