21回目のハッピーバースデー
秋色
第1話
その朝、菜々美がバスを降りると今年初めての雪がはらはらと落ちてきた。「雪だけは祝ってくれてんだ。ハッピーバースデー、私」
バス停のすぐ前に菜々美の職場はある。
菜々美の職場は田舎町の雑居ビルの中の惣菜屋兼雑貨店、「有限会社トミヤマ」。他にも小さな和菓子屋を経営する店長と同僚のおばちゃんだけの静かな職場だ。
今日はクリスマス・イブ。そして菜々美の誕生日でもある。クリスマス・イブが誕生日なんて聞こえはいいけど、一年で最も誕生日として、祝ってもらいにくい日だ。ついクリスマスの雰囲気に飲まれ、誕生日という事は忘れら去られてしまう。
菜々美にとって21回目の誕生日であり、そして21回目のクリスマス・イブである今日のスケジュールは仕事以外、空白だ。唯一あるとしたら、職場のおばちゃんとお昼休憩におばちゃんの持ってきた小さなロールケーキで、クリスマスと誕生日を祝う事が決まっている位。
ちなみにおばちゃんはそれを楽しみにしているようで、昨日から何度も菜々美に話し、今日はソワソワしながら冷蔵庫にケーキを入れていた。
おばちゃんにとってはそれだけで楽しいイベントなのかもしれない。このおばちゃんは、和菓子屋と合同の社員旅行で日帰りバスツアーに行った際も温泉街で、菜々美とプリクラを撮ってすごく楽しそうだった。今時プリクラで……しかも彼氏とでなくて、菜々美が盛り上がれるはずもない。普段から母親に「私があんた位の
菜々美は二人で撮ったプリクラをうれしそうにスマホケースに貼って眺めているおばちゃんを、若干恨めしげに見つめ、「平和でいいですね」と内心思いながら、日々過ごしていた。
――こんな職場は辞めたい。店主のおじさんと同僚のおばちゃんと毎日、何事もなく一日が終わっていく。――反面、この1月に勤め始めてから約1年、パワハラを受けているというわけでもなく、大事にされていると言えるこの環境で辞める事に後ろめたさのようなものも感じてしまう。
心の中ではいつもシュミレーションをしていた。「私、結婚相手について遠方に行く事になったため、ここを退職します」とか、「私、高校時代の先輩が誘ってくれている仕事があって、そちらに移るので、ここを辞めることにしました」とか。あり得ない妄想の産物だった。
クリスマス・イブの今日も飽きもせず心の中でシュミレーションを繰り返していた。
そんな時、事件は起こった。、
朝の、客の多い時間帯を過ぎると、昼のメニューが本店の和菓子屋の横の工場から届くまで、少しゆったりとした時間だ。その間は、事務作業や在庫チェックに入る。本当はこんなゆったりとした時間も菜々美は好きではなかった。暇だとつい余計な事を考えてしまう。ああこんな何もない所で一生が終わるんだ、みたいな。
そんな時間帯に近所からキャーという金切り声と子どもの火のついたような泣き声がしたかと思うと、人々のどよめきが伝わってきた。
暇そうにしていた店長が声のした右隣の小さな中華料理店へ様子を見に行った。おばちゃんは入口の辺りで、じっと観察しているようだった。
隣に様子を見に行っていた店長がパニックに陥ったシェフと思わしき若い男の人を連れ、戻って来た。
「大変だ。 助けて…くれ……。店の親戚の子が厨房に入って中華鍋をひっくり返して、火と油がかかって……」
人々のどよめきは火事を恐れるもののようだった。でもシェフのパニックの原因は違った。
火は立ち上ったものの、すぐに消火されたらしい。でもまだ小学校に入ったばかりの店主の親戚の女の子が大やけどをしている事に動揺し、言葉も出ない位だった。
おばちゃんが人をかき分け、隣の中華店へと走った。菜々美と店長も後に続いた。そこは大変な有様で、目を背けたかった。だが、立ちすくんでなんかいられなかった。救急車すら呼んでいないという中華料理店の煮えきれない返事。おばちゃんは菜々美に、「菜々美ちゃん、あんた、そこにある電話の子機をオンフックにして、話せるようにして!」と命令した。菜々美は、目の前の怖い場面から頭をシフトし、おばちゃんの指示だけを守ろうと思った。そしておばちゃんはさらに、店長に惣菜屋の花壇用のホースを持ってくるように言った。普段は頭があがらないような感じなのに、この時はきっぱりと命令口調で。また、そこにいた若いコンビニ店員の女の子には、商品のラップを持ってくるよう指示した。さらに菜々美と店長に、3分もかからない場所にある岸谷クリニックの先生を無理にでも引っ張ってくるように言った。
菜々美はまた何も考えず指示に従おうと出口に向かった。後ろではおばちゃんがホースから流水をその子のやけどしたや肩に腕にかけながら、オンフックの電話で救急隊と話をしている声が聞こえてきた。
