第8話 女体のトイレと赤い月


 深夜。与えられた部屋で目を覚ました僕は、スケスケネグリジュ姿でベッドの上をのたうち回っていました。一度目が覚めると、なかなか眠れません。

 早く寝ようと瞼を閉じますが、眠気は訪れず、意識は冴えるばかり。

 そうして、起きていたら起きていたらで新たな生理現象がやってきてしまいました。


「……トイレ」


 ムスコがない今、尿意を感じるのはお股です。そのことに恥ずかしさを感じつつも、膨れ上がる尿意を我慢できるはずもありません。まさか、この年になってお漏らしをするわけにもいきません。ベッドに世界地図を描く年齢はとっくに通り過ぎています。

 ただ、トイレに向かうには大きな問題が立ちはだかっていました。


「この姿で表に出ると?」


 白く、体が薄っすらと見えるネグリジュ。上下の下着すら見えています。

 なぜこのような服を着させられているのかはともかく、この格好で廊下を歩きたくはありません。

 この際、メイド服でもいいので着替えはないものかと室内を探しましたが、見つかりません。悪意というか、好色な個人の趣味を感じるのは気のせいでしょうか。


「とはいえ、もう我慢できません……!」


 漏らして新しい下着を貰うなんて、とても耐えられません。

 誰にもみられないうちに、パッと行ってサッと出してシュッと戻ってくる。これしかありません。

 僕は誰もいないことを祈りつつ、部屋から出て廊下を歩きます。気分は、悪徳貴族のお屋敷に侵入した隠密です。


「誰もいませんように」


 言葉でも祈りつつ、スライム(汚物処理)の待つ個室を目指します。

 音を立てないよう、慎重に廊下を歩いていると、窓から差し込む光が赤いことに気が付きました。

 なんの光でしょうか。気になって窓の外へ目を向けると、光源は直ぐにわかりました。


「赤い、月……?」


 夜空に浮かぶ月。その色は血のように赤く濡れ、世界を染めていました。

 日本でも、皆既月食の時に月が赤く見えることがあります。ただ、あれは本当に赤いわけではなく、赤い光が月を照らしているから、赤く見えるだけです。

 ただ、この世界の月は光の加減ではなく、月そのものが最初から赤いかのように鮮やかな色をしています。まるで、丸く固まった血液が光で照らされているかのように。


「あれは……」


 廊下の先に浮かぶ、紅く光るなにかを見つけます。瞳、なのでしょうか。二つ並ぶ光は、付かず離れず動いていました。

 廊下の奥は暗く、なにも見通せません。誰かいるのかもわかりません。

 けれど、まるで惹きこまれるように、僕は赤いなにかを目指してふらふらと足を動かしていました。手を伸ばして、吸い込まれていくように。暗闇へと足を踏み入れ――


「――瑞樹様」

「……ミアさん?」


 振り返るとランタンを手に持ったミアさんが立っていました。

 ぼーっと見つめていると、ミアさんが僕の額を指先で触れました。


「瑞樹様」

「あ、はい。なんですか?」


 もう一度呼ばれて、ようやく焦点があったかのように意識が定まりました。それまでも、ちゃんと意識はあったはずなのですが、夢遊病というか、無意識に動いていたかのような感覚を覚えます。


「このようなお時間に、どういった理由で廊下を歩いていらっしゃったのですか?」

「お手洗いに行こうと思って」

「そうでございますか。では、ご案内いたしますので、付いてきてください」

「いえ、そこまでしてもらうわけには」

「付いてきてください」


 有無を言わせないミアさんの言葉。優しく、相手を立てるミアさんの頑なな態度に、僕は言葉も返せず付いていくしかありませんでした。

 スタスタと足早に歩くミアさん。離されないようミアさんに歩調を合わせて歩きます。

 ふと、先程の赤い光を思い出します。まだあるのか確認しようと廊下の奥を見ますが、暗闇が広がるだけで、光源はなくなっていました。

 赤く光るのは、外で存在を主張する月だけです。


「異世界の月は赤いんですね」

「本日は紅月ですので」

「……? 赤くない月があるのですか?」

「はい。こちらの世界には月が三つあります」


 月が三つ。様々な部分で現代と異世界の違いを感じていましたけど、月が三つもあるというのは驚きです。世界そのものが違うという実感が生まれます。


「他の月もあるんですね……」


 紅月は血で濡れたかのような赤さで不気味であるのと同時に、色鮮やかで心を惹き付ける美しさがあります。魔性の魅力、とでもいえばいいのでしょうか。どうにも、目が離せません。


「瑞樹様」

「あ、ごめんなさい。行きます」


 ついつい、足を止めってしまっていました。背を向けたままミアさんに声を掛けられて、慌てて追いかけます。

 ミアさんの背中に追い付いたのですが、立ち止まま歩き出そうとしません。怒らせてしまったのでしょうか。不安に思っていると、ぽつりとミアさんが口にします。


「夜。屋敷全体の明かりが消えた後は、お部屋から出ないようにしてくださいませ」

「廊下を歩く音が響きますもんね。気を付けます」

「いえ」


 振り返ったミアさん。その表情はあまりにも真剣でした。現代の月のように輝く銀の瞳は揺れることなく、真っ直ぐに僕の瞳を見つめ返します。


「明かりの消えたお屋敷はとても危険です。重々お気をつけくださいませ」

「危険……? なにが危険なんですか?」

「では、瑞樹様が漏らされる前に、お手洗いへまいりましょう」

「漏らさないですけど!?」


 忘れていた尿意が、言われて膀胱を刺激します。

 限界は近そうです。なにやら誤魔化された気もしますが、ここで口論をする余裕はありませんでした。


「……いや、あの。ごめんなさい。思の他厳しいので早く案内してくれると助かります」

「内股でもじもじとしている瑞樹様も可愛らしゅうございますよ?」

「そういうのはいいので! 早く、トイレに!」

「女体になったご自身の体に興味がおありで?」

「思い出させないでください!」


 初めてトイレを使った時は、汚物処理用のスライムが居たことに驚いていてそれどころではありませんでしたが、そうして意識させられると、服を脱ぐのにも抵抗があります。……スケスケのネグリジュに、女性物の下着を付けておいて今更なのですが、この羞恥心は男として忘れたくはありません。


「うふふ。冗談でございます。メイドたるもの、小粋なジョークで場を温めるのも仕事のうちでございます」

「今、熱いのは僕のお股ですっ……!!」

「本当に漏らしてしまう前に行きましょうか」


 ようやくトイレまで案内されて、個室に入って鍵を閉めます。「お手伝いしますか?」という小粋なメイドジョークを丁重にお断りして、トイレの蓋を開けました。そして、驚愕。


「トイレの中が、真っ赤……!」


 便器の中がぎゅうぎゅうに、赤いプルプルした液体で満たされていて思わず叫んでしまいました。もとももは青かったはずのスライムがなぜ赤くなっているのでしょうか。トイレから出た後、ミアさんに聞いてみたら、


『スライムは月の魔力に影響されやすいのです。本日は紅月が出ていたため、その影響で赤くなっていたのでしょう』


 という答えが返ってきました。

 ……あと、ショーツの替えをお願いしました。きっと、僕の顔は紅月の影響で赤いことでしょう。

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異世界召喚されたらチ〇コ盗られた ~貴族のお嬢様と結婚? そんなことより僕のムスコを返してください!!~ ななよ廻る@ダウナー系美少女2巻発売中! @nanayoMeguru

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