エピローグ

「調子はどう?」


「問題ありません。万全の力で戦うことができます」


「そっか。なら良かった」


 日本武道館。

 満員の観客が沸き立つ中、真里菜は気合を入れ直すかのように柔道着の帯を締め直し、大きく深呼吸した。


 日本国民誰もがこの日を待っていた、東京オリンピック。

 今日は、その大舞台である。


「今日まで、随分長かったような気がするよ」


「そうですね。思い返せば、あっという間でしたが」


「色々あったからね」


 ふぅ、と小さく溜息を吐く。

 帰り道で突然、「私に女子力を教えてください」とか言われて戸惑ったのも、もう三年以上前のことだ。

 真里菜と恋人関係になってからも、同じく三年以上が経過している。

 現在は、僕も真里菜も大学二年生だ。


「気合い入れてサポートしろよ、武人!」


「真里菜おねーちゃんがんばってー!」


「いずみんがんばー!」


 程近い位置の観客席から、そう声が聞こえる。

 並んで座っている父さん、亜由美、そして加奈子である。

 結局なんだかんだ、加奈子の言うところの『運命の人』とやらはうちの父さんで間違いなかった。そしてその熱は現在も冷めることなく、物凄くアプローチをされているらしい。

 結果的に父さんが「大学を卒業しても気持ちが変わらなければ構わない」と言って、以降まるで同棲しているかのように僕の実家へと訪れてきているのだとか。そして何気に料理とかを勉強していたらしく、亜由美曰く毎食作ってくれるらしい。

 まぁ、そのおかげで僕も実家を出て、一人暮らしを満喫できているわけなのだけれど。


「真里菜」


「ああ……姉さん」


「ついに、あと一戦ね」


「ええ。ようやく、私もここまで来ることができました」


 梨央奈さんの言葉に、そう頷く真里菜。

 世界の強豪を相手に戦ってきた真里菜は、ここに至るまで危なげない勝利を収めてきた。

 大学に入ってからもストイックな生活を変えることなく、僕は真里菜に三食全てを提供する日々だった。その傍らで、僕も栄養管理について勉強しながら管理栄養士の資格を取るために頑張っている。


「昨夜はちゃんとカツを食べてきたの? わたし、験担ぎはあんまり信じない方だけど」


「さすがに、大事な試合の前日に油ものは食べさせませんよ」


「……あら、そうなの?」


「胃もたれで動きが鈍りますから」


 首を傾げる梨央奈さんに、そう補足する。

 確かにカツを『勝つ』と繋げて、大事な試合の前に食べるという人もいるだろう。だけれど、油というのは元来消化されにくいものであり、翌日の体調を考えるならあまり食べてはいけないものなのだ。

 そのあたりも、ちゃんと僕がサポートできるようにしている。最近は、真里菜の体調を維持するためのマッサージもしてるし。


 ふーっ、と大きく真里菜が息を吐く。

 その鋭い眼差しが見据えるのは、試合会場を挟んで逆側にいる相手。

 フランス代表――ロザリー・ラコート。


「ようやく、約束を果たすことができますね」


「うん」


 オリンピックで会おう――そう、二人は約束を交わした。

 あの翌日にフランスへと帰ったロザリーとは、あの日以降会っていない。だけれど、真里菜の中でロザリーと交わした約束は、現在も生きているのだ。

 それが決勝戦の舞台とは、なんとも神がかっているものだと思うけど。


「武人」


「うん?」


「あなたのおかげで、ここまで来ることができました。必ずや、優勝して報いたいと思います」


「……僕なんか、大した役に立ってないよ」


「いいえ、そんなことはありません。武人がいるから、私は頑張ることができました」


 僕の言葉に、そう力強く告げる真里菜。

 そして柔道着の帯を持ち、改めてギュッ、と締め直す。


「そういうわけですので、武人」


「うん……うん?」


「この試合が終わったら結婚しましょう」


 ……。

 …………。

 ………………。


「…………………………は?」


「では、行ってきます」


「ちょ、ちょっと待って!?」


 今さらっと物凄いこと言わなかった!?

 何がどういうわけでそういうことになったの!? 僕の理解力が足りないだけこれ!?


 でも、そんな僕の言葉も聞こえていないのか、鋭い眼差しで試合場へと上がる真里菜。

 いや待って。さらっとプロポーズされたよ僕。そういうの僕がやるものじゃないの。


「はじめっ!」


「はぁぁぁぁっ!!」


「しゃぁぁぁぁっ!!」


 しかも試合始まっちゃってるし。

 僕、どんな精神状態でこの試合を見ればいいのさ。


「はぁ……」


 頭を抱える。

 普通そういうのって、海の見える景色とか、夜景が綺麗なレストランとか、そういう場所でやるものだよ。そういう、こう、ムード的な。

 でも、場所は満員の観客がいる日本武道館。格好は汗だくの柔道着。恥ずかしがるとか赤面するとか全くなく堂々と背を伸ばして。

 しかも僕の返事すら待たずに試合を始めちゃってる始末。

 どこまで女子力低いのさ。


「ははっ……」


 でも、思わず笑みが浮かんだ。

 まぁ、最初から恋人同士の云々とか、全力でかなぐり捨ててきた僕たちだ。


 そんな僕たちの結末は。

 こんな感じで、アリなのかもしれない。

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女子力低い系女子 筧千里 @cho-shinsi

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