結婚記念日

葉月りり

第1話

「じゃ、ママ、行ってくるね」

「体に気を付けて。あと、パスポートは絶対無くさないようにね」

「うん、気を付けるよ。ママも帰りの運転、気をつけてね。送ってくれてありがとう」


 二人の娘が、出発ロビーへのエスカレーターに乗って降りて行きました。外語系の大学生の二人は、2ヶ月の海外留学のためにオーストラリアへフライトです。コロナで半年ほど遅れてしまったけど、なんとか就活に間に合いそうです。


 二人は共に21歳、大学3年生です。そう、双子なんです。顔も体型もそっくりです。私はね、分かるんです、二人の違い。でも、夫は時々間違えてますね。


 2ヶ月経てば帰ってくるんですけど、なんか寂しいですね。二人が結婚して家をでる時はもっと寂しいんでしょう。二人いっぺんにってことはないでしょうけどね。


 ところで、今日は私達の21回目の結婚記念日なんです。え?計算が合わないって? そうなんです。「授かり婚」ってやつです。その頃はまだその言葉より「出来ちゃった婚」の方が幅をきかせていました。


 私は忘れていたんですけど、今朝、夫が今日が結婚記念日だって気がついて、今夜はお祝いしようって言ってくれたんです。外で食事でも、とも考えたんですけど、賑やかな双子も居ないことだし、私は二人で家でゆっくりしたいなと思って、「ご馳走作るからケーキでも買ってきて」と、夫にお願いしました。


 帰りにスーパーで買い物して、料理して、ちょっとリビングも片付けて花でも飾って。私もちゃんとお化粧して、久しぶりにピアスも入れましょう。


 空港から高速を使って、一つ前のインターで降りて、今日はいつもと違うスーパーで食材を揃えます。

 メニューは夫の好きなビーフシチュー。肉は奮発して国産、ソースは…最近は固形のルウでも充分美味しいですよね。サラダはカルパッチョ風にシーフードで。ゆでだことボイル海老にしましょう。なんでタコは「ゆで」で海老は「ボイル」なんでしょうね。


 わざわざこのスーパーに来たのはこのワインを買うためです。「おたるセイベル」、初めて四人で家族旅行したペンションでハウスワインとして出された思い出のワインです。安いワインなんですけど、なかなか売ってなくて。このお店で見つけた時は夫と二人で喜んでしまいました。


 実は結婚記念日として、ちゃんとお祝いするのこの21回目が初めてなんです。


 夫と私は同級生で、付き合いも長かったので、いずれはと思ってはいました。でも、大学を出て就職してすぐに妊娠してしまって。


 お給料も安くて貯金もなくて、おまけにお腹に二人です。目一杯切り詰めて、やっとこさっとこの生活でした。


 双子を出産してからは一層苦しくなって、親の手を借りてもギリギリで、不安な毎日でしたね。そんな風でしたから、結婚記念日を祝う余裕なんてありませんでした。


 一度、結婚記念日に夫がたまたま残業が無くなったとかで、ケーキを買って早く帰ってきたことがありました。その時私は3枚298円のアジの開きを焼いていて、


「どうしたの。今日は誰の誕生日でもないよ」


 夫に言われるまで、私は結婚記念日に気がつかなかったんです。双子はケーキに大喜びでしたけど、アジの開きとほうれん草のお浸しにケーキという食卓はビミョーでしたね。それから結婚記念日のことを話すこともなくなりました。


 最近は記念日を大事にするカップルも多いし、毎月毎週のように記念日を作る女の子もいるらしいけど、かえって私みたいに忘れっぽい方が楽かもしれませんよ。スイートテンさえ頭にありませんでしたから。


 何しろ初めての育児で双子ですから、平均よりずいぶん小さい二人を、死なせないようにするだけで精一杯。夫は本当に頑張ってくれました。


 生活のために残業を買って出て、遅くまで働いていたのに、朝ごはんも夕ご飯も自分で用意しなくてはいけない。部屋はいつも散らかっていて、休日もゆっくり寝ていられない。赤ん坊が二人いればそうなりますよね。夫も我慢していたことたくさんあっただろうに、文句も言わず、こんな私を支えてくれて、本当に感謝しています。


 夫婦でしみじみ「もう結婚してこんなにたったんだなあ」って思う時は、結婚記念日ではなく、大抵子供達の節目の時です。学芸会、運動会、入学に受験、卒業。今回の留学もそうです。


「ああ、死なずにここまで大きくなってくれた」


それだけで涙が出てきます。


 さて、料理に取り掛かりましょう。

玉ねぎをよく炒めて、牛肉をサッと焼いてワイン、アルコールを飛ばしたらお水。圧力鍋だからはやく柔らかくなります。でも、野菜には圧力をかけない方が私は好きです。最期にルウを入れて混ぜながらゆっくり煮込む。簡単です。


 サラダも出来あがりました。グラスを用意して、バゲットを切り分けて、クリームチーズを添えましょう。


 リビングのサイドボードの上に、写真が一枚飾ってあります。私達、結婚式を挙げられなかったので、結婚して3年経った頃に記念写真ぐらい残そうと、家族4人で撮ったものです。今日はこの写真を食卓に置きましょう。


 青空をバックにタキシード姿の夫とウエディングドレスの私、二人の間に白い翼をつけた二人の天使。辛い時、悲しい時、この写真を見ると元気が出ました。でも、この頃とは私も夫も随分変わりました。二人とも少し丸くなって、頭には白いものがチラホラ。


 あ、夫が帰ってきました。


「お帰りなさい」


「ただいま。はいケーキ。二人は無事着いたかな」


「まだ海の上よ。着いたらメールぐらいしてくれるわよ。あら、二人なのにホールで買ってきたの。」


ホールといっても1番小さいサイズです。それに誕生日用の数字のロウソクがついてます。それも「2」がふたつ。


「ねえ、このロウソク」


「ああ、22回目の結婚記念日だって言ったらサービスしてくれたんだ」


「ええ? 21回目でしょ。だって、あの子達21歳だし」


「妊娠3ヶ月で結婚してるんだから、22回目だろ」


「あ……」


やっぱり私、本当に記念日に疎いみたいです。


 夫は微笑みを浮かべて食卓に置いてあった写真を見ています。私達は二人の天使に結婚させてもらって、夫婦の絆も家族の絆も二人に結んでもらったようなものですね。


 (21回目でも22回目でも、私の気持ちはその頃とちっとも変わってないよ)


とは、恥ずかしいから言いません。


「乾杯!」


おわり

 

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