第6話 クイーン・ベッドに三人はいらない

 クイーンの故郷は郊外の農村地帯であった。のどかで穏やかな気候の元、優しい両親や賑やかな幼馴染に囲まれて何不自由なく育ってきた彼女の暮らしは、しかし十九歳のある日を境に一変する。

 彼女の兵器人間としての素質が開花したのだ。

 そこからはもう、地獄だった。

 組織に無理やり連れていかれそうになるクイーンを引き止めようと抵抗する者には容赦ない制裁が加えられた。

 それはもちろん彼女の両親たちにも。

 更に抵抗すればこれ以上の危害が及ぶだろう。それが分からないほどクイーンだって馬鹿ではない。

 そうして泣く泣く向かった先で出会ったのが、キングだった。


 キングは言った。

「泣くほど好きな場所があるんだったら、そこを守るために死ぬ気で戦えよ」

 その言葉は今でもクイーンの中で熱を持ち、彼女を支える指針となっている。そしてキングの存在こそが彼女が「クイーン」として生きるためのいわば背骨のような存在だったのだ。


 そして今、クイーンはその背骨をいきなり引き抜かれたようになっていた。

 突然姿を消したキングに動揺し狼狽する彼女をなんとか宥めた後、ジョーカーたち三人は額を突き合わせる。

「キングの奴、昨日までそんなそぶり無かっただろ」

「クイーンも覚えがないって言ってるしね……」

「何があったんでしょうか……」

 一番彼と距離の近いクイーンの知らないことを他のメンツが知っているわけもなく、ただひたすらに時間だけがいたずらに過ぎていく。

 ただ一人、エースだけは我関せずといった様子で食事を済ませると皿をもって席を立った。

 ジャックは声をかけようとして、やめる。キングと折り合いの悪いエースが何か知っているとは到底思えなかったのだ。


 だからエースは誰にも疑われることもなく部屋に帰ると、懐に隠し持っていたパンをベッドに寝転ぶ彼に手渡したのだった。

「ほら。何か腹に入れないと持たないぞ」

「……おう」

 キングはくるまっていた布団から顔を出すと普段の生意気な様子はどこへやらといった様子で大人しくエースの言葉に従う。

「皆お前を探してたぞ。そろそろ顔出してやったらどうだ?」

 けれどその言葉には答えることなく、キングはただただ無言でパンを口に放り込んだ。その様子に大きなため息を吐くと、エースは目の前にしゃがみこんで彼と視線を合わせる。

「そろそろ何があったのか、聞かせてくれてもいいんじゃないか?」

 昨晩遅く、けたたましいノック音にたたき起こされたエースがドアを開いた先に見つけたのは俯いたキングの姿だった。

「僕がここにいるって誰にも言うなよ」

 そう一言告げて部屋に押し入ったキングはまるで自身の部屋であるかのようにベッドを占領すると、そのまま黙り込む。普段とはうって変わって静かな姿がなんだか気の毒で、エースは仕方なくキングを自分の部屋にかくまっているのだった。

 けれど、すでに騒ぎになっているのだ。そろそろ潮時だろう。

 だからエースは、非常に不本意だが、なるべく優しい声を作ってそう尋ねてみる。そうすれば黒スグリの瞳を彷徨わせた後、わずかに俯いてキングは口を開いた。

「僕は、アイツのお荷物になってるのか?」

 いつもは強気な瞳に、かすかに不安の色がともる。

 ああ、コイツでもそんな顔をするのか。それほどまでにキングがクイーンをかけがえのないものだと感じているのが伝わって、エースは腹の奥がぐらりと熱くなるのを感じた。

「……悪かったよ。あれは言葉のアヤだ」

「けど、クイーンがあんなに怒ったのは図星だったからだろ?」

 フォローを入れたつもりが、思わぬ墓穴を掘ってエースは内心で小さく歯噛みする。けれどここで引き下がっては彼女とキングの溝は深まるばかりだろう。そうすれば彼女が涙を見せる未来は想像に難くなかった。

 けれどどんな言葉をかけたらいいのか分からなくって黙り込んでいれば、不意にキングがふいとそっぽを向く。けれどその前髪の隙間から確かに透明な雫が伝っているのがエースの目に入った。

