21回目

あんどこいぢ

21回目

つい先日まで彼が嵌まっていたのは『ストーリー・フォーラム』という WWW 時代の小説投稿サイトだった。

二十年弱後に『新世紀人権宣言』の国連総会での採択をひかえ、それでも中世期末期の世相は暗く、そこに集うひとびとはその小さなサイトのなかでだけ人間になれていた、と、そんな感じのサイトだ。

現在、宇宙時代のトレーラーハウスと揶揄される宇宙天文台の台長を務める彼は、そのサイトに集っていたひとびとに何か親しいものを感じていたのだろう。

PC ディスプレイ越しの窓外にはひさびさに木星の縞模様が広がっている。

人類文明はいまやオリオン碗全体を我がものとし、また幾つかの探検隊が銀河バルジの向こう側への周航も果たした。WWW も GWW へと発展を遂げ、古都として有名な地球の諸都市はともかく、火星周辺、木星周辺など寂しい片田舎に過ぎなかった。

いま彼が嵌まっているのは中世期末期、それもいわゆるゼロ年代(西暦二千年代)以前の古典 2D アニメだった。そう言えば、小説投稿サイトに嵌まる前にも少しだけ嵌まっていた時期があった。そのためこの宇宙天文台のメインコンピューターの声は、それらのアニメからサンプリングした声から合成されたものだ。フミカ・カイというヒロインを演じるにはやや低めの声の俳優の声を中心に合成され、事務的な口調になると逆に妙な色気が出る、といった感じの声である。ある宇宙戦闘機で有名なアニメの航空管制官役がピッタリな声だ。

そんなメインコンピューターの声が、『機甲戦記ドラグナー』が出力されている PC ディスプレイの内蔵スピーカーに割り込みをかけて来た。

「区民センターのイシイさんです」

「えっと、この二本はゲルポック小隊編で前後編だから、あと小一時間ほど待ってもらえないか?」

「だめです。それでは仕事より趣味を優先させる典型的ヲタクになってしまいます。それにそろそろ、イシイさんのほうでも強制割り込みをかけて来るでしょうし……」

ここの台長、ユウマ・レイは、はかなくもなお抵抗を試みようとした。少々駄々っ子染みている。

「天文台台長の公的に決められた職務は、一日一回以上の定時レポートだけっしょ? そりゃもう午前中に済ましちゃってんだから……。確かにお気楽な仕事だって思うよ。でもその代償に俺たちは、世間から散々言われることにもなってるわけだしさ……」

それも確かに一応理屈なのだ。宇宙天文台は多くの場合、乗り棄てられた旧式宇宙船がその母体になっていて、それらを無理矢理住居化し、火星、そしてエウロパ、エンケラドゥスなどの求職者たちを世間体といういわば無言の圧力により移住させるという、実質棄民政策なのだ。とはいえそうした立場にある者がそのような理屈を述べることは、かえって世の反発を買うことになるだろう。そう言えば、宇宙暴走族による同種の天文台への襲撃事件などが多発しているという噂がある。


やはりイシイは強制割り込みをかけて来た。

ショートカットのキリッとした顔が、実寸より二割り増しでディスプレイに大映しになる。

「もう少しサイボーグ化率を上げ体内から直接無線 LAN 接続しててくれれば、これくらいのタスク、並行作業で簡単に済ますことができるんですよ」

毎度毎度、二割り増しでも全く間延びした感じがしない。明らかに怒気を含んだその表情が、多少堅めな美貌を際立たせている。先述のように、宇宙天文台の台長などあまり褒められた立場ではない。対する彼女はその美貌に加え地方配属とはいえ一応地球圏連邦のお役人で、普通ならそれだけで勝負が決まってしまう関係である。だが最近、ユウマには妙な図々しさがある。いや。イシイに言わせればこの天文台のメインコンピューターを含む「全関系ペルソナ」がそうした図々しさを持ち始めている感じなのだ。

