21回目「おれ、金蔵」【KAC20217】

雪うさこ

自己紹介からの~、恋!


 おれ、金蔵きんぞうよわい九十八歳。大正十二年生まれ。妻は二十年前に他界し、現在は一人やもめ生活を謳歌している。子どもは四人。やかましい娘ばかりの家族だった。


「お父さん。いいですか? ご飯を作るのが大変になってきているんだから、明日からヘルパーさんを頼みますからね」


「へ、へ? ペルパーさんってなんだい? ペンパルのことかい?」


「ペンパルじゃないです! ペンフレンドなんて、もう死語でしょう? なに言っているんだか……ヘルパーさんよ、ヘルパーさん」


「ハテナ? よくわからんなあ」


「まあ、いいです。わからなくて。とりあえず明日の十時に来たヘルパーさんが、お食事をこしらえてくれますからね。『おれ、知らねえ』とか言っちゃだめよ」


「わかったよ。うるさいねえ」


 長女のマサ子は口うるさい。死んだ母ちゃんみたいだ。マサ子は市内に住んでいて、食事の差し入れをしてくれていたのだが、同居している孫嫁に子どもが生まれたらしく、忙しいと言うのだ。ハテナ? 孫はいつ結婚したんだっけかな? 何番目の孫だか。よくわからないが——まあ、いい。孫は孫だ。

 マサ子は『ペルパー』というを頼んだらしい。おれは一抹の不安を覚えながら、眠れぬ夜を過ごすことになった。


***


 朝は五時半に目が覚める。軍隊生活を経験したおれは、身の回りのことを自分でやるのが日課だ。起き出したベッドの布団をたたみ、シーツのシワを伸ばす。それから、アイロンのかかったワイシャツを羽織り、顔を洗いに洗面台へ向かう。

 

 日課である自宅周囲の散策を終え、七時から朝食。ごはん炊きくらいは自分で出来る。一日に食する米は三合だ。若い頃よりは食べられなくなったものだ。片付けをして八時からは朝刊を読み耽る。

 そうこうしているうちに、おれの大好きな時間。午前十時になった。毎日、この時間になると時代劇の再放送が始まるのだ。おれはこれを見るのが大好きだったのだ——ところが。今日は様相が違った。来客があったのだ。


 ——はて、誰だろうか。


 怪訝そうに玄関に向かうと、そこには若い女性が一人立っていた。


「スマイル・ヘルパーステーションから参りました須川すかわと申します。初めまして、金蔵さん」


 大きな瞳は潤んでいてキラキラと輝いている。ふくよかで豊満な体つきに、おれは動悸がした。


「き、金蔵でございます。よわい九十八歳。大正生まれでございます」


 おれの言葉に須川さんは「ぷ」っと吹き出して笑った。


 ——笑われた! もしかしておれのことを好きなのではないだろうか?


「金蔵さん。今日はお料理しにまいりました。上がってもよろしいでしょうか」


「も、もちろんです——。どうぞ、どうぞ」


 ぷりぷりとしたお尻を揺らしながら、中に入ってきたかと思うと、さっそく台所に向かう。バックから取り出した真紅のエプロンは彼女の魅力を引き立てた。


「あの——須川さんは、どうしておれに料理を?」


「あらやだ。娘さんから聞いていなんですか?」


 彼女は慣れた手つきで、じゃがいもを洗い始める。なぜそこに材料があるとわかるのだろうか? なんと手際の良い女子おなごだ。


「む、娘など、なにも言っておらん」


「そうなんですね。いいですよ。大丈夫です。今日は私が来ましたからね。大丈夫です」


 ——大丈夫とはなんだ……。どういうことだかさっぱりわからないが、ともかく……いい。そうだ。なんとか彼女の気を引こうではないか。


 おれは、料理をしている須川さんを取り残して、寝室に駆け込んだ。


 ——確か、ここいらにあったはず……おお、あったぞ。おれの勲章だ! これを見れば、彼女はきっとおれに夢中になるはずだ。


 おれは急いで、それらを身に着け、そして須川さんのところに戻った。

 しかし——。彼女は料理に夢中の様子だった。おれはなんとか彼女に振り向いて欲しい一心で、思いっきり体を床に打ち付けた。


「どりゃ~!」


 ——バタン!


 思い切りいい音が響き渡った。おれの体は錆びついていないらしい。須川さんは、驚いたように振り返ってから、おれを見て笑った。


「まあまあ、金蔵さんったら。柔道やっていらっしゃったんですか?」


 料理の手を止めることなく、彼女は笑う。


「そ、そうだ。おれは黒帯だ! 昔から柔道をしていたのだ」


「かっこいいですね」


 ——かっこいい?


 おれの体はたちまち熱に支配された。


 ——嬉しい! もう彼女はおれの虜に違いない!!


