山里 春の恵み
楠秋生
第1話
「お兄ちゃん! お兄ちゃん! つくしんぼ見つけたよ! 本物、初めて見た!」
春休みのある朝早く、六年生になる孝太は香澄の元気な声で起こされた。
「ふぁ~あ。……つくしんぼ?」
寝ぼけまなこをこすりながら身体を起こす。朝の空気はまだまだ冷たい。伸びをした孝太はぶるっと身体を震わせた。その顔の前に、一握りのつくしんぼが突きだされた。本で見たことのあるつくしんぼそのままの形をしている。
「うわ。本物だ」
「すごいでしょ? いっぱいあったよ! ばあちゃんと見つけたの。後で一緒に取りに行こうよ」
二つ下の香澄が、嬉しそうに天然パーマのツインテールを揺らして誘う。早朝からウメと散歩してきたようだ。
「そんなに取ってどうするんだよ」
「料理して食べるの」
「つくしんぼって食べられるんだ?」
「うん! ばあちゃんが言ってた」
朝食のときに聞くと、炒めたり佃煮にしたりするらしい。
「美味しいの?」
姉の和花が食卓の隅に置いているつくしんぼをつまみ上げ、くるくると回してたずねる。
「お母さんは好きだったわよ。でもちょっと苦いから、好みは別れるかな。懐かしいわぁ。都会では見なかったものね。たくさん採ってきてくれると嬉しいわ。ご飯が進むわよ~」
洋子が孝太のおかわりのご飯をよそって笑う。
「お姉ちゃんも一緒に行こうよ!」
家でゴロゴロするつもりだった和花も香澄におしきられ、三人でつくしんぼ採りに出発することになった。ウメがちゃっちゃと手提げかごを用意してくれる。
「一度にぎょうさん採りすぎんようにな」
「どうして?」
「ああ、ハカマ取りが大変だったわね」
洋子が思い出したように呟く。
「ハカマって?」
三人の疑問をいち早く香澄が口にすると、ウメがつくしんぼの一本を取り上げて説明してくれた。
「この棒のところについている、ギザギザした部分だよ。取らないと食感が悪くなる」
「ふ~ん」
香澄が不思議そうにまじまじとつくしんぼを見つめる。
「さっさと行こう!」
実際に生えているところを見たくてうずうずしていた孝太は、かごを持って先に飛び出した。
先に駆け出したものの、道端を見てもそれらしきものはない。どこにでもあるわけじゃないのかな。うろうろと見て歩く。
「もう! お兄ちゃんったら場所もわからないのに先に行かないでよ」
香澄と和花もそれぞれかごを持ち、ちゃんと帽子をかぶって後ろから歩いてきた。
「こっちだよ」
道案内するのが嬉しそうに、香澄が先頭をきって歩くから、孝太ははやる気持ちをおさえてそれについていってやった。まだ肌寒い春の空気を胸にいっぱい吸い込みながら歩く。
雪が溶けて茶色を見せていた田んぼも、淡い緑がまばらに模様を描いている。灰茶色の枯れ枝ばかりだった木々は、ここ数日で枝の先に黄緑色が目立つようになった。山のあちらこちらには、細かい白を散りばめた山桜や、しっかり白い花を主張しているコブシが点在して春の訪れを知らせている。
「ほら! ここ! いっぱいあるでしょう?」
香澄が指差した土手には、一面につくしんぼが生えていた。
「うわ! すっげぇ!」
「わぁ。こんなに生えてるものなのね」
群生するつくしんぼに孝太と和花が目を丸くした。
「すごいでしょう」
まるで自分の手柄のように言って、香澄が早速採り始める。
20センチ以上もある長いのもあれば、小指の先程の短いのもある。短いのは、出てきたばかりなのか、
「言い忘れてたんだけど、長い方がいいんだって」
「ええ? 今頃それ言うの?」
孝太のかごには、もう三分の一ほど入っている。
「ごめんごめん。顔を上げたら、短いのを放りこんでるのが見えたから」
「なんで短いのはダメなんだろう」
かごの中の短いつくしんぼをつまみ出す。
「ハカマを取るって言ってたでしょう? 短いとハカマを取る手間の割りに食べるところが少ないからだって。あと、ほら。頭が固くて、中に緑の胞子が詰まってるのが見えるでしょう。これが苦いみたいよ」
「ちぇっ。半分ダメじゃん」
「もったいないと思うなら、試しにそれも持って帰ってもいいんじゃない? どれくらい苦いか食べてみたらわかるから」
ふむ、と考えて孝太は上からぱっと見てわかる分だけを捨てることにした。
「どれだけ採れた~?」
香澄が何度も見にきて孝太のかごを覗いていく。和花のところにも寄って、また違うところへ駆けていく。偵察しているのだろうか。どうせ家に帰ったらいっしょくたにするのに。それでも、自分が一番たくさん採った! と言いたいのだろう。孝太は適当に手を抜いて水路をのぞいてみた。春の陽射しを浴びてキラキラと水面が光っている。
かごに半分以上つくしんぼが採れた頃、ウメがおやつを持ってやってきた。
「ぎょうさん採れたなぁ。もう終いにしょうか」
「え~。もっと採りたい」
「まーた採りに来たらええ。まだしばらくはあるから。人の食べもせんものを無駄に採っちゃいかん。いっぺんに採っても、萎れさせてごみにするだけだ」