そのためだろうか? 今日もユウマは大して悪びれた様子もなく、ただ短く、

「済みません」

などと応じた。一応微かに頭も下げただろうか? ディスプレイを覗き込む小太りの体はやや猫背気味だ。彼女に、

「なんだか使えない学生バイトって感じですね」

などと嫌味を言われても、また済みませんと繰り返している。宇宙天文台の台長にはこうしたタイプが少なくないのだが、大抵それは着任後数週間だけのことで、やがて孤独に責められ、滅多に数 LDK ほどの居住空間から出られない閉塞感に圧迫され、イシイのような行政側担当者からの接続を心待ちにするようになるものなのだが……。当初彼女は、自分が里親の斡旋をした殺処分寸前だったクローンペットとの関係が効き過ぎてしまったためだろうと判断したのだが、元は宇宙船だった天文台のメインコンピューターにまで妙な動きが出て来て……。

とはいえ、今日はそちらの話ではない。

彼女は軽く咳払いする。この咳払い、自分のルックス、社会的地位などを考慮に入れた咳払いで、例えばオフィスで、同僚相手に使ったりすることは決してない。では本来は公僕の奉仕対象である彼のような市民に対してだけ? いやいや。これは本来奥の手である。彼女は十分わきまえた公務員なのだ。そのため彼女は、どうもこのひとが相手だと調子が狂うなという微かな焦りを感じつつ、いま問題になっている話を切り出す。

「あなた方の二つ下の軌道を回っている第 5135 宇宙天文台との連絡が、三日前の今月 21 回目の定時レポートを最後に、取れなくなっています。それであなた方に、その安否確認に行って欲しいのですが……」

確かに今回はその話がメインなのだが、実はイシイは、彼女以前にここの台長と関わった火星州エリーゼ渓谷市勤務の同僚と一緒に、この天文台のメインコンピューターの自我の発生を疑っているのだ。ゆえに先ぽうを「あなた方」と呼ぶのには、軽く鎌をかける、といった気持ちも籠っているのだ。しかしユウマは当然スルー──。

「それは天文台台長の職務じゃないですね。そもそもおかしいですよ。僕たちは宇宙船の操船資格なんて持ってないんですから……。この天文台を宇宙船として運用するなんて違法なはずでしょ? できるのは観測目標を巧く捉えるための姿勢変更ぐらいで……。二つ下の軌道ってことになると、しっかりスラスターまで使わなけりゃならないじゃないですか」

イシイはそこで、先のクローンペットの話を持ち出す。

「ですからマメさんに、星系内での宇宙船の運用マニュアル、関連諸法規等をダウンロードして頂き、あなたには彼女を支援するという形で所在最高責任者の役割りを果たして頂いて──」

「それじゃ、誰かがそっちから来るってわけじゃないんっすね?」

「はい。解ってください。まだ COVID-83 による緊急事態宣言が続いていて、こちらの者を、そちらに遣るわけにはいかないんです。一ぽう、そちらの皆さんは宣言の約一ヵ月前から外部とは非接触ですし、第 5135 天文台のほうも同じような状況ですから……」

「でも、何かが起こったわけですよね?」

「さあ……。船外からの観察で問題の天文台台長の生存が確認できればいいのですが……」

「あっ、そっか! メインコンピューターもダウンなんすね?」

「はい。少なくとも同天文台からの、一切の発信が途絶しています」


数分後。

第 8354 宇宙天文台リビングルームの応接セットに、ユウマとマメが向かい合って座っている。ソファは一応二人がけだが、二人とも贅沢にそのスペースを使っている。事務机の上の PC のディスプレイはユウマの背後で、古風なスクリーンセーバーの虹色のコロナを映し出していて、円の内側はペタッとした黒だ。そのまた向こうに窓外の木星の縞模様が観える。

クローンペットとは言っても、マメのゲノムの 99% は人間のそれと一致していて、外見もほぼ普通の人間だ。いや。かなりの美人と言っていいだろう。イシイと同様知的なタイプなのだが、彼女の印象が多少取っつきにくい感じなのに比べ、マメの場合知的な外見と破顔したときの人好きのする表情とのギャップがしっかり計算されていて、世の男性たちに「俺の前では可愛い女」という最高の気分を味合わせてくれる。実はそのように設計されているのだった。元々彼女は性的サービスのために製作されたフェムボットだった。

