公爵はただため息をつく

山吹弓美

公爵はただため息をつく

「……お顔をお上げください」


 自宅の玄関ホール、その中央において公爵家当主は、大きくため息を付いた。彼の目の前には、厚手の絨毯に膝を付き平伏するこの国の宰相の姿がある。

 公爵の言葉に応じて頭を上げた宰相に、問いの言葉が降り掛かった。


「貴方は、これで何度目でしたかな」


「何度目、と言われても」


 どうやら宰相は、自らの仕事の傍ら何度も公爵邸を訪れていたらしい。その回数を問われて首をひねる彼に小さくため息をついて公爵は、ちらりと自身の執事に視線だけを向けた。


「宰相閣下におかれましては、二十一回目の来訪になります」


「……だそうですよ。宰相殿」


「そ、そんなに来ているか」


 執事の提示した回数に、宰相は冷や汗をかく。公爵は呆れ気味に再度ため息をつき、そうして何度も繰り返した言葉を紡いだ。


「閣下と閣下のお家に関しては、私はもう何とも思っておりません」


「し、しかしその顔は、そう思っておらぬではないか!」


「当然でしょう? 何しろ、私も娘も、当事者からの謝罪を受けてはおりませんからな」


 ふう。

 三度つかれた公爵のため息の音に、宰相は一瞬表情を歪めた。


 この場に顔を出していない、公爵の愛する娘。彼女は第一王子とその取り巻きたちによって冤罪を被せられ、王子との婚約を潰されることとなった。

 冤罪は即座に晴れたが、婚約の解消は王家と公爵家との話し合いにより正式なものとなった。何しろ王子には、王家肝いりの婚約者であった公爵令嬢よりも愛する、とある子爵家の養女がいたのだから。

 ただし、第一王子の王位継承権及び王族籍は剥奪。同じく子爵家の籍から外された元養女共々、辺境の地で平民として生きることになった。

 最後に会った二人の顔と叫びを、公爵は覚えている。


『お、俺は悪くないんだ! 頼む公爵、話を聞いてくれ!』


『わたしは悪くないんですう! どうして、平民に戻らなきゃいけないんですかあ!』


 あくまでも言い訳と保身にしか走らなかったあの二人は今頃、どうしているのだろうかと公爵は少しだけ思う。

 ただ、その愚かな様子を目の当たりにした可愛い娘が「……だめですわね、あれは」と肩をすくめた様子を思い出し、この記憶はここまでにしようと決めた。既に何の縁もない平民よりも、自身の娘のほうが大事なのだから。


「あ、あれはもう私の息子ではありません!」


「そちらの事情など、どうでもよろしい。我が娘を侮辱した張本人は、何故一度も謝罪においでにならないのですかな?」


 まだ、元第一王子と元子爵養女は自分たちの前に現れて、一応頭を下げた。自分たちが罪を被せようとした公爵家の娘に対し、謝罪のために。それが保身のためだろうしても、だ。

 だが、宰相は自身の息子を連れてきてはいない。二十一回目となった公爵家への来訪において、一度も。


「辺境伯に置かれましては、即刻王都に参じた上ご子息を伴って私のところにおいでくださいました」


「っ」


 さらに表向きには発表されていないが、魔術庁長官の子息もあの娘の手にかかっていた。彼らもまた、取るものもとりあえずこの屋敷を訪れ当主と娘に謝罪をした。

 長官子息は何やら表に出すことのできないことをやらかしたらしく、廃嫡の上屋敷にて幽閉ということになったようだが。少なくとも、魔術庁の予算と人員を勝手に使用したことは間違いない。


「我が息子も、妹に頭を下げ自ら廃嫡を望みました。故に、我が領地の辺境地にて鍛え直しております」


 公爵は軽く頭を振り、そうして宰相をまっすぐに見つめる。その、色も熱もない視線が公爵の、宰相に対する現在の感情であることには間違いない。


「宰相殿がお帰りだ。案内を」


 そして、そう吐き捨てられた言葉も。

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