21回目の誕生日

凪野海里

21回目の誕生日

 日付が変わり、21回目の誕生日を迎えた。

 手にあるスマートフォンが同時に、ひっきりなしに通知を鳴らす。ピロン、ピロン、ピロン、ピロン。

 きっと誕生日を祝うメッセージが送られているに違いない。そう思ってスマホを開くと、案の定だった。私はその1つに1つに目を通していった。


「誕生日おめでとう!」

「21歳の誕生日おめでとう!」

「今度どっか行こう!」

「明日プレゼント渡すね! 楽しみにしてて」


 中には簡単にスタンプだけを送る者もいた。1人1人、あるいはグループ全体に対して「ありがとう!」とメッセージを送る。けれど私に満足感はなかった。

 まだ子どもの頃は1つ歳をとるたびに、学年が1つ上がることに対するワクワク感があった。18歳のときは友だちが面白がって「18禁解禁おめでとう!」なんて黒板に書いてくる(実際に解禁されるのは高校を卒業してからだけど)。20になったらお酒と煙草が解禁して、大人の仲間入りになるという節目だ。

 けれど、21。なんて中途半端なんだろう。思わず私は笑ってしまう。何か特別なことが起こるわけもない。せいぜいまだギリギリ学生だから、歳を重ねることにどこか特別な気持ちがあるものだけど、大学を卒業したら社会人だ。そしたらますます、歳を重ねた実感が湧かなくなって、やがて「今いくつだっけ?」なんて首をかしげることになるに違いない。

 誕生日を祝福するメッセージをどんどん流し読みしていく。仕事で遅くなるお父さんからも「誕生日おめでとう」のメッセージが入ってきていた。


 メッセージのスクロールがだんだん下へといくうちに、私の指はある字を視界に入れたことで止まった。「お母さん」――。メッセージは昨年の今日。


 私はそれを恐る恐るタップした。


 表示されたのは、「20歳のお誕生日おめでとう」というメッセージと、かわいいパンダのスタンプ。それから、ビデオファイルだった。そこでお母さんからのメッセージは更新が止まっている。

 私はビデオファイルをタップした。

 数秒ほどの読み込みのあと、私のスマホに映し出されたのは、ベッドの上で病院着を着た、懐かしいお母さんの姿だった。お母さんの鼻には酸素を送り込むためのチューブが付けられている。


「舞、20歳の誕生日おめでとう。びっくりしたかな?」


 お母さんはそう言って、画面の向こうでほほ笑んだ。


「今年はこんなかたちで祝うことになってしまって、ごめんね。本当はおうちであなたの誕生日を祝いたかったの。20歳になったということは、お酒が解禁するし、来年の1月には成人式があるね。着物は用意できてる? もしできてなかったら、お母さんも一緒に選びたいなぁ。すっごくかわいい着物を選んであげたい」


 お母さんの柔らかな声が耳に響く。幼い頃、毎日のように寝る前のベッドの上で絵本の読み聞かせをしてくれたような、懐かしい響きだ。けれどその声には時折、苦しげな息遣いが混ざった。

 お母さんがガンで亡くなったのは、昨年10月のことだった。残暑も過ぎ去り、いくらか過ごしやすくなっていた秋の頃、けれどあの日だけは、10月にしては異様な寒さに見舞われた。


 その日、お父さんから連絡をもらって慌てて学校の授業を抜け出し、お母さんの入院している病院にたどり着くと、病室では医師や看護師がひっきりなしに部屋を出入りしていて、お母さんの横たわるベッドを取り囲んでいた。

 お父さんはその輪から離れたところで、じっとしていた。


 お父さん、と呼びかけると彼は私に目を向けた。そのときの憔悴しきった顔は今でも覚えている。見た瞬間、意外にも冷静に「お父さんでもそんな顔するんだ」と思った。私の知っているお父さんは、人前では決して泣かない。自分にも周りにも厳しくて、簡単に笑ったりもしなかった。そんなお父さんが、悲しそうな目をして私を、それからベッドにいるお母さんを見た。

 お母さんの容体を確認していた担当医が私に気付いて、「こちらへ」と言ってくる。私はゆっくりお母さんに近づいた。そのあとをお父さんがついてきた。お母さんの周りを囲んでいた人たちが私たちのために道を開けてくれた。

 その先にいたお母さんは、目を閉じながらゆっくりと浅い呼吸を繰り返していた。


「お母さん!」


 思わずすがりつくと、お母さんはうっすらと目を開けて口をわずかに動かした。「まい」と言っていたような気がする。それから私の後ろにいるお父さんを見て、「おとうさん」とも口を動かした気がする。

 もう喋る気力もないんだとわかって、私は目が熱くなるのを感じた。


「お母さん、お母さん!」


 私は必死にお母さんを揺さぶった。そうでもしないとお母さんがまた目を閉じてしまうと思ったからだった。もしここで目を閉じてしまったら、もう二度と開けてはくれない。そんな気がした。

 だから私はお母さんを繋ぎとめておきたくて、何度も名前を呼んだ。

 お父さんが後ろで「やめなさい」と手を止めてきた。


「なんで!」


 だってこうでもしないと、お母さんが寝てしまう!