「私は隣の店の者ですが、看護師の資格を持つ者です」
店長より菜々美の方が足は速い。足の速さには自信がある。走りながら、さっきおばちゃんが、きっぱりと伝えた言葉を思い出していた。
看護師の資格を持っているんだ。じゃあなぜ、お惣菜屋で働いているのだろう? さっきの真剣な眼はいつもとは別人みたいだ。この寒いのに、自分に水がはねかかっていることもまるで気にせずに流水をかけて手当していた姿は。
岸谷クリニックは、夫婦で皮膚科をやっていた。話を聞くと、すぐ休診の札を下げ、患者はスタッフ対応のもと待たせたまま、中華料理屋に白衣のまま走った。
そこにサイレンをけたたましく鳴らした救急車が到着した。救急隊は、少し落ち着いてきた女の子の様子を皮膚科の先生と共に観察し、あっという間に救急車の中に運び入れ、病院へと走り去った。岸谷クリニックの男性の方の先生とおばちゃんも乗せたまま。
嵐の後の静けさの中で、その日の午後は、菜々美の胸の鼓動はまだ激しく鳴り続けていた。
近所の店の人が時々立ち寄っては世間話をしていった。
「顔じゃなくて良かった」
「あんな小さな子、目を離しちゃダメたろ」
「お宅んとこの店員さん、金澤さんだっけ。あのおばちゃん、出来る人やったんやね。見違えるようやった」
ちなみに、当たり前だけど、店長は、おばちゃんが看護師資格を持っている事を知っていた。
午後4時過ぎても5時過ぎてもおばちゃんは戻らず、冷蔵庫のロールケーキは食べられずに残っていた。賞味期限はまだ1日半あるものの。菜々美と店長には、おばちゃんからメッセージアプリにメッセが入った。今日はもう病院から直接帰宅すると。その日はクリスマス・イブで、一般的な惣菜が売れるはずもなく、店長は菜々美に定時少し前に仕事を切り上げていいと言った。
帰り道、近道の中央町公園の遊歩道を歩いていると、夕陽の射す中、反対側から歩いて来る見慣れた姿が。おばちゃんだった。
「菜々美ちゃん、今、帰り? 私、駐車場に車置いてきてたんで、引き返して来たの。今いい?」
五分後、二人は公園のベンチに座り、自販機のカフェオレを飲んでいた。
「私……ね。ううん、あの女の子大丈夫よね?」と菜々美。
おばちゃんは、火傷の女の子は当分は入院にはなるが、命に別状はなかったし、今は笑顔も見られるようになったと話した。火傷も服で隠れる場所で幸運だったと。そしてにっこりして言った。
「びっくりしたでしょ? せっかくのクリスマス、いやバースデーケーキ、食べ損なったわね」
「まだ、賞味期限切れてないから。おばちゃん、前、看護師してたんですね」
「うん。ずっとね、やってたんだけど、ちょっと息切れしちゃって別な事をしたくなったんだ。だって看護って大切な仕事だけど、みんなが自分と同じ気持ち、同じ姿勢じゃないの。当たり前なんだけどね。私ね、菜々美ちゃんの誕生日がクリスマス・イブって知って、それじゃお祝いしなきゃって張り切ってた。本当はクリスマスって今まであんまり好きじゃなかったし、来るのがヤだったの。でも久し振りに楽しみだった」
「クリスマス反対派だった?」
「そういうわけじゃないけど。私ね、菜々美ちゃんと一緒で21年前の今日、生まれ変わったようなもんなの」
「え、どういう意味ですか?」
「21年前の今日、結婚話が壊れちゃったの。相手の家に挨拶に行く予定だったのに受け持っていた病棟の患者さんの容体が悪くなって行けなくて……」
「え? それで断られたの?、あんまりじゃ……」
「それで断られたわけじゃないわ。でも用件が片付いて会った時の第一声が苦い感じで『君の他にも看護師いたんだよね』だったの。その患者さんの
「そんな悲しい事があったんですね……」
「でもね、寂しさの理由を過去の思い出に求めたってしようがないものね。私はこの選択でかえって良かったって思ってる。菜々美ちゃんもいつかここって時に正しい選択をしてね」
二人でカフェオレを飲みながら冬の夕暮れる空を見ていた。
***
おばちゃんはそれからしばらくして颯爽と職場から旅立った。
「やっぱり看護師として再チャレンジてみるわ、ここを旅立ちます」と、決め台詞まで取られた感じ。いつか同じようにカッコよく旅立てるかな、と奈々美は思う。
新しく同年代の同僚は入ったけど、おばちゃんロスの菜々美は胸にぽっかり穴が空いたよう。でも時々お昼休みにニコニコしながらスマホケースを眺めている姿があった。
「何、見てるんですか?」と同僚。
視線の先にあるのは、いつかのプリクラ。決めポーズした菜々美とおばちゃんの唯一のツーショット。
21回目のハッピーバースデー 秋色 @autumn-hue
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