三章 外道の策士 Ⅰ
三章 外道の策士 Ⅰ[一]
『ねえ、陸? 怒らないで、聞いてくれる?』
──。
『……怒らないで、聞いてくれる?』
◆
「現場は意外と落ち着いているようだね」
暗い部屋に、多くのモニターの浮かぶ部屋がある。モニターには特戦三課のヘルメットから送られてくる映像がリアルタイムで映し出されていた。声の主は白のスーツに身を包み、長い脚を組んで優雅にも口元にティーカップを運びながら、まるで映画を嗜むかのように口角を緩める。
切れ長の眼に、後ろに流して固めた頭髪の男が、まがりなりにも部下の死を目にして、それさえも娯楽であるかのように笑っていた。
人格が破綻している。
そもそも、掛け違えるボタンをどこかで自ら毟り取ったような——。
「もちろんです、室長。あれは金ヶ崎様の部隊。そう簡単に崩れたりなど致しません」
応えたのは、黒のパンツスーツ姿に長い髪を几帳面に一本にまとめた女だった。
魔性災害対策室・特殊戦略部第四課の制服である。
室長と呼ばれた男の横に立つ女の手の平には、ソーサーが置かれている。
「ふむ。私は彼を好きになれないな」
「あら、室長は金ヶ崎様を評価していると思っておりましたが」
「評価しているとも。好きと嫌いとはまた別のところでね」
そこで一呼吸を置いた男は。
「凡人でありながら、どういうわけか彼は優秀だ。特段評価するべきところもないくせに、秀でている。個人では状況の打開も出来ない木偶でありながら、状況を読む力がある。運があり、分別がある。そこが随分と勘に触るのだよ」
「つまり、特段評価するべきところがある、ということですね。ですから、戦場での全指揮権を独立させている」
ふんと鼻を鳴らす男に、腹を立てたような素振りはない。
「私の予定では、第三課の人員はもっと流動的であるはずだったのだよ。使い捨ての駒がいくら死んだところで構わない。その分、より多くを試せるというものだ。それがどうだ。ますます忌々しい。使い捨てどころか、あの部隊は、今回のような制約がなければ部隊単位であれば君にすら比肩しうる」
「室長はご自身の思い通りにならないものは毛嫌い致しますからね。それでも金ヶ崎様を手元に置いておかれる。私としてはとても喜ばしいことです」
「君は金ヶ崎を随分好いているね」
「当然です。金ヶ崎様は良識のあるお方。正直、室長よりも彼の下で働きたいと常々思っております。が、室長のような方の下でなければ私好みの仕事が入ってこないというところが痛し痒し、でして」
「随分と辛辣だ」
「当然の評価でございます」
「君は良識ある殺人鬼だからな」
「人を殺せば違法。ですから人を合法的に殺せる場所を選んだまで。人の成れの果てとの対峙も、人との対峙とは些か趣が異なりますが、スリリングであることには変わりなく」
「私からでなくとも、君も相当だと思うがね。で、君は実際のところ、金ヶ崎をどう思っているんだ?」
「そうですね。金ヶ崎様は、かつての宮本陸に近いものを感じます。近いとは申しましても、雲泥の差はありますが。宮本陸は魔性によって。金ヶ崎様は人格によって。根幹は違えど、使えないものを使えるようにするという点において、御二方は同種の存在と言えましょう」
「まったくもって忌々しいが、君の言う通りだ。その中でも、使えるようになった三野くんには悪いことをしたね。その内、彼には私のドライバーを務めてもらおうと考えていたのだが」
「死なせておいて悪いことをしたなどと。そも、悪いなどと思っていらっしゃらないでしょう? 後半は本音でございましょうが」
「今日はやけに手厳しいな」
男は再びカップを傾け。
「さて、その三野くんを取り込んだ鳥山大地を、君はどう評価する?」
「一言で言えば、暑苦しいですわね。ですが——」
「なにかね?」
「恐ろしいほどに便利です」
「ふむ」
「あの力、私たちがドレインと呼んでいるものをああも容易く発現するなど。殺人鬼である私からすれば、すぐにでも欲しい力です。証拠の隠滅が完璧であるならば、次の犯行に手をつけられる可能性が格段に上がるというもの。恐らくあそこ、微粒子レベルで殺人の痕跡が消えているはずでは?」
「いや、そういうことが聞きたかったわけではなかったのだが……」
「でしたら、横に控えさせる人選を間違えましたわね。室長はどのようにお考えで?」
「……鳥山大地は、我々がカテゴリSと呼んでいる鬼を三鬼も取り込んでいる」
「前代未聞、過去に例を見ない鬼種。宮本家の最高傑作にして突然変異でしたか」