 ……参ったな。

 いくら相手が恋敵とは言え、子どもは子ども。いじめたいわけではないのだ。内心で慌てつつ、エースは腰を浮かせるとハンカチをそっとキングの頬にあてがう。

「こするなよ」

 そう言って左目を隠す前髪を除ければ、そこには見るも痛々しい痣が残されていた。

 息を呑むエースの手を振り切って、キングはパッと顔を背ける。そしてしばらくの沈黙の後、キングは小さな声でつぶやいた。

「……よくある話だろ。僕の親がゴミだったってだけだ」

 そうとだけ呟くキングの姿がやけに小さく見えて、エースの胸がずきりと疼く。

 そうか。だからこそコイツはこんなにもクイーンに執着しているのか。

 キングにはもう帰る場所がないのだ。

 事情を分かってしまえば同情心こそ湧くが、だからと言って甘やかすのも違うだろう。だからエースは再びキングに向き直るとその重い口を開いた。

「どんな事情があっても俺からしたらお前は邪魔だし、さっさと独り立ちしてくれと思うよ」

 下手な慰めより、その言葉はキングの心を優しく撫で上げる。

 ああ、そうだろうとも。エースはクイーンを深く愛している。だからこそエースはキングを一人の男として認め、ライバルとして扱ってきたのだった。

 それがどんなに僕の救いになっていたかなんてきっとコイツは知らないだろう。

 そんな彼が今まっすぐにキングを見つめ、真摯な瞳で言葉を紡いでゆく。

「けど、俺がここに来るまで彼女を守ってくれていたのはお前だ、キング。クイーンはお前がいなくちゃダメなんだ」

 敵に塩を送るなんてどうかしている。けれどエースにとってそんなことよりもクイーンの笑顔の方が大事なのだ。

 クイーンの笑顔を作るには、キングの存在が必要不可欠だとエースは知っている。

「だから頼む。お荷物だろうがなんだろうが、クイーンの傍にいてくれ」

 その言葉と共に、エースはキングに向けて頭を下げた。

 そんなエースを見てキングはしばらくあっけにとられていたかと思うと、次の瞬間大きな笑い声をあげる。

「はは、お前。情けねえな」

「うるさいな。仕方ないだろ」

 好きな女の為ならばプライドなんて犬にでも食わしておけばいい。とはいえ鼻で笑われたのは腹に据えかねるので眉を吊り上げてキングの方を向き直れば、そこにはまなじりを下げてこちらを見据える彼の姿があった。

「仕方ねえからお前が頼りになるまでクイーンは僕が守っておいてやるよ」

 そして告げられたのは意外な言葉だった。

「キング……」

「まあ、一生お前のモノにならないかもしれないけどな」

 礼を言おうと開いた口からまた大きなため息が零れ落ちる。

「お前、ほんっと可愛げないな」

「テメエに可愛いとか思われたくねえからな」

 そう憎まれ口をたたき合いつつも、ふと二人の間にやわらかな空気が漂う。

 そしてキングが何か言おうと口を開いた瞬間、部屋のドアが勢いよく開かれた。

「王様、ここにいたんですね!」

 扉の向こうで肩で息をして立っていたのは他でもないクイーンだった。言い訳を連ねようとするも勢いよく抱きしめられたせいで胸に窒息して、キングは言葉さえさえぎられる。

 そして抱きしめたままクイーンはエースの方に向き直るときゃんきゃんと吠えた。

「エース。お前よくもだましてくれましたね!」

「いや、これには深い事情が……」

 苦笑いのエースとは対照的にクイーンは今にも殴り掛かりそうな雰囲気だ。慌ててキングはクイーンから距離を取ると、諭すように言葉を紡いだ。

「いや、今回ばかりは僕が悪い」

 自分が悪い、なんてキングが口にするのを聞いたのは初めてで、クイーンはエメラルドの瞳をぱちくりと大きく見開く。

 それより、とキングは小さく息を吸うと気になっていたことをそっと口にした。

「できれば僕とは出会いたくなかったんだって?」

「やだ、聞いていたんですか?」

 指摘してやれば一瞬呆気にとられた後、クイーンの白磁の肌が見る見るうちに赤く染まっていく。そしてうろうろと視線を彷徨わせた後、彼女は観念したように彼女なりのワケを説明し始めた。

「だって、王様にはこんなところで戦って傷ついてほしくなかったんですもの」

 それはキングが想像していた以上にポジティブで思いやりのこもった理由だった。

「会えないのは寂しいですけれど、例え会えなくても私の知らないところで幸せになってくれたらそれでいいんです。私のエゴなんですけどね」

 だから、こんなところで出会いたくなかったの。

 そう言い切ったクイーンの言葉がじんわりとキングの胸にしみてゆく。そうしていつもの調子を取り戻した彼はふんぞり返って偉そうに口を開くのだった。

「余計な心配って言うんだよ。僕はお前が思っているより強いし、お前のエゴくらい受け止めてやるよ」

「じゃあ今日も私と一緒に寝てくれますか?」

 その言葉にふは、とこらえきれなかった笑いがキングの口の端から漏れる。そして晴れやかな笑顔で彼はからかいの言葉を口にしたのだった。

「お前は本当に僕が好きだな!」

 その言葉を聞いて、クイーンはますます嬉しそうにキングへと抱きつく。そんな様子を見ながら、エースはまだまだ彼女のベッドに入り込めるのはキング一人だけらしいな、とため息を吐いた。

 

 

 


 

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