肉じゃが
オオムラ ハルキ
1食分の幸せ
アナログ時計の長い針が短い針を捕まえて、21回目。彼女はまだ帰ってこない。あと2回、長い針が短い針を捕まえないと彼女は帰って来ない。彼女の大好物はグツグツとお鍋で煮込まれている。
あぁ、待ち遠しい。
早く帰ってこないかな。
キッチンに立って、もうすぐ味がいい感じに染み込むじゃがいもを見下ろしながら自然とつぶやいている。この21回目の時間に私はとても寂しくなる。
彼女は桜が散る頃、このアパートの私の隣の部屋に引っ越してきた。同年代だという彼女は勤務先が変わった為にここへ越してきたらしい。綺麗めな格好には似つかわしくない子供っぽい表情が、彼女自身のバランスを上手くとっていて、なんとも魅力的だった。
挨拶しかしない仲から、決定的に親睦が深まったのはあの日からだ。仕事帰りに寄ったスーパーでばったり会ったあの日。
私のカゴの中にはにんじんとじゃがいも、豚バラ肉にしらたき、そしてしいたけ。一方、彼女のカゴに入っていたのはにんじんとじゃがいも、豚バラ肉に玉ねぎ、そしてマッシュルーム。
「あ、お隣の田代さんですか?」
声をかけてきたのは彼女だった。
「はい。ここで会うのは珍しいですね。」
「今日は定時に帰れたんです。それでカレーでも煮込もうと思って……もしかして、田代さんの夕ご飯もカレーですか?」
「あ、そうだったんですか。い、いえ、私は今日は肉じゃがの予定でした。カゴの中身、似てますね。笑」
「私、すごい肉じゃが好きなんです!……………。あ、あの、もしよかったらなんですけど、カレー、少し貰ってくれませんか?私いつもカレーを作りすぎてしまって、朝昼晩カレー生活が続きがちなんです。」
「カレーですか…。私も実は作りすぎてしまう方です笑。もしよかったらなんですがカレーと肉じゃが、作り終わった後に半分ずつ交換しませんか?」
奇妙な料理交換会が始まった。初めはタッパーに詰めて交換していた料理は日を追うごとにバリエーション豊かになって、会話も増えた。面倒だ、という理由でお互いの家で料理を食べるようになって、次第にそれが当たり前になった。肌寒い雨の日は2人でお鍋をつついて、夏場は流しそうめんにチャレンジしたり、美味しい冷やし中華を研究してみたり…親睦が深まるうちに友情のその先へと気持ちが加速していくのが手にとるようにわかった。だけど、彼女にその気持ちを打ち明ける勇気はなくいつも通りに振る舞うのがやっとだった。
彼女はとても忙しい人で、平日、帰ってくるのは23時過ぎ。だから、平日は私が作って、休日は少し手の込んだものを彼女が作る。平日、1日の終わりに彼女と会うのはなんだか不思議な気持ちになる。夜だから、夜だからこそ、私の気持ちは闇に隠れて彼女とこうして食卓を冷静さを装って囲める。寂しいけど、会った時の嬉しさはその分大きい。過剰に興奮しないように、彼女に気づかれないように。細心の注意を払って、今日も私は彼女の帰りを待っている。
ピンポーンとインターホンが鳴る。
「おつかれ。」
「あー、今日も疲れたー!あ、この匂い肉じゃがでしょ!」
「あったりー。疲れてると思ってね。ほら、早く手洗ってきて。一緒に食べよ。」
「さすが田代さん!本当にありがとー!」
「「いただきます。」」
「あー、めっちゃ味染みてるー。美味しい!」
この笑顔とこの言葉を待っていた。
寂しさはどこかに吹き飛ぶ。
心の中のシャッターを静かにおした。
肉じゃが オオムラ ハルキ @omura
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