実摘み三つ摘み

きざしよしと

実摘み三つ摘み

 夕暮れ時になると、それはふらりと現れる。

 ずんぐりとした真っ黒い上半身を丸めた、鼻のない怪物。輪郭が曖昧な、およそ質量など無さそうなのに存在感のある、げに恐ろしきモノ。

 家の者達は、彼をミツミ様と呼んだ。


 俺の家には古い言い伝えがある。

 曰く、この家の中の者はすべからくミツミ様の物である。許可なく持ち出すこと勿れ。

 ミツミ様とはウチの守り神の事だ。だから、全寮制の学校へ入学する時も、他所へ嫁に行く時も、古ダンスを捨てる時ですら、必ず神棚の前でお伺いをたてるのだ。ミツミ様が了承した時は神棚に置かれた空の鈴が鳴る。

 馬鹿馬鹿しいと思うだろうが、事実これが馬鹿にできない。叔母はミツミ様に結婚を反対され、駆け落ち同然で出ていったのだが、3日後には戻ってきた。駆け落ちた先で相手の男が車にはねられて死んだらしい。

 他にも、学校から帰るのが遅くなってしまった時や、旅行に出掛けた時に、ふと隣に寄り添う影が現れる時がある。俺以外には関知できない、ずんぐりと大きなそれは、きっとミツミ様だ。俺の帰りがあんまり遅いんで、ちゃんと帰ってくるか見張りに来たのだろう。

 ばあ様が言うには、ウチが昔から食うに困った事がないのはミツミ様のおかげらしいのだが、平成生まれの俺には食うものに困る社会と言うのが想像しづらいので、いまいち有り難みがない。

 むしろ、あの姿を見て、あれを神様だと思う人がどれくらいいるだろう。

 上半身だけが異様にたくましい巨駆の男。髪と鼻がなく、耳もないのっぺりとした顔はいつも何処を見ているのかわからない。輪郭ははっきりしていないのに、視界の端に現れると、心臓を掴まれんばかりの威圧感を感じた。

 そんな訳で、ミツミ様はいる。少なくとも俺の生きる場所には。


「なぁ、結婚しようと思ってんだけど」

 父に切り出したのは夕食時だった。

 俺には付き合って2年の恋人がいる。隣の市に住む、歳上の女性だ。俺はまだ二十歳なので焦るような歳ではないのだが、若いうちにウェディングドレスを着たいという彼女の希望もあった。

「悪いことは言わん、やめとけ」

 父の言葉は予想以上にばっさりとしたものだった。

「相手さんに申し訳ないわ」

「な、なんでそんなはっきり言うんだよ。そりゃウチはちょっと他と違うけどさぁ……それに、俺は三男なんだし、婿にいけばいいだろ」

「なおさらいかんわ」

 とりつく島もない様子に、俺は辟易してしまう。ミツミ様にお伺いを立てる事すらないなんて。不満に思った俺が反論しようとすると、父はぎろりと睨み付けてきた。

「ミツミ様にお伺いするまでも無いことだ。伊知郎は良い、滋郎もだ。ミツミ様さえ許せばな。だが、左武郎、お前だけは駄目なのだ」

 そう言って出ていく父を、俺は追いかけることができなかった。


 ―――どうして、俺は駄目なんだろうか。

 その夜、俺は布団の中で悶々と考え込んだ。だって1番上の兄は今や海外で働いているし、2番目の兄は婿に行って2人も子どもがいる。どちらも、ミツミ様にお伺いを立てて、了承してもらったらしい。

「なんで、俺だけ……」

 ギシリ、思考に耽っていた頭がさえる。廊下の床板の軋む音がした。誰かが歩いている。

 ―――こんな夜中に、誰だ?

 足音の主は俺の部屋の前で立ち止まり、何かを置いて立ち去った。緩慢な足音が徐々に遠ざかっていくのが聞こえて、俺はのろのろと襖を開けた。

「あ、叔母さん……」

 今しがた廊下の角を曲がっていったのは、離れで暮らしている叔母だった。恋人を亡くして気を病んでしまったらしく、すっかり厭世的になってしまった。

 ―――普段は閉じ籠ってるのになんで?

 ちらり、と足元を見やると、叔母が置いていったらしい折り畳んだ紙が見える。幾重にも折り畳まれていて、そしてかなり古い。

 広げてみると、それは家系図のようだった。

 五代ほど前の代から続く家系図は俺の好奇心をおおいに刺激した。廊下に設置された置き行灯の光を便りに、己の系譜を辿っていく。

 ―――あれ?

