21回目の昇任試験

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第1話 21回目の昇任試験

 某地方都市に本社がある「ハロハロ信用金庫」。

 この地域では歴史があり、千人近い社員を抱える企業である。

 田舎ゆえに社員同士は高校時代からの顔見知りであり、かつてのクラスメートや、部活の先輩後輩の関係であることが多かった。

 杉山章介すぎやましょうすけはこの会社に勤めてはや二十数年。年齢もまもなく50歳にさしかかろうとしていた。

 章介は田舎塚いなかづか支店の業務係長であるが、上司となる支店長は高校時代の同級生である池上滋いけがみしげるだった。

 滋はかつては学校帰りに一緒にゲームセンターで遊んだ仲間であったが、今は上司となった彼から色々と仕事を命じられ、時には下らない雑用を押し付けられることもあった。

 滋と章介の間には、事務能力的に大差があるようには感じなかった。

 滋は単に、章介よりも早く「昇任試験」に合格しただけであった。

 ハロハロ信用金庫では、係長から支店長クラスに昇任するための試験が年に二回行われている。

 この試験を見事通過すると、自動的に昇任できるシステムとなっている。

 しかし社員数が多いため、受験人数は年々増加の一途をたどっていた。

 章介は、10年も前からこの試験を受け続けていた。

 試験ではそれなりに点数を稼ぐのであるが、受験人数が多いこともあり、好成績を取ってもなかなか受からなかった。

 章介は今年春に受けた昇任試験も、結果的に不合格に終わった。

 それどころか、本社部門から出先である支店へと飛ばされ、よりによってかつて一緒に高校時代を過ごした上司がいる部署に配属されることになった。

 そして、章介とともに、この春もう一人同じ部署に配属された社員がいた。


「このたび田舎塚支店の営業係長として配属された、田中俊吾たなかしゅんごと言います。よろしくお願いします」


 大きな声ではきはきと話し、きびきびと動くしぐさは、まるで自衛隊員を見ているようであった。

 滋は、俊吾に近づくと、上機嫌で肩に手を置いた。


「元気がいいね。田中係長は今、何歳なの?」

「私は今、42歳です」

「じゃあ、そろそろ支店長への昇任も間近だね」

「いやいや、私は係長になって4年目なんで、まだ早いですよ」

「でも、試験を受けてみる価値はあるよ。君は頭の回転も速そうだし、きっと一発で合格だよ!」

「まさか、そんなわけないですよ。毎年多くの人が受けていると聞いていますし」

「でも、受かっている人間もいる。僕は3回受験して合格しているし」

「は、はあ……」


 すると、滋は不気味な笑みを浮かべながら、章介の方を向いた。


「まあ、20回受けても、受からない人もいるがね。でもそういう人は、本当に稀だから。君なら努力次第であっという間に受かるさ。この秋の試験、受けてみたまえ」


 章介は、苦虫を潰したような顔でその話を聞き入っていた。


「じゃあ所長、私、早速営業に行ってきます。遅くとも5時までには戻ります!」

「おう、気をつけて行って来いよ」


 滋は笑顔で俊吾を見送ると、靴音を響かせながらゆっくりと章介に近づいた。


「聞いただろ?あいつも今度、試験を受けると思うけど、お前とどっちが先に受かるのかなあ?」

「そ、そんなの俺に決まってるじゃないか!」


 すると、滋は片手で章介の頬をグイっとつまんだ。


「お前、自分の立場、分かってんの?係長だよ?お前と同じ歳の人間は、みーんな課長になってるぞ。係長はお・ま・え・だ・け、だぞ。分かってるの?係長の分際で、その口の利き方はないんじゃないの?」

「でも、高校の時は、一緒にゲーセンで……」

「それは何年前の話ですか?もう三十年経ってるんですけど?」


 そういうと、滋は思い切り高笑いした。


「今度の試験でもし田中係長が受かったら、ここの支店長のポジションを与えるつもりだ。これでお前は、八歳年下の奴に命令されることになるわけだ、想像するだけでみじめだねえ、ハハハ」


 滋の憎たらしい笑顔を見て、章介の拳は震えた。

 このまま目の前にいる滋を殴ってしまえば心情的にはスッとするが、自分の首が飛ぶことは間違いない。

 そんなことをしたら、章介だけでなく、妻やまだ小さい子どもまで路頭に迷わすことになってしまうのだ。

 章介が滋を見返すためには、今度の昇任試験に受かるしかない。

 その日から、章介は終業後の酒の付き合いを全て断ち切り、自宅に帰り食事をした後はひたすら勉強を続けた。

 

 朝から気持ちのいい青空の広がる初夏の日曜日、一人息子で小学生の恵介けいすけが釣りの誘いに来た。


「パパ、今日の午後、渓流釣りに行こうよ!」

「ごめんよ恵介、パパは忙しいんだ。秋になったらまた一緒に行こうな」

「ええ?まだ夏にもなってないのに?」

「いいから、この夏は我慢しろ!友達はいないのか?たまにはパパじゃなく、友達誘って行ってこい」

「うん……」


 恵介は落ち込んだ表情で章介の部屋のドアを閉めた。

 申し訳ない気持ちで一杯であるが、それ以上に章介には試験に通りたい気持ちが強かった。


 そして迎えた秋の昇任試験。

 章介は万全の準備で、試験会場に向かった。

 これまでの試験の傾向をしっかり把握し、知識の欠落がないよう何度も参考書を見直した。

 会場に到着まであと少しという時、俊吾がちょうど章介の目の前を通りかかった。


「あ、杉山係長、こんにちは」

「おお、田中係長。君も今日は試験受けるのか?」

「ええ、池上支店長がどうしても受けて来いっていうから。私は別に、そんなに出世にこだわりはないんですけどね」


 俊吾は照れ笑いをしていたが、その表情には心なしか余裕めいたものを感じた。

 その時、突然章介のスマートフォンから着信音が鳴り響いた。

 これから大事な試験だと言うのに、一体誰が?

