真夜中のブランコに問う

陽澄すずめ

真夜中のブランコに問う

 少女のころ、風に揺れるブランコが嫌いだった。

 日が暮れて誰もいなくなった公園の片隅で、それでも揺れ続けるブランコが嫌いだった。

 家に帰って夜も更け、ベッドに潜り込んでからも、ブランコは最後に見たときのまま、ずっと私の頭の中で揺れていた。



 ごそり、と隣で熱の動く気配がして、ふわふわと形をなくしていた私の意識はあなたに向く。

 とん、と足の裏が床に触れる音。さ、と肌がシーツに擦れる音。とん、とん、とん。少しずつ遠ざかっていく歩み。


 今、何時だろう。

 スマートフォンを枕元に置いていたことを思い出す。寝返りを打って少し腕を動かせば、すぐに触れる位置にある。

 でもそんなことをしたら、きっとあなたに気付かれてしまう。


 ジ、ジ、とライターを擦る音で、私の意識は引き戻される。


 ——煙草の先に火が点く。あなたは最初の一口で深く肺を満たしながら、換気扇のスイッチを押す。


 ファンが、ぶぅんと低く唸りながら回転を始める。


 ——あなたはできるだけ静かに、ゆっくりと煙を吐く。そのほとんどが、換気扇へと吸い込まれていく。


 まぶたを閉じたままでも、あなたの動きは手に取るように分かる。

 私は薄く目を開ける。常夜灯の明かりで淡く染まった闇の中に、窪んだままの枕が見える。

 起こしてくれても、全然いいのに。

 あなたと一緒にいられる時間は、限られているのだから。



 ある日の夕暮れ時の公園で、揺れるブランコを止めてみた。二本の鎖がまっすぐ下りて、座面が微動だにしない姿こそ、穏やかで安らかで、正しいはずだ。

 でも、手を離した瞬間に突風がすり抜けていって、ブランコは呆気なく揺れ始めた。

 何度やっても、結果は同じ。

 だから私は、十回、いや二十回まで揺れを見届けたら、帰ろうと決めた。

 初めの十回は、やはりすぐだった。十五回を過ぎても、風の止む気配はない。

 そしてとうとう、二十回目が来てしまう。

 結局、私はその場から離れることができなくなってしまった。



 かすかに煙草の匂いがする。

 換気扇が吸い逃したわずかの煙だけが、私の元へとやってくる。

 あなたの指先からここまでの距離を思って、不意に心細くなる。あなたが残していった熱は、既に冷め始めている。


 簡単だ。ベッドから這い出て、あなたの方へ歩いていけばいい。

 ローテーブルに置きっ放しのマグカップを手に取り、キッチンで水を汲んで、一口飲むのだ。


 ——ごめん、起こしちゃったかな。

 ——いいえ、少し喉が渇いたの。


 想像の中でなら、もう少し行動的になれるのに。


 ジ、と煙草を灰皿に押し付ける音がする。とん、とん、とん。今度は近づいてくる足音が、ベッドの手前で心なしか速度を落とす。

 そっとシーツが持ち上げられ、あなたが滑り込んでくる。隣の空間に熱が戻り、手の届くところにメンソールの香りがある。

 いつもの、あなたの匂い。思わず胸いっぱいまで吸い込みたくなったけれど、どうにか普通の寝息を装う。


 もしここで目を開け、あなたを見つめて微笑んだら、あなたは優しい言葉をかけてくれるかもしれない。ぎゅっと抱き締めてくれるかもしれない。

 でも、私は眠っているふりを続ける。

 こんな夜を、もう何度過ごしただろう。いつのころからか、それを数えることもやめてしまった。



 ブランコは哀しくないのだろうか。そのつもりもないのに揺らされて。

 ブランコは苦しくないのだろうか。静かに眠ることすら許されずに。

 きぃこ、きぃこ。錆びた鎖の軋む音が、耳の奥でずっと鳴っていた。



 あなたが再び寝息を立て始めるのを待って、私はまぶたを開ける。

 うっすらとした白い光がカーテン越しに部屋の中へと入り込み、あなたの頬に濃い陰影を作っている。


 あぁ、夜が明ける。どうしようもなく、朝が来てしまう。

 胸がざわめきを思い出す。明日の今ごろ、私はどうしているだろう。あなたはどこにいるのだろう。

 いっそ夜が来なければ、全てを諦めてしまえるのに。


 呼吸に合わせてわずかに動く、目元の陰。あなたの横顔は、なんだかとても疲れているように見えた。



 風に揺れるブランコが嫌いだった。

 あのブランコは、今も私の中で揺れ続けている。二十一回目は、きっと永遠にやってこない。



—了—

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

真夜中のブランコに問う 陽澄すずめ @cool_apple_moon

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