最後のカードを切れ

澤田慎梧

最後のカードを切れ

「あんたにはこれをやるよ。こいつはね、『魔法のタロットカード』だよ」


 病で余命幾ばくもない祖母を見舞った時、俺は「形見分け」と称して金属製の箱に収められた一組のタロットカードを渡された。


 タロットカードは計七十八枚を一組として扱われる、占いなどによく使われるカードだ。

 「大アルカナ」と呼ばれる二十二枚のカードと、「小アルカナ」と呼ばれる五十六枚のカードとで構成されている。


 「大アルカナ」には「魔術師」や「戦車」、「星」などの絵柄が描かれている。とある有名マンガで主人公たちの超能力のモチーフになっていたりもするから、知っている人も多いだろう。

 一方の「小アルカナ」はトランプとよく似ていて、「杖」「剣」「杯」「硬貨」の四種のスートに、それぞれ一から十までの数字と「小姓」「騎士」「女王」「王」が描かれている。


 日本でもっぱら知られているのは、恐らく「大アルカナ」の方だけだろう。

 「大アルカナ」の絵柄にはそれぞれ寓意が込められている。占いでは、カードを引いた時に絵柄の上下が合っているか、それとも逆さまかで意味が変わって来るらしい。

 上下が合っている時を「正位置」、逆さまの時を「逆位置」と呼ぶのだとか。


 例えば「魔術師」だったら正位置では「創造」や「才能」を表す一方で、逆位置では「混迷」や「無気力」を表す。

 「死神」の正位置は「破滅」や「終末」と絵柄通りの意味だが、逆位置では「再生」「再起」の意味を表す。

 何事にも裏表がある、ということなのかもしれない。


 祖母から手渡されたのは、その大アルカナのみの二十二枚だった。随分と年季が入っている。

 確かに曰くありげだけど、とっくに成人した孫に「魔法のタロットカード」だなんて、どうやら祖母は身体だけでなく頭の方もだいぶ弱っているらしい。

 けれども――。


「信じてない顔だね。まあいいさ、その内それが本物だって思い知るから。いいかい、よくお聞き。そのタロットはね、何か自分の力では打ち破れないような困難に遭った時に引くと、ささやかな奇跡を起こして助けてくれるのさ」


 言いながら「よっこらしょ」と身を起こす祖母。……確かこの人、寝たきりだったと思うのだが。いつの間に自力で身を起こせるようになったんだ?

 まさか――。


「ピンときたみたいだね。そうさ、みんなにきちんとお別れくらい言っておきたいと思ってね、タロットの力を借りたのさ。お陰で遺書も書き直せたし、もう思い残すことはないよ。だから、今から言うことを私の最期の言葉だと思って、きちんと覚えておくんだよ」


 そう言って、祖母は「魔法のタロットカード」について話し始めた。


 まず、このタロットは「自分の力ではどうにもならない困難」に出会った時にしか力を貸してくれないらしい。気まぐれに引いても、魔法は発動しない。

 次に、カードの効果は一枚に付き一度切りだという。しかも順番通りに消費されるので、最初に引いた時は必ず一番の「魔術師」が、二回目に引いた時は二番の「女教皇」がと、引かれるカードが決まっているらしい。もし順番と違うカードが出れば、それは魔法発動の条件を満たしていないということだ。


 そして最も重要なのが、「二十一回目」にカードを引く時のことだ。

 タロットカードは一番の「魔術師」から始まり、二十一番の「世界」で終わる。そこに番外もしくはゼロとして「愚者」が加わり二十二枚という訳だが――この「世界」と「愚者」が問題だった。

 二十一回目に引かれるカードは、必ず正位置の「世界」か逆位置の「愚者」のどちらかになるのだという。


 正位置の「世界」が表すのは、「完成」や「完璧」、「成功」などの「約束された成功」。つまり全てが上手くいくという暗示だ。

 一方、逆位置の「愚者」が表すのは、「愚行」や「無謀」などだ。解釈は色々あるそうだが、この魔法のタロットカードでは圧倒的に悪い意味を暗示する。


「つまりね。最後の二十一回目で『世界』を引けば万事上手くいく。あんたは魔法のタロットカードを見事に使い切ったことになる。でもね、もし『愚者』を引いてしまったら……己の運命をカードに委ねた愚か者として、あんたは今までの奇跡のツケを支払うことになる。

 だからね、決して二十一回目のカードを引いてはいけないよ――」


 祖母はその言葉を遺した翌日に亡くなった。穏やかな死に顔だったという。


   ***


 時は流れ、祖母の死から十年後。俺はすっかり中年になっていた。

 祖母から託された「魔法のタロットカード」は大事に仕舞いこんで――いるはずもなく、俺は既にニ十回もの「奇跡」によって救われていた。


 長年連れ添った妻にハメられ、不倫をでっち上げられ莫大な慰謝料を請求されそうになった時、俺が引いたのは逆位置の「恋人」だった。「不道徳」や「関係の破綻」を暗示するカードだ。