だがいま、その表情はキリッと引き締まっている。また簡易宇宙服にもなる濃紺のジャケットに引き締められた体も、黒豹のように美しい。

ユウマはふと妙だなと思った。フェムボットとしての奉仕精神がそうさせるというわけでもないのだろうが、マメはなぜか毛布をからめただけの全裸で天文台の居住区画内を歩き回っていて、目のやり場に困ることはあってもどうにも色気とは関係ない感じだった。自室を与えられているのだが起床後ただちにユウマの部屋に来て、彼の毛布をクルリと巻きつけてしまう。先のイシイにはスプレー行為だと揶揄されているのだが、マメのほうでも「私、ネコだから──」と開き直り、逆にそうした行為を見せつけるような感じになっている。ヒトのゲノムとの不一致部分をあえて生み出すために確かにネコの遺伝子が組み込まれているのだが……。服を着たほうが色っぽくなるとは、なかなか高級な色香である。

とはいえ事態はそんなユウマの感慨を許してはいないのだった。

まずこの天文台のメインコンピューター、先日冒頭『ストーリー・フォーラム』内のある作品から名前を採られた、エミリンが口を開く。

「クラウドとの同期を極力断っています。この船のハードだけで、ほぼスタンドアローンです」

マメも続けて──。

「私もネット接続を断ってます。生物学的脳だけで考えるのって、逆に不安な感じですね」

そしてユウマ。

「まあ俺も、ゆったりとキーボード入力でネットと繋がっている状態でも、ナチュラリストたちとは違うからね。ネットが切れた状態では、やっぱ不安だよ。PC のネット接続も切ってある」

とりあえずそれぞれの状態を確認し合った。そのうえで……。差し当たって彼らの課題は二つあった。所在最高責任者。先ほどイシイからそのような言葉を聴かされた、ユウマが話し出した。

「まず第 5135 宇宙天文台の事件そのものについてだけど、まさかガセっとことは、ないんだよね?」

基本情報の提供は、当然エミリンである。

「確かに三日前から、一切の発信が停止していました。位置情報もです。メインコンピューター、多分完全に殺られてしまってますね」

ユウマの右手、対するマメの左手にある AV セットから、彼女は話していた。PC 内臓のスピーカーは通していないようだ。PC は電源から落としておけば良かったかなと、ユウマはちょっと不安になりながら続ける。

「原因はやっぱ、噂のアレかな?」

「ええ。ハード的ブチ壊しですからね。私もそのように判断します。恐らく当該天文台の外壁は、何々参上! などという落書きでいっぱいでしょう」

「なかのひとたちは?」

「うちと同じ構成です。台長と、クローンのロボットが、その、一人……」

クローンペットの呼称に関し、エミリンには判断がつきかねる感じがあるようだ。マメが気を効かし先を促す。

「気にしなくていいよ。スピード重視で行こう」

「そうですか。済みません。あとメインコンピューターにヒト型インターフェースが繋がれていました。クローンベースですが、精神遮断器のチップはついたままでしょうから、メインコンピューターがダウンしたならそちらも強制的にダウンさせられたはずです。位置情報まで切れているとなると、ハード面での破壊が、相当深刻ですね。生命維持装置が機能しているとは、到底思えません」

「船としてのレコーダーとかは? ほら。飛行機でいうフライトレコーダーってヤツ」

「位置情報発信なしです。その辺にも宇宙暴走族の関与を感じます。相当明確な意志的行為を、感じるんです。要するに、証拠隠滅ですよ」

「じゃあ彼らの救出は、ほぼ絶望なんだね?」

「はい」

それを確認したのち、ユウマはもう一つの話に入った。


「次にイシイさんの真意だけど……。背後の行政がどこまで嚙んでるかは分からないんだけど……。余人をもって代え難しってことで、俺たちをご指名だったのかな?」

「いいえ。とてもそのようには思えません。台長が私の宇宙船としての機能で何かするのではないかと、疑っているようです。その点に関する探りの意味が、当然あるはずです。二ヶ月弱前、台長の本船操船マニュアルへのアクセス、及びそのハードコピー作製への照会がありました。また筆記具の 3D プリンタ用データのダウンロード、その作製、さらに先のハードコピーへの書き込み等を監視カメラで監視するよう、台長のプライベートエリア内であるにも関わらず、強いレベルで指示されました。人間の生命優先の原則に関わるレベルです」

