青い夜の話をします。

youQ

青い夜の話をします。




 これは、静かに透き通った、青い夜の話。

 そのときの私は翌日に定期検診を控え、「妊娠している人」と「流産した人」の境界線上にいた。




 妊娠9週目に差し掛かる頃のことだったろうか。

 身体から、不可逆であったはずの変調が徐々に消えていったのは。


 あれ。おかしい。

 楽になってる。

 あんなにもきつかった胃痛と吐き気はどこに……?

 その頃の私といえばもう昼夜を問わずめちゃくちゃな吐き気に襲われていて、仕事をしているとき以外は完全に寝たきりだったのだが。

 それが急に収まり始めたのだ。


 祝日だのなんだのでちょうど病院に行けない(休診)日が続いたので、仕方なく1週間後の定期健診の日を待っていた。

 身体は徐々に落ち着いていき、この頃には多少の吐き気を残すのみとなっていた。


 後から思い起こせば――という出来事はある。

 いつかの夜。何もしていないのに急に下腹部から熱が消えた。

 私の場合、妊娠中の体温の変化は寒気を感じやすいほうに現れていたので、てっきり、このときもそうなのかと思っていたのだが……。

 寒気はなかなか収まらず、それどころか、ぐんぐんとお腹の中にある熱を吸い取るような勢いで。

 私は布団をいつもより重ねて就寝し。

 夜中にふと目が覚めたら寒気はぴたりと収まっていた。


 このときから嫌な予感はしていた。していたのだが。


 かくして冒頭に戻る。

 青い夜。

 眠れるはずもない夜。


 午前二時過ぎ。

 隣からは夫の寝息が聞こえてくる。

 夏真っ盛りだったので、部屋の隅で冷房が静かに唸っている。


 一度は寝付いたと思ったけれどすぐに起きてしまった私は、布団に静かに横たわり、ただ静かに考え事をしていた。

 考え事というか――審判、とでもいうのだろうか。

 タロットカードの20枚目に『審判』というカードがある。

 そのものずばり、まさにああいう心境だった。


 天使がラッパを吹き鳴らし、選ばれた人だけが永遠の命を得ることができる。

 では、選ばれなかった人は?


 私は選ばれないほうだ。

 まだそうと決まったわけではないけれど、確信はあった。

 私は(この命は)、選ばれない。

 どこか遠いところに行ってしまった。


 人の命の境目には、どこまでも静かな、冷たく透き通るような恐怖があった。

 このまま明日が来れば。

 明日が来れば――終わる。終わってしまう。

 1日、また1日と数えた日々が。

 お腹の中にいると言われても実感が湧かないまま、写真だけで見た命が。

 宿ったその日から祝福されていた存在が、なくなる。


 思考だけがぐるぐると頭の中を駆け巡り、身体は無力なまでに横たわっている。

 暗闇に慣れた目から見える部屋の中は青い。

 それは夜の闇。群青の、夜の闇。

 私が何を考え、何を思っていたとしても、時間は刻一刻と過ぎて夜は明けて世界は回っていく。

 だからこそ、今この瞬間はどこか冴え冴えとした、凛とした空気を纏っている。


 ふと――美しい、と思った。


 どうしてなのかは今でもわからない。

 無情だからかもしれない。人の感傷に左右されない世界の完璧さ。

 完璧なものは美しい。私の介在を許さないから。

 その美しさに身を浸しながら、ちっぽけな存在の私はただ、夜が明けるのを時計の秒針と共に待っていた。


 境界線上にいたその夜を、私はきっと一生忘れることはない。

 青い夜。

 ちっぽけな私と、生まれなかった命のそばに、確かに在った、青い夜。




 だからこれは、静かに透き通った、ただの青い夜の話だ。

 



 追伸。今はわりと元気です。

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