ごみになると聞いて、素直に香澄も諦めた。
「このお団子美味しい!」
「今日はきな粉にしたけど、明日は草団子にしてもいいねぇ。ヨモギもチョロチョロ生えてきてるから。ほれ、そこにも」
ウメが団子を片手に反対の手で少し先を指さす。
「ヨモギ? ヨモギってそこら辺に生えてるあのヨモギ? 色水作るときに使う草? ヨモギから草団子ができるの?」
香澄が驚いて目を丸くする。
「ああ、そういえばヨモギ餅って言うものね」
和花も草のヨモギと草餅は結びついてなかったようだ。
「これからの季節、尊い自然の恵みをぎょうさんいただけるよ」
「尊いってどういう意味?」
「素晴らしい神様の贈り物ってことだよ」
「ふ~ん。そうか」
香澄がゆっくり頷きながら、お団子に手を伸ばした。
「あっ! もうこんなになくなってる! お兄ちゃん一人でたくさん食べてずるい!」
三人がおしゃべりしている間、団子を食べ続けていた孝太は、満腹のお腹をぽんっと叩いた。
「あ~。うまかった。ばあちゃん、ごちそうさま~」
自分のかごを持って立ちあがり、駆け出す。
「ほっほっ。孝太はよう食べるなぁ。明日はもっと作ろうな」
後ろからばあちゃんの声が追いかけてきた。
「これ、けっこう面倒くさいな」
和花と香澄が淡々とハカマとりの作業しているのに、孝太はぶつくさ文句ばかり言っている。工作など作るのは大好きだけど、こういうひたすら同じことを繰り返すのは苦手だ。
テレビをちらりと見ながら、おしゃべりもしつつ手を動かしている二人と違って、孝太はテレビに意識が向くと手が止まってしまう。
「面倒くさいことよりも、こんなに指先が黒くなるなんて思ってなかったよ」
「真っ黒だね~」
おしゃれ好きな和花は、黒く染まった指が気になるらしい。
「でも、お母さんが好きだって言ってたから、採ってきた分は全部やっちゃおう」
「あともうちょっとだしね」
それぞれ自分の採ってきたつくしんぼのハカマとりをしていて、途中から和花が香澄の分を手伝っていた。
「おれの、まだまだあるぞ」
「お兄ちゃんは自分の分、頑張ってね」
「ずるいぞ。お前は手伝ってもらってるくせに」
「お兄ちゃん、お団子いっぱい食べたからがんばれるよねー」
それ以上言っても手伝ってくれなさそうだ。孝太はため息をついて作業を続け、ウメが畑からもどって来たときにちょうど終わった。
「三人ともよう頑張ったねぇ。全部終わっとるとは思わんかったわ」
「でも洗っても指真っ黒だよ~」
香澄が手指を顔の前で動かして見せた。
「明日か明後日には落ちるよ」
ウメはなんでもないという風にさらりと流すが、和花は最初に教えてもらえなかったからか、ちょっと不満気だ。
「春休みでよかった」
孝太はそれよりも、どんな料理になるかの方が楽しみだった。
「まーず、このおっきなボールに水を張ってアク抜きするよ」
かごのつくしんぼをボールに入れ、水をたっぷり入れる。するとそのそばから水が緑色に染まっていく。それを流してまた水を入れるのを繰り返す。
「さぁ、あとは母さんが帰るまで晒しておこうかね」
「このまま置いておくつてこと?」
「そう。一晩置いてもいいけど、これだけ開いてるのばかりなら、二~三時間でもいいかな」
すぐに料理するのかと思っていた孝太は、待ち時間があることにちょっとがっかりする。
「孝太はせっかちやなぁ。そんなに急がんでも、のんびりゆっくりやったらいいのに」
「そういうばあちゃんだって、いつもちゃきちゃき動いてるじゃん」
「動くときは動く。待つときは待つ。どこで動くか待つか覚えたらいいの」
そんなもんかな。孝太は納得できたようなできないような顔をして黙った。
「わぁ! 今日はつくしんぼ尽くしね。ずいぶん頑張ったのねぇ」
仕事から帰ってきた洋子が料理を見て大げさに喜んだ。テーブルには、砂糖醤油の佃煮、バター醤油炒め、かき揚げが並んでいる。一口食べて、「美味し~い。懐かし~い」と連呼する綻んだ顔を見て、三人ともこそばゆく、はにかんだ笑顔でお互いを見やった。
「つくしんぼ、こんなに美味しいと思ってなかったわぁ。これなら指が黒くなっても食べたいかも」
「うん! 全部美味しいねぇ」
孝太は黙って四杯もおかわりして佃煮を食べている。
「これだけ喜んでもらえると、料理したかいがあるよ」
「あのね、とーとい自然の恵みだって」
香澄が覚えたての言葉を披露する。
「あら、尊いだなんて難しい言葉知ってるのね」
「ばあちゃんに教えてもらった!」
「そう。この素晴らしい山里に住んでいるんだもの、自然の尊さやありがたさを、しっかりあなたたちに伝えていかないといけないわね」
ウメがにっこりと微笑んだ。
山里 春の恵み 楠秋生 @yunikon
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