 そう思って後ろを振り向いてハッとした。お父さんの目の周りがわずかに赤くなっている。鼻をズズッとすする音が聞こえた。


「お母さん、大丈夫だ」


 お父さんは、お母さんに向けて静かにそう言った。


「俺も舞も、大丈夫だ。だから安心してくれ」


 その声に、お母さんはうっすらと力なくほほ笑んだのを私は見た。

 同時に、お母さんの目がすっと閉じていく。ピーッという電子音が静かな病室に強く響き渡った。



「――このビデオメッセージは、舞が20歳になったときに送られるように設定してあります。こんな機能があるって知ってた? 舞だったら知ってるかな。よくお友だちとメッセージのやり取りをしてるもんね。お母さんは機械に疎いから、つい昨日知ったの。だから急いでメッセージを作りました。サプライズが成功したら、嬉しいな」


 自分の頬に涙が流れていることに気付いて、私は服の袖でそれを拭った。お気に入りの空色のパジャマがどんどん染みを作っていく。

 画面の向こうでは、それまで幸せそうに笑っていたお母さんが、ふと真面目な顔をした。


「さて、どうして私がこのメッセージを送ったのか。それにはちゃんとした理由があります。実はお母さん、余命宣告を受けていたんです」


 それは家族のなかで、私だけが知らされていないことだった。

 お母さんのガン――乳ガンが発覚したのが、昨年の8月下旬。夏の終わりのことだった。その頃にはもうだいぶ進行していて、体じゅうのあちこちに転移していたらしい。余命はもって1ヶ月だったと聞いた。


「どうして舞にだけ知らせなかったかと言うと、舞がもうすぐ迎える誕生日になんとしても間に合わせたいって思ったからなの。舞がもう子どもじゃないことも、ちゃんとわかってた。だからこれは、私の単なるワガママ。だからお父さんを責めたりしないでね?

 大丈夫。私は生きる。生きて、舞と20歳の誕生日をお祝いして、一緒にお酒を飲むの。だから宣告なんて関係ないのよ」


 お母さんはまるで自分自身にもそう言い聞かせているように、何度も「生きる」とつぶやいた。けれど途中から、それまで普通だったお母さんの顔にわずかな変化がうまれた。

 眉間にぐっと皺を寄せて、息を詰まらせる。

 次に発せられた声には、わずかに涙が混じっていた。


「だからね、これはあくまで保険。もしもあなたの20歳の誕生日を祝えなかったときのために、メッセージを残しました。もし、ちゃんと祝えたらこのメッセージは削除します。でも安心してね。絶対祝う。そしてお酒を一緒に飲む。そのための願掛け」


 お母さんは瞼の奥に涙を溜めながら、「でもどうしよっかなぁ!」と不意に大きな声をだした。


「お母さん、機械に疎いからもしかしたらこのメッセージの予約送信を削除するの忘れちゃいそう! そうなったときのために、この日は舞のスマホを密かに持ち出して、こっそり削除させていただきます! だって恥ずかしいもの!」


 お母さんはズズッと鼻をすするとベッドサイドに置かれた箱ティッシュから何枚かティッシュを引っ張り出して、鼻をかんだ。それからあふれる涙を手の甲で軽く拭って……。

 画面の向こうにいるお母さんは、笑った。 


「舞、20歳の誕生日おめでとう! お酒飲もう、絶対。約束だよ!」


 終わり! と大きな声をあげて宣言すると、お母さんの手が画面へと伸びた。そこで映像は止まる。


 私は画面に伸びたお母さんの指に、そっと触れた。そこにあるのはスマホの固い画面。

 私は目をぎゅっと閉じる。気が付いたときには、涙があふれていた。


 21回目の誕生日に特別な気持ちなんてない。

 ただ、20回目の誕生日を。それからその先も、お母さんには一緒に祝ってほしかった。お母さんの約束は果たされなかったのだ。

 流れる涙を、今度は乱暴に拭う。もう二度と更新されることのないメッセージを見つめる。


 それでも、このビデオメッセージだけは永遠に残り続けるのだ。21回目の誕生日も、その先も。


 私はもう一度ビデオの再生ボタンを押した。


「舞、20歳の誕生日おめでとう。びっくりしたかな?」


 お母さんの柔らかな声が再生される――。

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