フィールドワーク(21)

酒井カサ

第『21』話:赤い糸、あるいは呪われた宿命

 ――神社を訪ねて、参拝客を眺める。

 それが春休みのルーティンだった。

 いや、べつに暇だからとか、趣味が人間観察だからではない。

 所属しているゼミの課題をこなすために必要な作業だからだ。その課題とは、いわゆるフィールドワークの一環なのだが、どういう意義で出された課題なのかは判然としない。僕が属しているのは工学部で、電子工学科のはずなのだけど。

 先輩から聞いた話によれば、「教授の知り合いが神主なので、やる気のない学生を島流しにしている」とこのこと。まあ、ろくに調べもせず、楽そうだからで入った身であるゆえ、文句は言えないのだが。僕としては単位さえもらえればなんでもよい。それに最近は楽しみができた。

 ところで代わり映えのしない作業を淡々とこなしていくうえで必要なことはなんだろうか。自分なりの目標を立てることだろうか、心を無にすることだろうか。

 僕の場合、必要だったのは『謎』だった。「なぜ神社を訪れたのか」その理由について思考を巡らせ、自分なりに納得のいく回答を出すことで、無限とも思える時間を潰すことができた。しかし、この寂れた神社を訪ねてくるのは常連の高齢者ばかり。参拝理由も自身の健康か、知人との交流だった。そこに謎と呼べるものはなく、僕はすぐに暇になってしまった。

 しかし幸運にも、つまらない状況はすぐに打開された。

 なぜならば、大学一の美人が参拝に訪れるようになったのだから。

 諏訪さんは僕が通う大学において、深窓の麗人と呼ばれている。もっと俗にいえば美人である。図書館の端で小難しい本を読む彼女の姿を見て、一目惚れした学生は多い。男女問わず。僕もまたその一人である。そんな熱狂的な人気とは裏腹に友人はおらず、プライベートを知るものはいない。その神秘性がまた彼女の人気を押し上げているのだろうが。それゆえに寂れた神社に訪ねてきたときは心底驚いた。

 諏訪さんは14時21分21秒に神社を訪れる。それも毎日だ。

 僕は日々、この神社でフィールドワークを行っているが、顔を合わせなかったときはない。いや、顔を合わせるという表現は不適当だ。彼女はこちらに気づいている気配はないのだから。僕の影が薄いことも一因なのだろうが、それ以上に諏訪さんが周囲に意識を配っていない。というか、心ここにあらずといった具合だ。

 彼女は日々、悲しそうな表情をして神社を訪れる。そして賽銭を投げ入れ、静かに祈りを捧げる。そして物憂げな顔をして去っていく。そのどれもが大学にいる時の諏訪さんからは想像できない。無口で無表情。眉一つ動かさずに本を読む彼女とは一致しない。諏訪さんはなぜいつも悲しげな表情を浮かべているのだろうか。どういう理由でこの神社に足繫く参っているのだろうか。祀られている神さまに対して、なにを祈っているのか。この謎こそ、僕のフィードワークの支えとなった。

 そうした日々を重ねること三週間。

 21回目の参拝に訪れた諏訪さんの姿を見る。

 そして、驚いた。

 彼女は怒っていた。

 その美しい顔に憤怒を貼り付けて、この世の全てを底から憎むような力強さで賽銭を投げ入れて、鼻息を荒くしながら神社を去った。

 あまりに突拍子のない出来事を目撃した僕は腰を抜かしてしまった。

 その後、彼女が神社を訪れることはなかった。

 後日、大学の新年度が始まって、ひとつの噂を聞いた。

 諏訪さんが大学から消えた、というもの。

 その消息について、知る者などはいない。少なくとも大学には。ファンクラブの面々は口々に残念がったが、僕はその話題に乗ることはできなかった。

 果たして、あの日諏訪さんになにが起こったのか。

 そのことが頭にこびりついて、取れなくなった。寝ても覚めても諏訪さんの謎について、思考を巡らせていないと気持ち悪かった。食事が喉を通らない程度には。そうしているうちに大学にも顔を出さないようになり、自分がうつ病になっていることを悟った。しかし、そんなことは些事だった。修羅としか形容できない形相を浮かべた諏訪さんについて考えることが一番だった。

 五月、下宿先の扉がふいに開いた。

 訪ねてきたのは、ゼミの担当教授だった。

 たしか、電子工学科のくせに謎のフィールドワークを提出した張本人。

 そんな彼は眉をひそめながら、挨拶よりも先にこう呟いた。

「いやはや、21回目のループも失敗とはね。今度こそ君と諏訪くんを引き離すことができると思っていたのだけど。だからわざわざ関係のない神社でフィールドワークするようにしたのに。神通力というのは恐ろしいものだ。やはり神々を無碍にしちゃならんということか」

「……いったい、なにがなにでなんで」

「君に説明が必要なのは重々承知しているが、結果的に無意味な作業だから省略させてもらう。私が君に課したフィールドワークのように無意味だ。次のループでは頑張ってくれ。君自身の未来を勝ち取るためにも」

 教授が一切理解できないことをつぶやくと、僕の意識は遠のいた。

 そのさなか、僕の頭にはひとつの疑問がこびりついていた。

 ――諏訪さんは21日目、なぜ怒っていたのだろうか。

 この疑問は次の『僕』に任せることにする。どうせ、僕が僕である以上、謎に執着するのだろうし。

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