告白未遂

薮坂

クアッドリフト


「そうそう、その調子! そのまま左足に力を入れて!」


「こっ、こう?」


「腰の位置が低い、もっと高く!」


「出来てるっ?」


「いい感じ! さすがじゃん!」


 高橋くんの元気な声が聞こえて。そこで私は、思わず彼の方を向いてしまった。それがいけなかった。辛うじて均衡を保っていたバランスは、当然崩れてしまうわけで。私の視線はぐるりと後方に半反転。結果、したたかに胸を打ってしまった。

 うぇ、と間抜けな声が漏れ出る。おまけに足に繋げたスノーボードが捻れてとても痛い。

 なんとか体勢を仰向けにして。そして目を開けると空が見えた。とても青い空だ。

 冴え渡る二月の青空、雲ひとつない快晴。その青は地面の白と相まって、凍てつくほどに冷たく感じる。

 はぁ、と溜息をひとつ。吐く息はどこまでも白い。あたり一面を覆う、この雪ほどではないけれど。


「いったぁ……」


「大丈夫? 手、貸すよ」


 にこやかに笑いながら、高橋くんがその大きな手を差し出した。ゴーグル越しに見えるその笑顔は、やっぱり素敵だ。

 よいしょ。思っていたよりも強そうな力で引っ張る高橋くん。勢い余って、バランスを崩して雪面に倒れこむ二人。


「ちゃんと立てよー、マジふざけんなってー!」


「あたし、ちゃんと立とうとしてたよー! さいあく雪まみれじゃんかー、もう!」


 そのまま雪を掛け合う二人。まるでボード旅行のCMみたい。きっとキャッチコピーはこんな感じだ。


 ──二人の距離を縮めるために、雪は冷たくなった。


 ……とかなんとか。はぁ。また溜息が出る。

 ゲレンデを融かしそうなを横目で眺めながら、未だ雪上にで倒れる私は思う。

 あぁ、羨ましいなぁ。なぜ彼の隣にいる人は、私ではないのだろうと。



 ──あぁ、なんで来ちゃったんだろ。このボード旅行。やっぱりやめとけばよかったかな。

 とりあえず立たないと。体を起こそうとした、その時だった。目の前に、黒いグローブがぬっと現れたのは。



「相変わらずドMだなぁ、渡辺。またあの二人見てんのか。高橋と中村、ありゃ付き合うのも時間の問題だと思うけどな」


「……放っておいてよ、佐藤くん」


「放っといてほしいならそうするけど、お前泣いてんじゃねーの?」


「泣いてない。泣いてないから」


「ふうん? まぁいいけど。でもアレだ、必然的にお前のペアになるのはおれなんだよな。高橋と中村、小林と山本、それに鈴木と伊藤。あぶれてるのはお前とおれだから」


 佐藤くんの言う通りだった。付き合いたての鈴木くんと伊藤さん。お互い好き合ってるけどまだ付き合っていない小林くんと山本さん。それに、付き合うのも時間の問題って感じの高橋くんと中村さん。あぶれてるのは私と、そして目の前の佐藤くん。


 みんなそれぞれ楽しそうにしている、大学の小さなサークルでのボード旅行。こうなるのはわかってた。だからやっぱり、来なければよかったんだ。

 思い切りぶつけた胸が痛む。いや、これは別の痛みもありそうな気がする。気を抜くと、うっかり涙が出そうになって来そうなほど。


「やっぱ泣いてんじゃねーか。ほら、手ぇ貸すぞ」


「泣いてないってば」


「どっちでもいいけど、とりあえず立てよ。ゲレンデの真ん中で寝そべってたら後続に轢かれるぜ」


 差し出された佐藤くんの手を取ると、意外な強い力であっさりと立たされた。私のボードが流れないように、自身のボードを噛ませてくれている。


「怪我は? 思い切り胸、打ってたけど」


「ない……と思う。ちょっと痛いけど。ありがとね」


「心のダメージのが大きそうだな。もう高橋は諦めろって。相手が悪い、あの中村だぜ。あいつ、スナイパーって呼ばれてんだろ」


 恋のスナイパー、中村さん。言い得て妙だ。中村さんは今まで狙った獲物を逃したことはないらしい。

 キラキラしてて眩しくて。オシャレで気遣いもできて、そしてモデルみたいな女の子。男の子にも女の子にも分け隔てなく優しくて、本当に人気のある人だ。


「……勝てないのはわかってるよ。でも好きなの、高橋くんが。大学に入学してからずっと」


「今まで何回告白しようとしたんだっけ」


「20回」


「実際にしたのは?」


「……0回」


「全部未遂じゃねーか。それ、何も言ってないのと同じだろ」


 呆れたように佐藤くんは頭を振った。これも佐藤くんの言うとおりだ。告白未遂なんて、何も言ってないのも同じこと。

 私には肝心なところでの勇気がない。振り絞ろうとも元が少なければ意味がない。今までチャンスは何度もあった。さっき言ったとおり、憶えてるだけでも20回。

 でも、好きだと言えたことは一度もない。それは私がヘタレでチキンだからに他ならなかった。

 高橋くんと一緒のサークルにいられること。それを優先して、私は彼に好きだと言えないのだ。断られたらきっと、このサークルにもいられなくなってしまうから。


「そんなに告白未遂してりゃ、いくらあの鈍い高橋だって気が付きそうだけどな」


「きっとわからないよ。私、告白する素振りなんて全く出してないし」


「いやそこは出していけよ。いつか言いたいんだろ? 高橋に好きだって」


「でも……、断られたらそこで終わっちゃうし。きっとサークルにもいられなくなるし」


「断られたからって、なにもサークルを去る必要ねーだろ」


「それはサークルに入ってない佐藤くんだから言えるんだよ」


 そう言うと、佐藤くんは大袈裟に肩を竦めてみせた。佐藤くんは、私たちのサークルの正式メンバーという訳ではない。奇数で何かと不便だった私たちのサークルに、高橋くんが呼んできたのだ。高橋くんとは、高校からの友達らしい。

