21回目のキヨコ
鳥辺野九
21回目のキヨコ
ようやく決心したデモ参加の日に限って雨が降るなんて。やたらと大粒の雨だ。『すべての人に長寿の権利を』運動のデモ列は、雨に打たれながらぞろぞろと足並み乱して進んでいる。
「誰でもみんな、長生きする権利が、あるはずだー」
なんとも意味がよくわからないシュプレヒコールは繰り返されることなく雨音にかき消された。そりゃそうだろう。誰だって大粒の雨に打たれながら歩きたくない。デモの主催者は拡声器片手に、忌々しい雨空を睨んでいることだろう。
さて、デモ参加の日に限ってのこの大雨。ついてないのか、ついてるのか。どう判断したものか。
雨に打たれると体温が下がり、下手すれば風邪を引く。十年前の社会保険制度崩壊から医療費は上がる一方だ。風邪ひとつ引くわけにもいかない。そういう意味ではついてない。
ついてる点はと言うと、雨が降れば傘をさす。それだ。傘を頭からかぶるように深くさせば顔を隠せる。大げさに言えば反政府デモ参加者として公安警察の厳しいチェックを傘ひとつで逃れられるかもしれない。その点ではついてる。
大粒の雨が降りしきる中、公安警察に顔バレするのを恐れてまで、何故僕はこの意味が見出せないデモに参加するのか。
来週には僕もとうとう三十路の大台に到達する。生きる意味を考えるにはいいタイミングじゃないか。
僕と似たような理由か、無駄な社会正義感を持ち合わせているのか、雨に打たれて歩きたい変わり者か。思ってたよりもかなりデモ参加者は多い。老若男女問わず、というよりも、むしろ暇な年寄りが多い。
当然だ。長生きする権利とやらは、まだ若い世代の僕よりも切実な問題だ。
「みんな平等に、歳を取る、権利があるー」
僕は拡声器のシュプレヒコールに声を合わせようとは思わなかった。それが周囲の老人たちにバレないよう、傘を深くさす。そしてこんな暇なデモに参加する人間たちの人物観察と洒落込もう。
延命ワクチンの抽選接種中止運動のデモ行進に参加する暇人はどんな人間たちなのか。
ふと、僕のすぐ隣を、おそらくデモ参加最年少と思われる二十歳前くらいの女の子が歩いているのに気がついた。
彼女は老人たちの錆びた色合いの中で特に目立つカラフルな格好でとぼとぼと歩いていた。レザー加工のキャスケット帽に水色のウインドブレーカーを頭からかぶって雨を凌いでいる。だがしかし、雨の勢いは相変わらず強い。当然、すでに濡れ鼠。ウインドブレーカーから染み出した雨がキャスケット帽を伝い、雫がぽたぽたと落ちている。
十代とも見える小柄で華奢な身体付きですぐ隣にいるのにも見えなかった。ずっとデモの先頭、暇人の代表格を探していたからか。
「あの、入るかい?」
僕は傘を差し出してみた。僕の傘から落ちる雨雫が彼女を濡らす少なからずの原因になっていた。これくらい、ささやかな下心抜きでしてもいいだろう。
彼女はほんの少し驚いたような顔をして、そして、まるで作戦勝ちと勝ち誇るようににっこり微笑んだ。
「では、遠慮なく」
彼女は僕の傘に入り、ウインドブレーカーの雫を払い、身支度するようにキャスケット帽を丁寧にかぶり直した。
「ご親切にどうも。やっぱり若い人の方が優しいもんだね」
不思議なことを言うもんだね。僕はそう思った。少なくともこのデモ隊の中では僕も若い部類に入るが、君の方が圧倒的に若い。きっと最年少だ。
「みなさん、自分のことで精一杯で周りが見えていないのかも」
周囲を見回す。右も左も、前も後ろも、老人たちばかりだ。よくよく見れば、若者と呼べる世代は彼女のみ。かろうじて二十代の僕も含まれるか。この大粒の雨の中、デモ行進ご苦労様です。
「まったくだ。何を見たくてデモ行進してるんだか」
彼女は周囲のデモ老人に歩速を合わせて歩きながらキャスケット帽を脱いで雨露を払った。僕もそれに歩調を合わせ、彼女の艶やかな黒髪に雨粒が当たらないように注意する。
「ふう。助かった。まさか雨がこんなに強くなるだなんて」
「天気予報見ていないのか?」
「あれは見ないでいい。空と雲を見ればいい」
「それでそのざまか。風邪引くよ」
「ご心配無用。キヨコだ」
彼女は僕に歩幅を合わせて、さりげなく右手を差し出した。その手が握手を求めているものであり、キヨコという言葉が彼女の古風な名前だと気付くのに、僕は三歩ほど費やしてしまった。
「ああ、シュウだ。まあ、短い間かもしれないが、よろしく」
キヨコの小さな手と握手。デモが終わるまでの間、僕の傘の中にいるつもりなんだろう。
「シュウくん。あんたは何故、こんなデモに参加してるんだ?」
こんなデモ。『すべての人に長寿の権利を』運動デモ。ほぼ老人たちだけが参加している反政府デモ。
「父が4回目の延命ワクチンを接種したんだよ。それで少し若返ったくらいで、調子に乗ったんだろうな。母と離婚して若い女の元に走って行ったよ」
