空高く、くしゃみ。

ナナシマイ

第1話

 奈良崎にはある力があった。

 魔法、異能、超能力とも呼べるようなそれを、彼女は日常的に使いこなしている――いや、今の季節は事情が変わる。花粉が多いこの季節は、その力に振り回されることが多かった。


「へぁっっくしょん!」


 重度の花粉症である奈良崎は、花粉症患者らしく、先程からくしゃみを連発していた。

 部屋のゴミ箱には、使用済みのティッシュがたくさん捨てられている。しかし、たった今増えた新しいゴミを、彼女は窓の縁に置いた。そこには既に、複数の先客が。他人が見れば「汚い」と眉を顰めそうなものだが、奈良崎は気にした様子もない。


「1、2、3、4……」


 綺麗に並べられた使用済みティッシュを数えていくと、それは19個あった。その事実に、がっくりと肩を落とす奈良崎。


「あー、今日も絶対ダメだ」


 そう独りごち、並べた使用済みティッシュをまとめてゴミ箱に捨てた。

 それから、「今のうちにトイレ行っておくか」と溜め息混じりに部屋を出る。用を足して戻ってくる時に、また、くしゃみ。


 20回目。


「あっぶな」


 彼女は、ひいぃ、とふざけた様子でベッドの下を覗き込み、そこに置かれていた靴を取り出した。そして履く。それから椅子に掛けていたパーカーを羽織った。

 見た目は「ちょっとコンビニまで」スタイルだが、ここは部屋の中で、靴を履いた足は新聞紙の上。シュールだ。小学生の頃に流行った新聞じゃんけんみたいだ、と奈良崎は思った。


「っくしょん!」


 21回目。

 ふわっと、奈良崎の身体が宙に浮いた。


 彼女はそのまま器用に窓まで移動し、浮いた身体にも拘らず、慣れた様子で窓を開ける。今夜は晴れ。明るい月が街を照らす、絶好の散歩日和だ。


(ま、空中散歩だけどね)


 そして、宙に身を投げ出す。

 安アパートの3階から飛び出た人影は、落下することもなく上へ、上へ……!




 奈良崎の持つ力とは、「空を飛べる能力」だ。ただし「くしゃみを21回した時」に限る。

 逆に言うと、その条件を満たすと、勝手に飛んでしまうのだ。今は春。花粉症の奈良崎にとっては、迷惑極まりなかった。それでも、あるものは仕方ない。嫌がって憂鬱な気分になるよりも、楽しんでしまった方がお得だと考えていた。


 ちなみに、21回と判定されるのには、ある程度短い間隔でくしゃみを続ける必要があるようだ。しかし彼女は、それがどれくらいなのか知らない。単純に調べるのが面倒だからだ。今の季節は意識しなくとも条件を満たすし、他の季節は、胡椒やら細くったティッシュを常に持ち歩いている。


(……田舎街で良かったよね)


 ここが高層ビルやマンションが建ち並ぶ都会であったならば、大変だったろうと思った。近所の人は奈良崎の能力を知っているが、流石に飛んでいるところを間近で見られるのは恥ずかしい。

 それに、ベランダの横を通った時に「覗き見」扱いされても困る。彼女にそんなつもりはないのだ。


 その点、ここは田舎街。ある程度上空まで浮き上がれば、奈良崎の視界を遮る物は何も無かった。そのままぐるりと辺りを見回す。


「やっぱ、テング丘か」


 少し遠くに見えている小高い丘に身体を向け、溜め息をつく。地上に降り立つには、目的地をはっきりと意識しなければいけないのだ。夜に「能力」が発動した時、彼女は大抵、テング丘まで飛んで行く。人目につきにくいし、あそこは景色が良い。


 すーっと滑らかに空を飛ぶ。鼻はむずむずするが、生暖かい風が心地良かった。ひらり、と空中で1回転すれば、奈良崎の肩まで伸びた髪が広がる。


(空は良いもんだ)


 この感覚を、自分の他には誰も知らない。それが、空を飛ぶ開放感と相まって、何とも言えない快楽を生み出す。


「っくしょぉおん!」


 1回目。


 今日は着いた途端に帰ることになりそうだな、と奈良崎は苦笑いをした。



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