 妙なことに気がついた。随分と、早世な者が多い気がする。

 例えば、父の弟の晴彦は享年20歳。子どもはない。祖父の弟の仙次郎も20歳で亡くなっている。これは偶然だろうか。

 遡れば、その前の代も、前の前の代も、20歳で亡くなっている者がいる。さらに、その全てが第3子だと気がついた時、俺は全身の血が引くような恐怖が湧いてくるのを感じた。

 俺は三男、姉はいない。当代当主の三番目の子どもなのだ。

 慌てて己の名を探し、そして更にぞっとすることになった。兄達の名前の横に記載された俺の名前、その下には括弧書きで‘’享年20歳‘’と書かれていたのだ。

 まるで、そこで死ぬのが同然であるかのように。


 恐ろしくなって彼女の携帯を鳴らした。寝ているかもと思ったが、3コール程で応答してくれた声ははっきりとしたものだった。

 恐怖で支離滅裂な俺の話を聞いて「うん、何言ってるかわからんから迎えに行くわ」と、バイクに飛び乗ってくれたらしい俺の恋人は、掛け値無しに男前だった。

 そんな訳で俺は今、彼女の後ろに乗せられて公道を全速力で駆け抜けている。

「綾子さん、安全運転! 安全運転!」

 駆け落ちした挙げ句、恋人を失った叔母の事を思い出して叫ぶが、彼女は聞く耳を持たない。

「呪われて事故るならもう事故ってるよ、それより追い付かれたくないでしょ?」

 綾子さんは俺の家の話を聞いても、疑ったり大袈裟に驚いた事はない。友人らには一笑に伏された事もある悩みも愚痴も、当たり前の日常会話のように受け答えしてくれる。柔軟な人だ。

「うわっ」

 バイクが大きく後ろに揺れた。思わず目の前の華奢なライダースーツにしがみつき、後ろに感じた気配にぞっと背筋を逆立てる。

 ―――いる。

 この、おぞましい気配には覚えしかない。だって彼は毎日夕方になると決まって俺の側に現れるからだ。兄達はそんな事をされたことはないと言っていたから、多分兄弟の中では俺だけだった。

 それが何でなのか今ならわかる。

 ミツミ様は、実摘み様と書くのだと聞いたことがある。つまりは家に繁栄を与える代わりに、当代の3番目の実が熟したら、その実を摘みにやってくる神様なのだ。実の成熟、それが即ち20歳の境界線なのだろう。

 きゅ、と後ろにいるミツミ様が、俺の首に手を掛けた。大きな手だ。きっと人間の首なんてたやすく捻切ってしまう。

「大丈夫よ」

 綾子さんの声が凛と響く。

 バイクの速度が更に上がり、HONDAのトランザルプ400Vはあろうことか石段を駆け上がっていく。ガタガタと揺れる車体から振り落とされないようにしがみつき、揺れが収まる頃にはミツミ様の気配は無くなっていた。

 たどり着いたのは古びた神社のようだった。広いが、門は所々崩れているし、クモの巣も多い。手入れが行き届いていないのだろうか。

「ここは?」

「私の実家」

「えっ」

 俺は驚きつつも後ろを振り返ってミツミ様が追いかけてきていないことを確認する。おろおろとさ迷う俺の手を彼女が取った。

「だからこの家にいる間は大丈夫よ。どこの家の神様だろうが、他の神様の家には入れないから」

「そ、そっか……」

「そーだ、お母さんに紹介するね。私が迎えに行くって言ったら、会いたいから待ってるって」

「えっ、ええ、そんな……緊張する」

 綾子さんはガラリと引戸を開けた。

「え」

 そこにいたのは蜘蛛だった。身の丈は成人男性の倍ほどはあるだろうか、黒々とした身体に白い毛がびっしりと生えている。ぎょろりとした赤色の複眼が、歓喜をにじませて俺を見ていた。

「私の、お母さんです」

 はにかむ彼女はとても可愛らしいが、俺の手を掴む力は全然可愛くない。人間離れした凄まじい力で拘束された俺は、

 ―――どちらにせよ、21回目の誕生日は迎えられそうにないな。

 そう思いながら、ひきつったような悲鳴を漏らした。

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