「ああ。だがね、私はこう思うのだよ」
「そんな都合の良い話など、ないと、ね」
「つまり、どういうことです?」
「カテゴリSを三鬼も取り込んで生きていられる人間などいない、ということだ」
「室長好みのお話ですか」
「その通りだとも」
「ということは、人為的に、という話になりますね」
「巨躯を取り込んだ結果、鳥山大地のキャパ大きく増大した。というよりあれは、割れない風船というべきだろう。どんなに膨らんでもその薄膜が破れることはない。まさに奇跡的な突然変異。しかし、そんな都合の良い話はないのだよ。鳥山大地の精神力は脅威であり、それを前提とする話ではあるが。鳥山大地は明らかに、別の目的で、人為的に作られた存在だ」
「なるほど、意地の悪い話は私も大好きです。つまりは、爆弾、ですね?」
「そういうことだ。鳥山大地の本来の役割は、宮本陸が手をつけられなくなった際に爆発する、宮本家が用意した切り札だった、ということだ。側近ということは至近ということでもある。宮本家が封ずるしかなかった、カテゴリS三鬼の瘴気爆発だ。いかな宮本陸でも耐えられるものではない。ああ、宮本家からすれば垂涎の存在だったろうとも。天才であるが故に扱いに困る息子。その息子に、精神力のみで拮抗して見せた分家の少年。その精神力は、宮本陸に対して最後の切り札とするにはまさにお誂え向きだったわけだ。そこは正当に評価しようとも。三鬼の鬼をその身に宿したことそのものは、まさに鳥山大地の精神力の賜なのだからな」
「ですが、それが起爆しませんでした。どうしてですか?」
「そんなこと、私が知るわけがなかろう」
「………………。失礼しました。して、室長。その推論、もはや確信として語っておりますが、その理由をお聞かせ下さい」
「鳥山大地の中には、今、鬼毒がある。その呪塊規模がこれだ」
男は一つのモニターを指差す。
「測定不能、ですか」
カテゴリSとは、つまりはそういうことである。数値化して100以上がカテゴリSならばそこから先はすべてカテゴリSなのだ。
つまり、上限がない。
「ああ、三鬼で奇跡ならば、四鬼目はもはや必然だとも」
「しかし、それは暴論です。人為的の説明にはなり得ません」
「ではこれを見て、君はどう思うかな?」
「……これは」
切り替わった画面に、女は確かに息を呑んだ。そこには鳥山大地のパーソナルデータが波形となって揺れている。
鬼種は人間にあらず。もはや人とは大別される別の存在だ。それを進化と取るか、退化と取るか。人によって意見の分かれるところではあるが。
「この波形は……」
モニターの波形は、赤と青の波が重なって、交互に点滅している。その波を食い入るように見つめる女の反応に、男は満足気に微笑むが、しかし。
「……なんですか?」
女はキョトンと首を傾げて見せた。
「……君といると、本当に調子が狂うな」
「申し訳ありません。私こう見えて、人殺しが専門の人でなしですので」
「私が悪かった。まあ、いい。これは鬼種の波形だ」
「? でしたらなんの問題もないのではないでしょうか」
「ああ、なんの問題もないさ。一本であれば、な。赤の波形が鳥山大地の鬼種としての波形。青の波形は、呪術式、だ。おそらく、宮本陸ですら気づいていないだろう。精緻にして狂いなき、同一の波形だからな。素晴らしいではないか。鬼種の波形と寸分違わぬ呪術式を組み上げながら、それに鬼種とは別の意味を持たせて術式を霧散させずに維持させる、宮本家の秘中の秘。呪術師の御三家たる最奥。実に素晴らしい!」
「なるほど、納得致しました。それで本日の室長はご機嫌がすこぶる良いのですね」
「そうとも。宇曽利山社中が生み出し、私が運用する科学と呪術の融合が、ついにあの宮本家の最奥に届いたのだから、ね。三世代前の計測機ではおそらく不可能だったろう。技術は常に進歩する。使い捨ての駒どもも、死んだ甲斐があったというものだ」
「他者を大事にしてこそ、他者を認めてこそ、殺人は気持ちいいもの。使い捨ての駒であれ、感謝の気持ちを持つべきかと。私はいつもそうしております。私に殺されてくれて、ありがとう、と」
「私なりに感謝しているとも。死んでくれてありがとうと、ね」
「私は室長こそ死ぬべきかと思いますが。どうでしょう、一度、ご自身の殺しの依頼を私にしてみては」
「今日は本当に手厳しいな。君の方こそご機嫌と見える。なにかいいことでもあったかな?」
「えぇ、もちろんです」
