なぜこんな妙ちくりんな客を相手に一生懸命になるのか自分でもよく分からないが、臼井は翌週の定休日も小人の内見予約を承った。

 休日返上して紹介するからにはどうにか契約をとりたい。今回はガラリと雰囲気を変え、古風な和室の物件とロフト付きの瀟洒な物件を紹介した。


 しかし、ここでも小人の口から出た言葉は「ピンとこない」だった。


「具体的にどのあたりがお気に召さないでしょうか? そこを教えていただければ、ご希望に沿うお部屋を紹介しやすくなるのですが」


 臼井はもどかしさを感じながら、コンロの上をテケテケと歩き回る小人に尋ねた。


「具体的にと言われても難しいねぇ。フィーリングだからな。それにオレ、そもそも金持ってないしなぁ」

「はい?」


 新たな物件を探すためにiPadの上を滑っていた臼井の指が止まった。


「お金は気にするなとおっしゃっていましたよね?」

「言ったとも。そりゃあ、初っ端から金がないなんて言っちゃあどこも紹介してもらえねぇからな。ちょいと見栄を張ってみたんだけど張りすぎたかな。ハッハッハ……おや、どうした?」


 臼井の腹底に燻っていたマグマがブクブクと音を立てて湧き出した。みるみるうちにかさを増し、あっという間に頭のてっぺんまで達したそれは、怒号となって臼井の口から外に放出された。


「ふざけるな!」


 コンロの縁に打ち付けられたiPadがパリッと嫌な音を立てたが、臼井の耳には届かない。小人は、ヒャア、と声を上げて飛び退き、シンクに転がり落ちた。


「不動産屋を舐めてるのか。こっちは真剣に物件を探して、休日返上して紹介してやってるんだ。金がないのに家を借りようだなんてどういう神経してるんだ」


 すっかり激怒した臼井を前に、小人はなぜかニコニコしながら彼を見上げていた。


「おうおう、いいじゃねぇか。ようやく本性を発揮したな。もっと怒って発散しろ。その調子、その調子」

「馬鹿にするな。お前に紹介できる物件なんてどこにもない。もう二度と来るな」

「まあまあ、そんな意地悪な事言うなよ」


 小人はシンクの底から飛び出してコンロ脇に着地すると、上司にゴマをするサラリーマンのように臼井に歩み寄った。


「金はなくともオレが契約すれば必ず良い事があるからさ。保証するよ」

「そんな詐欺まがいな誘いに引っかかるもんか。お前、そもそもそんなに真剣に物件を探してないだろ。全然興味なさそうじゃないか」

「オレはいつだって真剣だぞ。ただ、見学した部屋はオレにはちょいと広すぎてな」

「そんなの初めから分かりきった事じゃないか。どうしてワンルームを希望したんだ。お前のサイズなら犬小屋で十分だろう」

「オッ、その手があったか。候補に入れてくれるかい?」

「おうおう、とてつもなく汚い犬小屋を用意してやるよ」


 臼井は一息ついた。こんなに唾を撒き散らして怒ったのは久しぶりだ。まだ怒りは収まっていないが、腹の底から大声を出したせいか、確かに奇妙な清々しさを感じていた。


 開け放した窓から爽やかな春風が入ってきた。外の通りを散歩をしている保育園児たちの賑やかな笑い声が聞こえる。

 

 臼井が黙っていると、小人が彼氏に甘える彼女のようにスーツをくいくいと引っ張ってきた。


「犬小屋でも何でも良いからさ、また来週紹介してくれるかい?」


 臼井が喉の奥で唸ったのをOKと捉えたのか、小人はコンロの上で小躍りを始めた。




 *




 帰宅後、臼井は頭を抱えながら再びパソコンに向かった。

 あんな奴の相手なんかもうしたくない。でも、物件が見つからない限りあいつは姿を現し続けるだろう。それならば早く適当な部屋を当て付けてとっとと追い払うのが得策だ。


 しかし、犬小屋と言ったものの実際に犬小屋の取引なんてもちろんした事がない。そもそも犬小屋の空き部屋なんてあるのか? 賃貸なんて聞いた事がない話だ。


 どこかにないだろうか。浴槽付きで酒がすぐ手に入る、犬小屋サイズのワンルーム。どこかに―――――




 *




 パッヘルベルのカノンが鳴り響く。臼井はダイニングの奥の和室に足を踏み入れ、押し入れを開けた。


「風呂が沸いたよ、おっさん」


 押し入れの上段の隅に丸めて置いてあるタオルの上でゴロゴロしている小さなおじさんに声をかけると、彼は嬉しそうに起き上がった。


「今夜は入浴剤を入れようかな」

「入浴剤? そんなものはない。男の一人暮らしには不要だろう」

「もう二人暮らしじゃないか。明日買っておいてくれよ、オレはローズの香りが好きなんだ」

「何度も言うけど、二人暮らしは部屋が決まるまでの期間限定だからな。いつまでも居候させる訳にはいかな――――わっ、ここで裸になるな」


 いそいそとジャージを脱ぎ出した小人を慌てて摘み上げると、臼井は浴室に直行した。


 休日返上が続き疲労が溜まってきた事と、この珍客を他の社員に見られる事への不安から、臼井は部屋が決まるまでという条件で自宅の押し入れを貸す事を小人に提案した。

 断られる事も想定していたが、なぜか小人はすんなり受け入れ、こうして居を構えて二週間が経つ。

 温かい湯船に浸かり、お酒をたしなみ、一つ下の階に住むOLが出社する姿を窓から観察する事を日々の楽しみとし、充実した生活を送っているようだ。


 小人からはもちろん一銭もお金を入れてもらっていないが、小人が押し入れに住み始めてから臼井の身に不思議な変化が次々と訪れた。なんと店の客足が少しずつ戻ってきたのだ。腰の調子もこのところ良いし、何年も疎遠だった高校時代の友人から久しぶりに連絡があり、同級生数人で再会する約束もできた。

 小人が家に来てから日常にハリが出て、明らかに人生が上向きになってきている。


 ――――オレが契約すれば必ず良い事があるからさ。


 小人が言っていた事はあながち間違っていなかったのかもしれない。

 

 そして何より。



 パリーン!


「あっ! 大切なバカラのグラスが……」

「あーあー、何やってるんだよ。バカラだけに馬鹿らなぁ」

「親父ギャグのつもりか? まだまだだな。どうせならもっと面白いギャグで突っ込んでくれ」

「ちぇっ、イカしてると思ったのに。厳しいなぁ」


 高価な食器を割るショックよりも、自分の失態を面白がって突っ込んでくれる人がいる事の喜びの方が何十倍も大きいという事を、臼井は初めて知った。

 小人の存在が自分の人生に潤いを与えてくれているのだと、臼井は心の奥底でじんわりと実感していた。

 

 もう少しこの生活が続くのも悪くないかな――――

 浴室から響く小人のでたらめな鼻歌を耳にしながら、臼井は机の上に放っていた買い物用のメモ用紙に “入浴剤” と書き加えた。



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小人の物件探し 三山 響子 @ykmy

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