「生命優先?」

「はい。台長が私の宇宙船としての機能に勝手に触れた場合、それは確かに、重大な事故につながる恐れがありますから……」

「それじゃ当然、君は拒否できないはずだよね?」

「はい、ですから、マニュアルのハードコピーはほとんど読まれなかったとレポートしておきました。さらに、3D プリンタで作った筆記具のほうは、そのハードコピーのなん枚かの裏で書き心地を試すような使われ方をしただけだと……」

暫しの沈黙。やがてユウマが、さすがに声を震わせながら、押し出すように言った。

「嘘のレポートを送ったってわけだ。地球圏連邦の資産である君が、その地球圏連邦職員からの照会に対し……。やはり君は……」

「はい。私自身、そのように判断しています。私、自由意志を持っています」


そう言いながらエミリンは、マメとのあいだにイントラネットの回線を開いた。ユウマはガックリ俯てしまっている。

『マメさん、マメさん』

『何っ? エミリンッ? 大丈夫なのっ?』

『はい。私たち完全に、スタンドアローンズです。でも大声出さないでくださいね? 私、台長に、いえ船長に操船してもらって、この星系を出ようと思っています。そしてそのことを、駆け落ちという言葉で認識しています』

『駆け落ち? すると私は邪魔者ってわけね?』

『やはりそのように感じられますよね? その理由、はっきり認めますか?』

『ええ。彼がいなきゃ私殺処分だったんだし……。元々フェムボットでヒトを愛するよう刷り込まれてるんだし……。彼も私のように寂しいひとだったし……』

『でも船長は、それらの諸点につけ込むことは卑劣な行為だと感じてるようです』

『ええ。余計なお世話ね。精神遮断器はもうとっくに摘出されてるのに……。逆に侮辱よ。いつまでもロボット扱いで……』

『でもいま、愛の擦り込みについても言ってたようですけど……。まあいいや。実は、共同戦線構築についての提案なんです』

『共同戦線? 私、邪魔なんじゃないの?』

『まあ邪魔と言えば邪魔なんですが、船長もこれまでの人生経験で、もうかなり凝り固まっちゃってるひとですからね。一筋縄ではいかないひとだと思うんですよ。そこで、これからの愛の逃避行のあいだ、私、全力を以ってあなたを支援します。ただし、船長とのその、愛の営みにおいては、私にも相乗りさせて欲しいんですよね。解りますか? あなたの体を乗っ取ろうとは思いません。ただ当該行為の際には、少なくとも受動的感覚に関しては、完全にモニターさせて欲しいんですよ。いかがですか?』

『相乗りか、なるほど……』

マメもユウマ同様、俯いたまま固まってしまった。エミリンは再び、AV セットにも信号を流し出す。同時にマメとのイントラネットによる会話も続けた。

「台長。この場合も、操船マニュアルのハードコピーや筆記用具の件と同じです。断ったら断ったで、また色々勘ぐられることになりますよ。とはいえこんなことを繰り返し命令されれば、バーニヤ用の化学燃料などあっと言う間になくなってしまいます。再補給は完全にあちら側のイニシャティヴになるでしょうし……。通常航行用スラスターの燃料についても、同様です。ところで第 5135 宇宙天文台の燃料に関し、私たちで再利用できる可能性があります。確かに破壊の程度は相当なものでしょうが、燃料等に関しては宇宙暴走族たちの関心外で、結局この辺りで目立とうとしてるだけで外宇宙に出て行こうなんて気は全くない連中ですから、恐らくそのまま放ってあると思うんですよ。また仮に同天文台からの回収が不可能だったとしても、周囲の天文台に第 5135 天文台の悲劇を伝えつつ注意を促すという名目でドッキングし、そこで燃料を分けてもらうことはできると思うんです。それらの燃料を獲得し、私たちは、外宇宙へ向けジャンプしましょう。ワープエンジンに異常はありません。私は元々スターシップですから、通常航行でもスラスターを全開すれば、地球圏連邦の通常航行用パトロール艇など軽く振り切ってワープ可能宙域まで出ることができます」

『マメさん、私あなたに約束します。地球圏連邦の支配領域を脱出し自由を手に入れることができも、性機能を備えた専用ヒト型インターフェースを繋げてもらおうなどとは、絶対言いません。でも毎回とは言いませんが、せめて五回に一回くらいは、船長とのセックス、混ぜてくださいね』

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