言ノ葉の魔女と無力な聖女

三谷一葉

聖女ベリンダの場合

 緑深い〈鳴かずの森〉の奥深く。

 樹齢千年の大木の根元に、言ノ葉の魔女アウラの家はあると言う。

 彼女の名前を知らぬ子供はいない。

 邪竜ドラゴガズス、亡霊王ガイア、滅びの魔女レディ・レーメ。

 世界を統べる神王しんのうに刃を向け、世界を我が物にせんとした怪物たちは、みな言ノ葉の魔女に倒された。

 故に、神王より滅王めつおうホロビ討伐を命じられた聖女ベリンダは、彼女の助力を得るために〈鳴かずの森〉までやって来たのだが────


「やだーっ! やだやだやだやだっ! ゼッッタイやだ! やらない! もうやらなーい!」


 背中の半ばまである月色の髪。

 炎のような赤い瞳。

 肌は雪のように白く、女性にしてはすらりと背が高い。

 言ノ葉の魔女アウラは、絵本や歌劇で描かれた通りの容姿だった。

 それだけに、二十代後半の成人女性が、床の上にひっくり返り、駄々を捏ねる幼児のようにじたばたと手足を振り回す様は、見るに耐えないものだった。

 これが見た目通りの二十代後半などではなく、数千年の時を生き抜いた魔女だというのだから、尚更である。


「この前のが最後だって言ってたじゃん! 二十回だよ二十回! やーっと森の奥で気ままに引きこもり生活満喫できると思ったのにさあ!」


 聖女ベリンダは、途方に暮れたように床の上でじたばたと暴れる魔女を見下ろしていた。

 こちらはまだ十代後半。肩の上のあたりで切りそろえた亜麻色の髪に、若草色の瞳。肌は小麦色に日焼けして、鼻の上にはそばかすが散っている。

 世界を命運を背負う聖女というよりも、毎日くるくると野良仕事に勤しむ村娘のようだ。


「これでもう二十一回じゃん、もう! 神王の嘘つき!」

「わかりました」


 自分の中の英雄・言ノ葉の魔女の姿が、ガラガラと崩れ落ちていくのを感じながら、ベリンダはできるだけ穏やかな口調で言った。


「無理なお願いをして申し訳ありませんでした。もうお力を貸して頂きたいとは言いません。自分で頑張ります」


 聖女ベリンダは、言ノ葉の魔女アウラを仲間にしなかった。

 本当にお前が聖女なのかと心無い人に嘲笑われながら、滅王ホロビの城を目指して旅を続け、その道中で縋り付いてくる不幸な人々を救い続けた。

 彼女を嘲笑う人が少なくなり、ベリンダが聖女として認められるようになった頃、滅王ホロビは側近の一人、艶姫つやひめエリナをベリンダの元へ差し向ける。

 エリナの力は強大だった。他人を巻き込むことを恐れたベリンダは、とにかく人が少ない場所を目指して必死に走った。


「おーっほっほっほ! 追いかけっこはおしまいよ。消し炭におなり!」


 エリナの高笑いと共に、ベリンダの目の前の木が炎上する。

 辺り一面火の海だった。

 逃げ場はない。ベリンダは唇を強く噛み締めた。


「ようやく諦めてくれたのね、お嬢ちゃん。余計な手間掛けさせるんじゃないわよ」


 豊かな胸を強調するように腕を組み、太ももまでスリットの入った長いスカートをなびかせて、艶姫エリナが笑う。

 上半身は、乳房の形がはっきりと見てとれる胸当てのみ。両脇に深いスリットは入っているものの、動きやすいとは言い難い長いスカート。

 何故この人は、こんな格好をしているのだろう。

 追い詰められたベリンダは、そんなことを思っていた。


「最後に何か言いたいことはある?」

「··········その胸当ては止めた方が良いですよ。誰の趣味かは知りませんけど、乳房の形ばかり強調していて下品です」

「あんたみたいなお嬢ちゃんには、わからないでしょうね。じゃあ、死んでちょうだい」


 エリナが右手を大きく振り上げる。

 ベリンダは静かに目を閉じた。

 滅王ホロビを倒すことはできなかった。

 だが、誰一人巻き込むことなく、一人で死ぬことができた。

 それで充分だろうと思っていた。


「私もわかんないなー、その趣味」


 ··········覚悟していたはずの痛みが、衝撃が、やって来ない。

 おそるおそる目を開ける。

 ベリンダのすぐ目の前に、言ノ葉の魔女アウラが立っていた。


「それって滅王の趣味? 服だけじゃなくて男の趣味も悪いんだねー、お嬢ちゃん」

「あんた、私に殺されたいみたいね」


 エリナが火炎球をアウラに向かって投げつける。

 言ノ葉の魔女は、指ひとつ鳴らしただけでそれを消してみせた。

 エリナが小さく息を飲む。

 アウラがにやりと笑ったのが、見えたような気がした。


「調子に乗るなよ、小娘。言ノ葉の魔女に魔法で勝てるとでも?」


 艶姫エリナは強かった。

 言ノ葉の魔女アウラに正面から魔法で挑み、丸二日間戦い続けた後、全ての魔力を使い果たして消滅した。

 エリナの消滅を見届け、焼かれた森の修復を可能な限り行った後、疲労困憊の言ノ葉の魔女アウラは昏倒した。

 聖女ベリンダは、ただそれを見ていた。


「··········お? おお、生きてる! 生きてるぞ!」

「ああ、良かった。お気づきになったんですね」

「ああ、君が回復魔法掛けてくれたのか。助かったよ」

「聖女になる時に、これだけは仕込まれましたから」

「うん?」

「聖女ならば回復魔法ぐらい使えなければと。何故回復魔法すら使えないお前が選ばれたのだと、散々詰られました」

「··········」

「私、本当にただの村娘だったんです。剣なんか握ったことないし、魔法のまの字も知りませんでした。だけど聖女に選ばれて、滅王を倒せと言われて」

「うん」

「嫌だと言っても聞いてくれないじゃないですか、あの人たち。なんでお前なんかが聖女なんだって馬鹿にするくせに、聖女なんだからこれくらいできて当然だとか、聖女なんだから助けてくれて当然だとか言ってきて。私を助けてくれる人はいないのに」

「うん」

「だから、アウラ様に頼るつもり、なかったんです。アウラ様は嫌だと言いました。嫌だと言う人に無理やり役目を押し付けるだなんて、あの人達と一緒じゃないですか」

「そっか」

「だから、だからアウラ様だけは頼らないって決めていたのに」

「··········そっか。ごめんね、意地悪言って。今までよく頑張ったねえ、ベリンダ」





 言ノ葉の魔女アウラを仲間にした聖女ベリンダは、見事に滅王ホロビを討ち果たした。

 こうして世界の危機がまた一つ去り、言ノ葉の魔女アウラの二十一回目の伝説が語られるようになる。

 後に、聖女ベリンダの元へ当時の話を聞きに行った者は、揃って彼女にこう言われた。


「私は聖女なんかじゃありません。無力な村娘でした」


 言ノ葉の魔女は今でも〈鳴かずの森〉に住み、聖女ベリンダは故郷の村でひっそりと暮らしている。

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言ノ葉の魔女と無力な聖女 三谷一葉 @iciyo

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