つい今しがた出会ったばかりのキヨコに、僕はいったい何を話しているんだろう。身内の恥を見知らぬ少女に晒す。どんな精神的自傷行為だ。
「延命ワクチンを使って若返ったって、人はその分不幸になるだけで何の意味もないよ」
「そうかもな。変なこと聞いて悪かった」
キヨコは俯いた。キャスケット帽で僕から表情を隠して、続けて問う。
「シュウくんは延命ワクチンを打つ気はあるのか?」
「20回連続で抽選から外れてるよ。もう奇跡的だろ、それって」
通称『延命ワクチン』。細胞の老化を司るテロメア。その染色体の末端構造を複製して修復するウイルスが発見されたのは11年前。その性質を利用して作成された寿命延長薬剤は『延命ワクチン』と呼ばれた。
延命ワクチンは人々の健康寿命を延ばし、結果として日本の社会保険制度は崩壊した。
日本政府は延命ワクチンの使用を制限することにした。全国民に平均的に行き渡るよう、年に二回、全国民を対象に抽選を行う法律を作った。抽選に当選した者に延命ワクチンの摂取が義務付けられる仕組みだ。
「20回連続で外れ続けて、気が付けば十年間一度も延命処置を受けていない。でもそれってごく自然なことじゃないか。そもそも延命ワクチンを強制接種させる政策こそが馬鹿げている」
僕は小声でキヨコに言った。強い雨音と間抜けで不自然なシュプレヒコールのおかげで、僕の反政府的発言はキヨコにしか届いていない。公安警察がデモ隊に紛れてデモ参加人物を洗い出してるかもしれない。迂闊に余計なことは言えない。
「異常な長寿なんて愚かなことよ。何のための延命ワクチンなんだかな」
キヨコは同意してくれた。
延命ワクチンは細胞染色体のテロメアを修復してくれる。それは単に寿命が延びる効果だけをもたらすものではない。約五年分細胞が逆再生されるのだ。五年ほど若返り、そこから先さらに五年は修復されたテロメアが消費されるので、結果として一回のワクチン接種で確実に健康な五年間をリピートできるのだ。
父は4回延命ワクチンを接種した。約二十年若返り、絶対に健康な二十年未来を手に入れた。新しい二十年を求めて新世界に飛び出すのも仕方ないことかもしれない。
「なあ、シュウくん」
キヨコが一つ傘の中、さらに僕に近付いた。僕は傘を深く持ち、雨の中に二人だけの空間を作り出した。
「国民はみな騙されている」
彼女はこっそりと秘密を打ち明けてくれた。デモ隊の誰にも聞かれないよう僕の耳元で雨音よりも小さな声で囁く。
「これは単なる国家継続政策じゃない」
国民の健康寿命が延長されれば、その分だけ労働人口の確保や少子化問題の対策になる。日本という国家の継続に直接影響を与える政策なはずだ。
「政府は、延命ワクチンを打てる人間を意図的に抽出している。国民の寿命を使って、大きな社会実験を行なっているんだ。20回抽選を外れたあんたは、きっと優秀なサンプルだ。意図的に選ばれていないんだよ」
「どうしてそんなこと言えるんだ?」
デモ隊は歩き続けている。そういえば、いったいどこへ向かってデモ行進しているんだろう。
「私は20回連続で抽選に当選している人間だ」
どう見ても二十歳前の女の子は言った。
「21回目、もう怖くて延命ワクチンなんて打ちたくない。でも、きっと意図的に当選させられるだろうな。何せ、生体実験だから」
20回延命処置を繰り返しているキヨコ。シュプレヒコールが繰り返される雨の中、僕は小学生でもできる簡単な計算を慎重に解いた。
一回の延命ワクチンで約五年。それを20回。キヨコは、百年若返り、そしてこの先百年間健康に生き続けなければならない身体なのだ。
あまりの事態に脳の中まで大粒の雨に打たれている気分になる。
「キヨコ、君って、何者なんだ?」
「さあな」
キヨコはキャスケット帽を傾げて見せた。
もう、デモとかワクチンとかどうでもいいや。僕の中で何かの枷が外れた気持ちになった。
「ちょっと、そこでコーヒーでも飲みながら落ち着いて話さないか?」
デモ隊が向かう先、一軒のスタバが見えた。
「あら? ナンパでもしてるつもり? こう見えても中身は百歳オーバーのおばあちゃんよ」
「おばあちゃんっ子なんだよ、僕は」
キヨコは僕の冗談に笑ってくれた。最高に可愛らしい笑顔だった。
「いいよ。スタバって、若い頃から行ってみたいと思ってたんだ。注文の仕方、知らなくてさ」
僕とキヨコはこっそりと、だらだらとしたデモの流れから抜け出した。20回連続で抽選から漏れた若い男と、20回連続で当選した若い女と、ひとつ傘に隠れて。
21回目のキヨコ 鳥辺野九 @toribeno9
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