第5話 キングサイド・キャスリング
キングが初めて見た自分以外の兵器人間は、薔薇色の髪をした美しい女だった。けれどその顔には拭いきれない翳りがあり、一言で言えば「陰気くさい奴だな」というのがキングのクイーンへの第一印象である。
「こんなおチビさんが戦えるんですか?」
対するクイーンの十四歳の姿のままのキングに対する第一印象は失礼極まりなく、数秒後にものの見事にクイーンの顔にキングの拳が炸裂したのだった。
「うるせえな。ここでは僕がルールなんだよ」
実戦経験を持たないクイーンはただただ突然の暴力に怯え、震えるばかりである。
その姿が初めて人を殺した頃の自分と重なって、キングの胸がツキリと痛んだ。
だからだろうか。柄にもなくキングはしゃがみ込むとクイーンに目線を合わせてそっとその手を取る。そして小さな子どもに言い聞かせるように、けれど力強い声でこう言い切ったのだった。
「それが守れるなら、僕がお前を命懸けで護ってやる」
諦めにも似た絶望の色濃かったエメラルドの瞳に、僅かに希望の光が灯る。
「だから大丈夫だ」
これがキングとクイーンのファーストコンタクトだった。
その時の夢からぼんやりと意識を覚醒させれば、キングの目に穏やかな表情で自身を見つめるクイーンの姿が映る。ああ、ここはあの頃じゃない。現実の居間のソファの上だった。
「あら、おはようございます。もうすぐ夕食ができますよ」
膝枕から起き上がって時計に目をやれば、確かに時計の針は七時過ぎを指しているところだった。
「今日はエースが夕食当番です。王様のお口に合うといいんですが……」
「どうせアイツはお前の好きなもんしか作らねえだろ」
「仕方のない奴ですね」
そう呟く横顔は少し困っているような、それでも突き放しきれないなにかを感じさせてキングは自身の眉間に皺が寄るのを感じた。
クイーンは自分のモノである。だから後からノコノコやってきた優男に掻っ攫われるなんて死んでもごめんだったのだ。
「……今日は食う気分じゃなくなった」
だから気づけば彼の小さな口から子どもじみたワガママがこぼれ落ちる。対するクイーンはと言えば、パチクリと瞳を瞬かせたと思うとゆるりとまなじりを和ませて、キングを後ろからぎゅうと抱きしめた。
「食べるの面倒臭くなっちゃったなら食べさせてあげましょうか?」
そして繰り出される言葉のなんと甘いこと。自分にだけがそれが許されているのかと思えばすっかり気分が良くなって、キングは口の端をにんまりと持ち上げた。
「わかった。食えばいいんだろ」
けれど口からついで出たのは素直じゃない一言で、それすらもクイーンは嬉しそうに笑って頷いてみせる。
そんなやりとりをしていれば、居間に一人の男が姿を現す。今日のキッチン当番のエースであった。今晩のお供にする予定なのか、手には飲みかけのワインボトルが握られていた。
「クイーン、キング。晩飯出来たぞ」
「あら、どうも」
向き直ったクイーンが一歩エースの方に歩み寄れば、キングの狭い視界に二人の姿が収まる。背の高いクイーンよりも更に体格の良いエースがそうして並び立っているとまるでお似合いの二人に見えて、持ち直したキングの機嫌が急降下してゆく。
だからキングも一歩踏み込むとクイーンの腕を掴んで自分の方に引き寄せた。
「近ぇんだよ。色ボケ」
「なんだと、クソガキ」
そうして喧嘩を売れば同じくらいの熱量ですぐさま言葉が返ってくる。普段飄々としているコイツがムキになるのがおかしくって、キングはハッと鼻で笑った。
「いつも無駄なアピールご苦労さん。王様のモンに手ェだすとか良い度胸だな?」
キングの売り言葉にエースは素直に苛つきを見せる。そして若草色の瞳に嫉妬の炎を燃やしながらその形良い唇で買い言葉を吐いた。
「うるせえな。お前が王様でいられるのも彼女といる時だけだ。これから人間としてやっていくなら直したほうがいい」
その言葉に、キングの心臓がドキリと跳ねる。けれどそんなことお構いなしにエースは追撃を続けた。
「いい加減目を覚ませよ。いつまでガキのままでいるつもりだ」
そんなの、言われなくたって分かってる。いつまでも子どものままの身体とガキ臭い情緒。目の前の彼とは正反対のそれに歯噛みしながらも反論しようと口を開けば、それより早く言葉を発したのは彼女だった。
「……それなら私がずっと一緒にいます」
キングを庇うように一歩前に出たクイーンが、真っ直ぐにエースを見つめながら言葉を紡ぐ。そうすれば一瞬たじろいだものの、エースは眉を下げて彼女を心配する素振りを見せた。
「けどそうしたら君が苦労する」
そして彼女の後ろに隠れているキングに向けて、エースは決定的な一言を口にする。
「分かってるだろ、キング。このままだとお前クイーンにとって迷惑なお荷物だぞ」
それを言い終わるか言い終わらないかくらいのタイミングで、クイーンはエースの手からワインボトルを奪うと思いっきりそれをスイングしてエースへと殴りかかった。
ガツンとした衝撃がエースを襲って、割れたボトルからこぼれたワインが彼の顔を赤く染める。思わず絶句するキングを後ろに匿いながら、クイーンは眉を吊り上げてエースへと食いかかった。
「王様を馬鹿にしないで!」
そのままもう一度殴りかかろうと振りかぶるクイーンを、慌ててキングは後ろから羽交い締めにして動きを止める。そうしているうちに何かが割れる音を聞きつけて駆けつけたテンたちに宥められて、結局その場は収まったのだった。
そんなことがあったからだろうか。ベッドに入ったキングが目を覚ましたのは夜中の一時を過ぎた頃だった。いつもなら一緒に寝ようと押しかけてきたクイーンに抱きしめられて寝ているはずなのに今日はその温もりがない。
そのことを不思議に思いながらも喉の渇きを覚えて居間に向かえば、そこには煌々と灯りが点っていた。
足音を殺して聞き耳を立てれば、どうやら話しているのはクイーンと、一番の新入りジョーカーらしい。二人がこうやって腰を落ち着けて話しているのを見るのはこれが初めてだった。
「本当にクイーンはキングが好きなんですね」
その事に驚いていれば、不意に自分の名前がキングの耳に届く。そう呟くジョーカーの声は穏やかで、そこにはからかいや含みは一切無いように感じられた。
「ええ、王様は私のヒーローなんです」
その言葉に答える声色は弾んでいて、顔を見なくても彼女の笑顔が脳裏に浮かぶようだった。
聞いたぞ、なんてからかってやればどんな顔をするだろうか。そう思えば胸の奥がくすぐったくってキングは声をかけようと小さく息を吸い込む。
「でも、私最近思うんです」
けれど次に彼女が告げた言葉は、あまりにも残酷な一言だった。
「できれば彼とは出会いたくなかったって……」
息を吸い込んだまま、そのまま一瞬呼吸が止まる。
なんだよ、それ。
グラグラと視界が揺れて、戸惑うキングの耳元に先程のエースの言葉が蘇った。
お荷物。
そうか、そういうことかよ。
分かってしまえば単純な事で、キングはそのまま息を殺してその場を去る。
そうして翌朝、いつもの通りキングを起こしにきたクイーンが目にしたのはもぬけの殻と化したキングの部屋だった。
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