真夜中のブランコに問う
陽澄すずめ
真夜中のブランコに問う
少女のころ、風に揺れるブランコが嫌いだった。
日が暮れて誰もいなくなった公園の片隅で、それでも揺れ続けるブランコが嫌いだった。
家に帰って夜も更け、ベッドに潜り込んでからも、ブランコは最後に見たときのまま、ずっと私の頭の中で揺れていた。
◆
ごそり、と隣で熱の動く気配がして、ふわふわと形をなくしていた私の意識はあなたに向く。
とん、と足の裏が床に触れる音。さ、と肌がシーツに擦れる音。とん、とん、とん。少しずつ遠ざかっていく歩み。
今、何時だろう。
スマートフォンを枕元に置いていたことを思い出す。寝返りを打って少し腕を動かせば、すぐに触れる位置にある。
でもそんなことをしたら、きっとあなたに気付かれてしまう。
ジ、ジ、とライターを擦る音で、私の意識は引き戻される。
——煙草の先に火が点く。あなたは最初の一口で深く肺を満たしながら、換気扇のスイッチを押す。
ファンが、ぶぅんと低く唸りながら回転を始める。
——あなたはできるだけ静かに、ゆっくりと煙を吐く。そのほとんどが、換気扇へと吸い込まれていく。
まぶたを閉じたままでも、あなたの動きは手に取るように分かる。
私は薄く目を開ける。常夜灯の明かりで淡く染まった闇の中に、窪んだままの枕が見える。
起こしてくれても、全然いいのに。
あなたと一緒にいられる時間は、限られているのだから。
◆
ある日の夕暮れ時の公園で、揺れるブランコを止めてみた。二本の鎖がまっすぐ下りて、座面が微動だにしない姿こそ、穏やかで安らかで、正しいはずだ。
でも、手を離した瞬間に突風がすり抜けていって、ブランコは呆気なく揺れ始めた。
何度やっても、結果は同じ。
だから私は、十回、いや二十回まで揺れを見届けたら、帰ろうと決めた。
初めの十回は、やはりすぐだった。十五回を過ぎても、風の止む気配はない。
そしてとうとう、二十回目が来てしまう。
結局、私はその場から離れることができなくなってしまった。
◆
かすかに煙草の匂いがする。
換気扇が吸い逃したわずかの煙だけが、私の元へとやってくる。
あなたの指先からここまでの距離を思って、不意に心細くなる。あなたが残していった熱は、既に冷め始めている。
簡単だ。ベッドから這い出て、あなたの方へ歩いていけばいい。
ローテーブルに置きっ放しのマグカップを手に取り、キッチンで水を汲んで、一口飲むのだ。
——ごめん、起こしちゃったかな。
——いいえ、少し喉が渇いたの。
想像の中でなら、もう少し行動的になれるのに。
ジ、と煙草を灰皿に押し付ける音がする。とん、とん、とん。今度は近づいてくる足音が、ベッドの手前で心なしか速度を落とす。
そっとシーツが持ち上げられ、あなたが滑り込んでくる。隣の空間に熱が戻り、手の届くところにメンソールの香りがある。
いつもの、あなたの匂い。思わず胸いっぱいまで吸い込みたくなったけれど、どうにか普通の寝息を装う。
もしここで目を開け、あなたを見つめて微笑んだら、あなたは優しい言葉をかけてくれるかもしれない。ぎゅっと抱き締めてくれるかもしれない。
でも、私は眠っているふりを続ける。
こんな夜を、もう何度過ごしただろう。いつのころからか、それを数えることもやめてしまった。
◆
ブランコは哀しくないのだろうか。そのつもりもないのに揺らされて。
ブランコは苦しくないのだろうか。静かに眠ることすら許されずに。
きぃこ、きぃこ。錆びた鎖の軋む音が、耳の奥でずっと鳴っていた。
◆
あなたが再び寝息を立て始めるのを待って、私はまぶたを開ける。
うっすらとした白い光がカーテン越しに部屋の中へと入り込み、あなたの頬に濃い陰影を作っている。
あぁ、夜が明ける。どうしようもなく、朝が来てしまう。
胸がざわめきを思い出す。明日の今ごろ、私はどうしているだろう。あなたはどこにいるのだろう。
いっそ夜が来なければ、全てを諦めてしまえるのに。
呼吸に合わせてわずかに動く、目元の陰。あなたの横顔は、なんだかとても疲れているように見えた。
風に揺れるブランコが嫌いだった。
あのブランコは、今も私の中で揺れ続けている。二十一回目は、きっと永遠にやってこない。
—了—
真夜中のブランコに問う 陽澄すずめ @cool_apple_moon
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