 たとえばこういう旅行の時とか、奇数よりも偶数の方が都合がいい時に来てくれるのだ。もう何度も来てくれてるから、実質サークルの一員。だけど佐藤くんはいつも頑強に否定する。


「まぁ、そうだな。おれは外部の人間だから、その辺の微妙なところはよくわからねーけどさ。でもあれだ。思いは伝えないと、思ってないのと一緒だぜ」


「……好きだよ。でも伝えられないことも、あるよ」


「難しく考えすぎなんじゃねーの?」


「どう言う意味?」


 私が問うと、佐藤くんはニヤリと笑った。人を食ったような、それでも元来の優しさを隠しきれないような笑みで。


「渡辺。おれはお前のこと好きだぜ」


「……え?」


 思考が停止しそうになる。佐藤くんが、私のことを? そんな素振り、今まで感じたことはないのに。


「渡辺、おれと付き合ってくれなんて、そんなこと思ってねーから安心してくれ。ただお前のこと見てると面白いんだ。ずっと見ていたくなる。そういうだ」


「こんな時にそんな冗談、」


「冗談じゃねーよ。ただ好きの種類が違うだけだ。渡辺が高橋に思ってる『好き』と、おれの『好き』は違う。でも同じ言葉だろ?」


 同じ言葉には違いないけれど。でも佐藤くんのいう『好き』と、私が高橋くんに思う『好き』には明確な差がある。


「……同じ言葉だけどさ。でも、私はそんな簡単に好きって言えないよ。きっと高橋くんに好きって言えば、私と付き合ってほしいって言っちゃうと思う。それくらい『好き』なんだ」


「なおさら言ったほうがいいと思うけどなぁ。お前には悪いけど、見てて楽しいからな。一喜一憂してるお前が」


「人をおもちゃみたいに見ないでよ」


「そういう渡辺を見るのが好きなんだからしゃーねぇだろ」


 佐藤くんはケラケラと笑った。不思議とバカにされているようには感じない。それに。

 何故か心が少しだけ。ほんの少しだけ、軽くなった気がした。


「さてと渡辺。滑ろうぜ。お喋りなんてゲレンデじゃなくても出来るだろ。ここでしかできないことをしようぜ」


「そうだね。もったいないもんね」


 佐藤くんはくるりとターンを決めて、「行こう」と手を伸ばして言ってくれた。その手を取って、勢いをつけてもらって私はスタートを切る。

 すぐに佐藤くんとの手は離れた。何故か少しだけ、手が冷たく感じてしまう。グローブをつけているのに。



   ◆◆◆



 不幸なことは連続する。一本滑った後、リフトに乗ろうとした時だ。そこに高橋くんと、中村さんを見つけたのは。楽しそうに何かを話している。

 ……いいな。羨ましいな。私はゴーグルを掛け直した。じわりと漏れそうな涙は見せられない。

 隣にいた佐藤くんがクスリと笑い、大きな声で言った。


「おい、高橋! そっち行っていいかー?」


 私は佐藤くんに腕を掴まれて、行きたくもないのに高橋くんと中村さんの近くまで行くことに。

 冗談のように高橋くんに体当たりをして、足元に転げた佐藤くんは雪まみれで言う。


「ラッキー、これクアッドリフトだろ? ちょうど4人乗れるじゃねーか。一緒していいよな?」


「あぁ、一緒に滑ろう」


 にこやかに笑う高橋くんは本当にいい人だ。それに。中村さんも「いいよー、みんなで滑ろ!」と言う。たぶん心からそう思ってる。

 敵わない、と思う。本当にいい人だ。

 私は無言で。というか、今何かを言えば鼻声になりそうで。だから私は、曖昧に笑う。



「あ、次おれらの番だぜ」


 グーフィースタンスの佐藤くんは、立ち上がって一番右側に。リフトが来る直前で、私たちを見て言った。


「おっと。高橋、渡辺。お前らリーシュコードが外れてるぞ。付け直してからリフトに乗れ」


 足元を見ると、確かにボードと自分を繋ぐコードが外れていた。佐藤くんは続ける。


「中村、先に行こうぜ。これじゃ後続に迷惑だ」


「そうだね、後ろ詰まっちゃうもんね」


 二人はクアッドリフトに乗ってしまう。そして、そこに残されたのは私と高橋くん。

 リフトで上がって行く佐藤くんを見ると、こっちも見ずに手だけプラプラと振っていた。


 これはたぶんお膳立てだ。

 20回にも上る告白未遂を、21回目こそは既遂にするために。



 次のリフトが来る。私と高橋くんはそれに乗る。

 カタカタと音を立てて上るリフトの上で。私は高橋くんに言った。



「……あのね高橋くん。聞いてほしいことが、あるんだ」



 ──21回目の告白。これだけは、未遂で終われない。




【終】



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告白未遂 薮坂 @yabusaka

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