すると女は、冷めた中身の残るカップを男の指からすくい取り、その液体に口をつけた。
「すでに決まっている仕事が、非常に愉しいものになりそうですので」
そこで初めて、女は本性を見せた。
とあるモニターを、うっとりしながら見つめ。
——美味しそう。
と、舌舐めずりをする。
「ふふ。そちらは君の専門だったか。彼女を、どう見る?」
「そうですね。肉体美の極地。およそ人体が成し得る極限、のその先には到達しているかと」
「勝てるかね?」
「勝つのではなく、殺すのです。私は殺人鬼、ですから」
「くくっ。しかし、君は負ける。殺されるのではなく、負ける。これはそういう戦いだ」
江波恭子のパーソナルデータの収集。
いや、百舌文隆よりもたらされた情報との照合と言うべきだろうか。
あまりにも出鱈目な数値。あまりにも荒唐無稽な情報。
それがすべて真実だったならば。
江波恭子はあまりにも強大すぎる。
「承知してしておりますとも。私の役目は、あくまでも、彼女のその先を引き出すためのデータ取り。ですが、私が赴くということは、つまり殺すということです。殺されないというのであれば、なんとしても殺して頂くまで。でなければ私が気持ちよくなれない。私はそういう理由の殺人鬼……。むしろ今回の仕事、殺すよりも、いかにして彼女をその気にさせて殺されるかの方が気持ちいいのではとさえ思います」
「その両方ともが叶わないとは思うがね」
「室長流言えば、負ける戦に部下を送り込むのもどうかと思います。戦意、いえ、殺意が削がれてしまいますので」
「君の殺意はその程度で削がれるものではないだろう?」
「ええ、仰る通り……。殺すことも難しく、殺されることもまた難しい。それはなんて、なんて素敵な体験でしょう。こんなことは初めてです。殺し殺され。それが必然の舞台において、そのどちらもが難しいだなんて……」
——殺されてもいいくらいに、そそります。
「殺人鬼の気持ちとは、随分と複雑なものだな。私には理解し難い感情だ」
「私にも室長のお考えは理解し難いものがあります。駒として消費するよりも、一人一人丹念に、対象のパーソナルをじっくり調べあげて死に舞台を整えて差し上げた方が、きっと気持ちいいでしょうに」
そうして女は、手の内あるソーサーにカップを置いた。
ほんの些細な音さえも立てずに。
「しかし、室長。室長はいつも、こんな不味い紅茶を飲んでおられたのですか?」
「ほう。君が淹れたものだろう。もしかして君は、私に出すものを一度たりとも味見をしたことはないのかね?」
「ありませんが、なにか?」
「なるほど。いや、いいとも。その紅茶も、悪くない。特に、何度淹れさせても上達のないところがね。その味をあと何度、口に含めるか。それを楽しみにしながら啜るというのも、なんとも乙なものだよ」
「……ああ、そういうことでしたか。それは良いお考えです。初めて室長の言葉に心の底から共感出来たかもしれません」
それでは失礼しますと、女はありもしない敬意を表するように一礼して退室した。私、仕事がありますので、と。
「まったく、殺人鬼とはわからないものだな」
呟きながら、男は浮かぶモニターを注視する。
女の波形。
その波形は人間のそれであるが、しかし。
「くくくっ」
男はモニター操作する。画面が切り替わり、波形は別の波を映し出した。現場では確認し得ない、本物の怪物。
最高純度の、純鬼種のものを。
——石楠花は、本当に良いモノを残してくれた。
そして、金ヶ崎の視界に映る、宮本陸に視線を移す。
「……出来れば、君のそのような姿は見たくなかった」
全盛期には程遠い。
宮本陸の内に潜む彼女を完璧に使役出来たとしても、おそらくは程遠い。
「あの、すべてが平伏するような、息を殺すような、生命が途絶えるような。呪術師としての宮本陸は、本当に死んだのか?」
一度は戦場で相対し、恋焦がれ、あの域を目指すと決めた宮本陸は——。
「まあ、いい。私の目指すところはすでに見た。私がドライバーに指名しようとした男をくれてやったのだ。さぞ面白い展開を用意してくれているのだろう? でなければ採算が合わないではないか」
男は、ここにはいない誰かに語りかけるように、呟いた。
魔性災害対策室・室長。
——しかし、最後に笑うのは私だとも。
男の名を、出雲
石楠花の鬼眼姫は荘厳に 浅岡岳史 @takeshi_asaoka
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