 ところが……。そんなものはすぐに終わる。料理が終わると、彼女はエプロンを脱ぎ、台所を片付けてから、なにやらノートに書きものをしたかと思うと「また来ますね」と帰って行ってしまったのだった。


「なんなんだ。ハテナ、ハテナ」


***


 朝は五時半に目が覚める。軍隊生活を経験したおれは、身の回りのことを自分でやるのが日課だ。起き出したベッドの布団をたたみ、シーツのシワを伸ばす。それから、アイロンのかかったワイシャツを羽織り、顔を洗いに洗面台へ向かう。

 

 日課である自宅周囲の散策を終え、七時から朝食。ごはん炊きくらいは自分で出来る。一日に食する米は三合だ。若い頃よりは食べられなくなったものだ。片付けをして八時からは朝刊を読み耽る。

 そうこうしているうちに、おれの大好きな時間。午前十時になった。毎日、この時間になると時代劇の再放送が始まるのだ。おれはこれを見るのが大好きだったのだ——ところが。今日は様相が違った。来客があったのだ。


 ——はて、誰だろうか。


 怪訝そうに玄関に向かうと、そこには若い女性が一人立っていた。


「スマイル・ヘルパーステーションから参りました須川と申します。金蔵さん」


 大きな瞳は潤んでいてキラキラと輝いている。ふくよかで豊満な体つきに、おれは動悸がした。


「き、金蔵でございます。よわい九十八歳。大正生まれでございます」


 おれの言葉に須川さんは「ぷ」っと吹き出して笑った。


 ——笑われた! もしかしておれのことを好きなのではないだろうか?


「金蔵さん。やだな。もう自己紹介は済んでおりますよ。今日はお料理しにまいりました。上がってもよろしいでしょうか」


「も、もちろんです——。どうぞ、どうぞ」


 ぷりぷりとしたお尻を揺らしながら、さっそく台所に向かう。バックから取り出した真紅のエプロンは彼女の魅力を引き立てた。


「あの——須川さんは、どうしておれに料理を?」


「あらやだ。サービスですよ、サービス」


 彼女は慣れた手つきで、じゃがいもを洗い始める。なぜ材料の場所がわかるのだ? 少々不可思議に思われるが、考えても仕方がないことだと思った。


「金蔵さんは肉じゃがお好きですもんね……」


「なんと——」


 ——おれの好みを心得ているとは、一体……。そんなにおれのことが好きなのだろうか? そうだ。なんとか彼女の気を引こうではないか。


 おれは料理をしている須川さんを取り残して、寝室に駆け込んだ。


 ——確か、ここいらにあったはず……おお、あったぞ。おれの勲章だ! これを見れば、彼女はきっとおれに夢中になるはずだ。


 おれは急いでそれらを身に着け、そして須川さんのところに戻った。

 しかし——。彼女は料理に夢中の様子だった。おれはなんとか彼女に振り向いて欲しい一心で、思いっきり体を床に打ち付けた。


「どりゃ~!」


 ——バタン!


 思い切りいい音が響き渡った。おれの体は錆びついていないらしい。須川さんは、驚いたように振り返ってから、おれを見て笑った。


「まあまあ、金蔵さんったら。お上手ですね」


 料理の手を止めることなく、彼女は笑う。


「そ、そうだ。おれは黒帯だ! 昔から柔道をしていたのだ」


「かっこいいですよ」


 ——かっこいい?


 おれの体はたちまち熱に支配された。


 ——嬉しい! もう彼女はおれの虜に違いない!!


 ところが……。そんなものはすぐに終わる。料理が終わると、彼女はエプロンを脱ぎ、台所を片付けてから、なにやらノートに書きものをしたかと思うと「また来ますね」と帰って行ってしまったのだった。


「なんなんだ。ハテナ、ハテナ」


***


「また金蔵さん。黒帯をつけて受け身を取るんですよ。もう、おかしくて、おかしくて。振り向きたい衝動に駆られるんですけどね。時間内で三品も作らなくてはいけないから、そういう余裕がないんですよね」


 わたしは金蔵さんが受け身を取っている姿を想像して笑ってしまった。目の前にいる金蔵さんの娘さん——マサ子さんは苦笑いをしていた。


「父がご迷惑ばかりおかけして、本当にすみません。須川さん。ずーっと来てくださっているのに、いつも初対面みたいになっちゃうでしょう? まったくね。認知症っていいんだか悪いんだか」


 ヘルパーの利用料金を支払いに、事務所に寄ってくれたマサ子さんは、ほとほと呆れた調子で言うが、わたしはそうは思わなかった。


 金田かねだ金蔵きんぞうさん。大正十二年生まれの九十八歳。妻に先立たれてからも、一人暮らしを頑張ってきた方だ。戦争も経験されているし、戦後の激動の時代も生き抜いてきた御仁。調理はからきしダメだけど、それ以外の家事は自分でこなしてしまうし、自宅周囲の手入れ——例えば、草むしりや家屋の修繕など——は自らやってのけてしまう。

 ただ一つ、マサ子さんが心配しているのは認知症のこと。アルツハイマー型認知症と診断され、金蔵さんは短期記憶障害を持っている。わたしのことは、なんとなく雰囲気で覚えてくれているのかも知れないが、彼にとったら毎回が「初めまして」なのだった。


「父はね。須川さんが大好きなんです。死んだ母に面影が似ているからかな? 毎回、須川さんが来た日は機嫌がよくて、まるで恋人に会ったかのように生き生きしていますよ。須川さん、これからも父をよろしくお願いいたしますね」


「はい」


 ——さて。今日はこれから金蔵さんの家に調理の支援。今日で二十一回目。金蔵さんは、またわたしに恋してくれるかしら?




―了—



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21回目「おれ、金蔵」【KAC20217】 雪うさこ @yuki_usako

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