第88話 約束
「Délicatesse!!」
食卓に並んだ、チーズインハンバーグを一口食べてからロザリーがそう叫ぶ。
残念ながら外国語に詳しくない僕には、その内容が何なのか分からない。だけれど多分、「おいしい」みたいな言葉を言っているのだとは思う。でなきゃ僕が悲しい。
シャワーを浴びて、「着替え、持ってきてませんデシター」とバスタオル一枚巻いてロザリーが出てきたり、「あなたが引っ張っていくから、私も着替えなど持ってきていませんよ……」と同じくバスタオル一枚巻いて真里菜が出てきたりと、僕が年頃の男扱いされていない状況はあったものの、僕の精神状態以外は概ね平和に夕食となった。
二人のあられもない姿は僕の脳内でお気に入り登録されこそしたけれど、それはそれ。僕の仕事はあくまで、食事を用意することである。
「うむ、うむ……やはり、武人の作る食事は実に美味しいです」
「Dans mon pays, il n'y a pas de nourriture aussi délicieuse!!」
「……は?」
「Le Japon est merveilleux!!」
「……」
なんか、凄く興奮している結果、よく分からない。
この空間には、外国語に堪能な人はいないのだけれど。
「Oh……heureux……!」
「あの、ロザリー?」
「ア……Désolé.……ごめんなサイ。少し、興奮してしまいまシタ」
「私はフランス語が分かりませんので、日本語でお願いします」
「Oui……すごく、美味しいデス」
「なら良かった。ご飯、おかわりあるからね」
ふぅ、と小さく息をつく。
なんというか、母国語でまくし立てる外国人って、妙な迫力があるよね。何を言われているのか分からないから困る。
さて。
そんな二人の前に並んでいるのは、本日の夕食――真里菜のリクエスト通りの、チーズインハンバーグである。
メインにチーズインハンバーグ、付け合わせにフライドポテトを添えて。
副菜としてほうれん草のお浸し、茄子の揚げ浸しを小皿に。そして野菜サラダはレタスを中心とした四種類の生野菜にシーザーサラダドレッシングをかけている。食後のデザートは皮ごと食べられる白ぶどうだ。
勿論、日本の食卓に欠かせない、白いご飯と味噌汁もある。
「しかし、ロザリーは箸の扱いも堪能ですね。外国人は箸を使えないと思っていました」
「オハシ、習いまシタ。わたし、昔から日本好きデス。日本のこと、たくさん勉強しまシタ」
「では、今回留学したのは、夢が叶ったようなものなのですね」
「Oui、短い間でシタ」
ふぅ、と小さく嘆息するロザリー。
そういえば、帰国するとは聞いたけど、何故帰国するのかとかそういう話は聞いていない気がする。
まぁ、でも僕が口を挟むわけにはいかない。そもそも僕とロザリー、こうして普通に話す立場じゃないし。
「しかし、何故突然帰国を?」
「聖マリエンヌ女学院、約束破りまシタ」
「約束……?」
「柔道部を新設するカラ、来て欲しいとオファーを受けまシタ。わたし、了承しまシタ。でも、もう柔道部なくなるのデス」
「柔道部が、なくなるのですか?」
「わたし、そう聞きまシタ」
「……」
不思議な話だ。
柔道部を新設したから、そこに強力な外国人選手を招聘するというのは、まぁ道理だ。だけれど、その新設した柔道部をすぐに廃部にするとか、意味が分からない。
少なくとも、ロザリーを招聘するのにそれなりのお金もかかっているだろうに。
「でも、大丈夫デス。違約金、貰いまシタ。わたし、フランスの強化選手デス。向こうでまた柔道やりマス」
「何故、柔道部がなくなるのですか?」
「わたし、詳しく知りマセン。ただ、なくなるとしか聞いてマセン」
「……そうですか」
ふむ。
そのあたりは、やはり大人の事情とかそういうのがあるのだろうか。
「でスガ」
「はい?」
「マリナ、あなたと戦えて、良カッタ。わたし、負けた、久しぶりデス」
「……ええ、私も、良い試合ができたと思います」
食べながら、お互いにそう健闘を讃え合う。
そして気付いたら皿の上にあったものは空になってゆき、ロザリーの口からはしたなくも「げふぅ」と漏れた。ついでに、頰についている米粒を指摘した方がいいのだろうか。
真里菜の方は米粒一つ残すことなく綺麗に食べ終わり、手を合わせる。
「マリナ、Merci」
「いえ、作ったのは武人ですので」
「良いAmourデス。いつか、また会いまショウ」
「……あむーる?」
ふふ、とロザリーが微笑む。
僕もどうにか、「ウィ」が「はい」、「メルシー」が「ありがとう」、「デゾレ」が「ごめんなさい」くらいは分かったけど、あとは分からない。後で検索してみよう。
「マリナ」
「はい?」
「わたし、フランス、帰りマス。でも、また、会いマス」
「……ええ」
どことなく、その言葉は。
二人の間に、火花が散るかのように。
「わたし、オリンピック、出マス。再戦は、オリンピックでしマス」
「勿論です」
「でスガ……マリナ」
「はい」
「わたし、マリナ……Amiデス。ええと……トモダチ、デス」
「ええ」
その火花はしかし、ロザリーの言葉と共に消えてゆく。
それと共に、ロザリーの表情にも、真里菜の表情にも微笑が浮かんで。
そこにいるのは柔道選手ではなく――年頃の、二人の女の子だ。
「オリンピックで、戦いまショウ。でも、そのあとは、一緒にご飯、食べまショウ」
「ええ。私も、それを楽しみにしています」
「そのとき、また、ご飯、作ってくだサイ……タケヒト」
「そのときには、是非」
僕もまた、ロザリーの言葉に頷く。
二人がオリンピックで戦う――その未来は、決して遠いものではないだろう。
だったら僕も、それまでに料理の腕を上げておかないと。
二人の食事が終わり、洗い物を終えると共に、僕は帰路についた。
今日はロザリーは真里菜と一緒に寝るのだとか。まぁ、翌日は真里菜も学校だし、さすがに見送りには行けないだろう。
今日は、ロザリーという予定外の客がいながら、ちゃんとご飯を出すことができて良かった。
二人とも満足してくれたみたいだし、僕も満足だ。
ただ。
ロザリーに提供した分が、真里菜と一緒に食べようと思って作っておいた僕のご飯だってことは置いといて。
「はぁ……」
とりあえず、この鳴り響く腹の虫を押さえるために。
家に帰ったら、クッキーでも焼くとするかな。
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