 その結果、不倫をしていたのが妻の方だということが明るみに出て、一気に流れが変わった。俺は無条件で離婚を勝ち取り、逆に元妻から慰謝料をせしめることができた。


 勤めていた会社が買収されブラック企業化した時に引いたのは、正位置の「正義」だった。「公正」や「正しさ」を暗示するカードだ。

 結果、買収した企業の様々な不正が暴かれ、俺の会社はもっとまともな企業によって救われることになった。


 他にも悪徳金融に騙された時やヤクザに嫌がらせを受けた時にも、タロットは俺を救ってくれた。

 だが、それももう終わりだ。次はいよいよ二十一回目。「世界」を引けばすべてが上手くいくが、「愚者」を引けば俺は破滅する。

 もうタロットに頼ることはできなかった。


 ――だが、運命は皮肉なもの。俺は運を天に任せるしかない事態に遭遇してしまった。


『――一昨日から振り続けた雨は勢いを増し、関東地方の降水量は観測以来最高値を更新し続けています。二十三区内では堤防の決壊に伴う河川の氾濫、床上浸水等が多く発生しているとの情報です。避難指示の出ている地域にお住まいの方は、余裕のある内に早めの避難を――』


 ラジオからは、アナウンサーの緊張に震えた声が流れ続けていた。

 もうすぐ日が暮れる。暗くなれば避難や救助は困難になってくる。一人でも多くの人を助けたいという一心で、ラジオは避難を呼びかけ続けているのだ。


「まあ、避難できれば世話ないわなぁ」


 一方俺は、携帯ラジオから流れる音を白けた思いで聞き流していた。「避難の暇もなかった人間はどうりゃいいんだ?」と。

 未曽有の集中豪雨は、都心各地を次々と淀んだ水底へと沈めていった。最初は郊外の低地を、次に洪水対策が万全だったはずの都市部を濁水が襲い、都心は最早壊滅状態だ。


 俺の家は郊外の比較的海抜の高い場所にあったのだが、駄目だった。より高い土地から雨水が流れ込み、あっという間に地域全体が水に浸かってしまった。屋根の上に逃げる暇もなかった。


 俺が今いるのは、屋根裏の「部屋」とも呼べないほんのささやかな空間だ。

 非常時持ち出し袋を背負って窓から屋根の上に逃げようとしたところを鉄砲水に襲われて、屋根裏まで押し上げられてしまったのだ。

 何とか梁の上によじ登って助かったが、水はもうすぐそこまで来ている。一か八か潜って外へ逃れようかとも思ったが、ほぼ視界ゼロの状態で濁水の中を進むのは不可能に近い。おまけに水は静止せず、今も勢いよく渦を巻いているのだ。一瞬にして溺れるのが関の山だ。


「水位が上がって溺れるか、一か八か飛び込んで溺れるか。二つに一つ、か。笑えねぇな」


 乾いた笑いを浮かべながら、せめて死ぬ前に腹くらい満たしておこうと持ち出し袋の中を漁る。

 すると――。


「……ああん? なんでこれが、この中に」


 懐中電灯の淡い光に照らされて浮かび上がったのは、なんと魔法のタロットカードの箱だった。鈍い黄金色のボディが、薄暗闇の中でひと際怪しい存在感を醸し出している。

 持ち出し袋に入れた覚えなど、全くないのだが。


「――はははっ、分かったよ。どっちみち死ぬんなら、最後はお前に賭けてみろって言いたいんだろ? 相棒」


 苦笑いしながらタロットカードを取り出し、シャッフルする。全く意味のない行為だが、まあ最後なんだからカードらしい扱いをしてやろうじゃないか、と。

 ひとしきりカードをシャッフルした後、俺はおもむろに一番上のカードを手に取り、裏返した。

 そこに現れた絵柄は――。


   ***


 ――翌日の朝、前日までの豪雨が嘘のように空は晴れ渡っていた。だが、浸水被害は未だ深刻であり、各地で救助活動が続いている。

 そんな中、郊外の住宅地の上空から災害の様子を撮影していたとある報道ヘリが、奇妙な光景を見付けた。

 閑静だったはずの住宅地。その殆どが水底に沈んでいたのだが、不自然に水位が下がっている一角があったのだ。

 原因はすぐに分かった。住宅地の一部にぽっかりと大穴が口を開けていて、そこへ水が流れ込んでいたのだ。


 穴の大きさは住宅一軒分程度だったが底は深く、大量の水がそこへ流れ込み辺りの浸水被害を軽減したらしい。

 そこには本来、独り暮らしの四十代男性の家があったはずなのだが、家の痕跡も男性の行方も、杳として知れなかったという――。



(了)

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