 章介は渋い顔でスマートフォンを取り出し、耳に当てた。


「もしもし、杉山ですが」

「あ、お父さん!美代みよだけど」


 電話の向こうから、妻の美代の声が響いた。


「恵介が、恵介が……今朝、友達と渓流釣りに行ったまま、帰ってこないのよ。友達とはぐれたみたいで、行方がわからないんだって」

「何!?」


 試験会場である本社はすぐ目の前にあった。

 このまま恵介を助けに行き、チャンスを逃せば、おそらく俊吾が受かるだろう。

 そして、章介は俊吾の下で働くことになる。

 それは、今以上に耐え難い屈辱であった。


「悪いが、俺は行けない。警察に連絡して、捜索願を出してくれ」

「恵介は、いつもパパと一緒に釣りに行ってた渓流に行ったのよ。パパだったら地理が分かるでしょ?早く帰ってきてよ!恵介に何かあったらどうするのよ!」

「……ごめん」

「最低!あなた、自分の息子を何だと思ってるの?」


 妻の美代は、涙声で電話を切った。

 章介はうなだれたが、ここで帰ることは自分のプライドがどうしても許せなかった。


「どうしたんですか?お子さんに、何かあったんじゃないですか?」


 俊吾が、心配そうな表情で章介を見つめた。


「ば、バカ言え、大丈夫だよ、俺のことは気にするなよ」

「そんなわけには行きませんよ。申し訳ないですが、今の通話、私にも聞こえましたよ。行ってあげなくていいんですか?係長にとってたった一人の息子さんでしょ?」

「バカ言うな!ここで俺が試験を受けなかったら、俺はお前の部下になる可能性が高い……そんなの、俺は絶対に嫌だ!」

「いい加減にしてください!あなたはそれでも親ですか?仮に今回の試験で私に勝っても、私はあなたを上司としては認めませんよ!そんな人でなしの部下なんて、まっぴらごめんですよ!」

「お、お前……」


 章介は憔悴しきった顔でしばらく動けなかった。

 その様子を、俊吾は微動だにせずにじっと見守っていた。

 しばらくすると、章介は俊吾に背中を向け、小走りに自分の車へと戻っていった。


「くそっ!俺は……いつまでこの屈辱に耐えなくちゃいけないんだよ!」


 ■■■■


 数日後、試験の結果が総務から田舎塚支店に送られてきた。

 支店長の滋は、不気味な笑い顔で封書を切り、結果表を確認した。

 章介は、その顔を疎ましく思いつつも、黙って結果を聞かされるのを待っていた。

 その時、突然滋が驚きの声を上げた。


「ま、まさか……まさかあああ!」


 支店内にいる社員が、一斉に滋の方に目を遣った。


「杉山章介……合格?嘘だろ?」

「ええ?ま、まさか!?」


 章介は立ち上がり、滋の横から結果表を覗き込んだ。

 そこには、間違いなく章介の合格が記されていた。

 そして、一緒に受験した俊吾には不合格と記されていた。


「俺、受験……してなかったのに?」


 その時、章介の目線は、黙々と仕事をしている俊吾に向けられた。

 俊吾は章介の目線に気づくと、嬉しそうな表情で頭を下げた。


「おめでとうございます。さすがですね、杉山係長」

「あ、ありがとう……」


 終業後、章介は、机の上を片付けて帰ろうとする俊吾を呼び止めた。

 俊吾は、平然とした表情で頭を下げると、自分から口を開いた。


「息子さん、助かったんですってね。係長が急いで現地に行き、見つけ出したと聞きましたよ」

「ああ、道順をちゃんと確認しないで行ったからな。行く前に俺に聞けばよかったのに……そ、それよりも、何で受験してない俺が合格で、お前が不合格なんだ?不自然にもほどがあるぞ!」

「ごめんなさい。私、杉山係長の名前で答案を出していました。息子さんを助けに行く人を、指を加えて見送るだけなんて、私にはできませんでした。勝手なことをして、本当にごめんなさい!」


 そう言うと、俊吾は深々と頭を下げた。


「お前……バカだな。俺がお前だったら、そんなことしねえぞ」

「そうですよね、バカですよね。でも、係長があの時息子さんを助けに行かなかったら、私は係長のこと一生バカ扱いしていたと思いますよ」


 それだけ言うと、俊吾は背中を向け、執務室から去っていった。

 こうして、21回目にしてついに昇任試験を通過した章介であったが、嬉しさと、本当にこれで良かったのか?という自分自身へのもどかしさで、合格通知を握りしめたまま、しばらくの間呆然と立ち尽くしていた。


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