公開されなかった30話の下書き

村中 順

公開されなった30話の下書き


キッ・キーーーーーー、ドン


ピーポー、ピーポー、ピーポー ……


   ◇ ◇ ◇


「章子は、章子は、何処ですか。章子の母です。連絡を受けて …… 楢崎 章子はどこですか」

「章子さんのお母様ですね。こちらへ …… ただ、お気を確かにお持ちください。運ばれたときは既に息を引き取っていました。それに …… 酷い事故でして ……」


「いやー、章子、章子、こんなに包帯巻かれて、章子 あー、あー」


   ◇ ◇ ◇


 章子が、この世を去って3ヶ月が過ぎた。未だに夕方になると玄関から、

「ただいま〜」

と駆け込んでくる気がする。


 この3ヶ月は、白黒の世界に生きている感じだった。そして今も、外の雨の音が悲しく、湿気を帯びた空気が重苦しい。


 章子の部屋は、あの日の朝、学校に行ったときのままだ。


 何も

 片づかない、

 片づけたくない、

 片づけられない。


 今日もそんな気分のまま、章子の部屋でボンヤリと過ごしていると、事故に巻き込まれ、汚れてしまった鞄が目に入った。章子の乾いた血が、黒くべったりとついている。中の教科書やノートも血で貼り付き、広げることができない。


「うぅっうぅっうぅっ、痛かったでしょう。章子」


 そうして、鞄の中を探っていると、章子が使っていたスマートフォンが出てきた。ミッキーのカバーは、17歳の章子には少し子供ぽく感じたが、気に入っていたようだ。


 私は、章子の手垢が懐かしく、頬を寄せると、また涙が流れた。


 電源ボタンを押しても、もう電池が切れて点かなかった。私は章子が息を吹き返すような感じがして、電源ケーブルを繋いでしばらく待った。


 パスワードの入力画面。


 中学校に上がり初めてスマートフォンを買い与えた時、パスワードは私に教える約束だった。

「えー、お母さん見ないでね」

と言って抵抗したが、渋々承諾させた。高校生になっても、同じかどうか分からない。


”ようこそ”

の表示。


 教えてくれたパスワードと同じだった。


 そしてメールの受信、SNSの受信のポップアップが次々と出てくる。


 その中に『カクヨム』のポップアップがあった。


 章子がフォローしていた作家のお知らせの中に、新規レビューや新規感想があったことを知らせるポップアップも混じっていた。


 幼い頃から本好きだった章子が、ネット小説に投稿していることは薄々感じていた。でも実際に何を書いていたかは知らない。


 画面を操作しているうちに、『Akiko』というペンネームのページが出てきた。そこに複数の投稿小説。そのうち1つは連載中で、あの事故の前々日で更新が止まっている。


 何となく、章子の声が聞けるような気がして、連載中の小説を読み始めた。


『大地と大樹』

という題名だったが、内容はファンタジーだった。


 魔法戦争で荒廃した大地は、木々が枯れ緑が失われた。砂漠と岩の世界に、木を育てる魔法しかできない少女ピュアと、そのピュアの守る少年ケンが、世界をめぐりながら大地を再生する物語だった。

 途中ミコという少女も登場し、ケンと三角関係になる。


 私はこの時、『章子、こんな関係になった事があるのかしら』と少し笑ってしまった。そして、ケンが、幼なじみの伊藤君に似ていると感じた。


「そう言えば、そんな感じもあったかしらね」

と微笑ましく思ったが、直ぐに深い悲しみに変わった。


 気を取り直して、読み進めて行くと途中から下書きになっていた。50話は公開済みだが、30話が公開されずにいる。その30話を読まなければ、章子のお話は完結しない。


「章子、30話を公開する予定だったのよね」


 私は、章子の小説につけられたレビューや感想、それと近況ノートも読んだ。もらった感想には必ず返信し、近況ノートにはレビューのお礼が書かれていた。


 あの事故の日までは。


 章子は、読者とのつながりを大事にしていただろうと思った。


   ◇ ◇ ◇


 私は章子の遺影の前で、事故の後、追加されたレビューや感想を読み聞かせた。


「続きを見たいと言う人いるみたいよ。未公開の30話の下書き、公開しようか」

と章子に相談した。


 章子が、やり残した小説。たぶん、あんな事故に遭っていなければ、公開していたと思う下書き。そして切れてしまった読者とのつながり。

 

 私は、公開して欲しいと章子の声が聞こえたように感じた。


「じゃあ、公開しましょうね。今までの公開タイミングは1週間に1話ごとだったのね。じゃあ土曜日に公開しましょうね」


 私は、この土曜から週に一話ずつ、公開し始めた。


   ◇ ◇ ◇


 公開 55話目

「ねえ、章子、新しいレビューがついたわ。楽しい話、有り難うって。他の人にも勧めてくれているわよ。お礼どうしょうかしらね」


 章子に代わって、あれこれ書く事はできないので、簡単に『有り難うございます』に止めておいた。


 公開 60話目

「感想も沢山ついたわね。今日新しく、『ケンがかっこいい』って感想よ。伊藤君、良かったわね。ちゃんとお礼の書き込みしたわよ」


 公開 65話目

「ミコちゃんも可愛いって感想よ。これは男の子からかしらね」


 公開 70話目

「『この先の展開が気になります』って。なんて返信したら良いかしら。有り難うじゃ変よね。他の小説のとき、章子がなんて返したかしら。それに合わせておくわね」


 公開 75話目

「☆もレビューも沢山ついたわよ。良かったわね。一つ一つ読み上げるわね えーっと ……」


 公開 80話目

「これで、章子のやり残した小説は全部公開したわよ。半年かかったわね。貴方のことが少しでも読者の方に知ってもらって、お母さんうれしいの。でもね、81話目を書かないといけないと思うのよね。良いかしら」


 章子の顔は、笑っていた。


「えー、お母さんに書けるの?」

と聞いてきたように思う。


「お母さんも読者さんのために頑張るわ」


 81話目


 読者の皆様、これまでお読み頂き、また沢山の感想やレビューを頂き有り難う御座いました。80話目をもって、『大地と大樹』は完了いたしました。


 なお、読者様にはお詫びを申し上げなくてはなりません。この小説の作者『Akiko』は、私の娘で、今年の春に交通事故で他界しました。そのため、最後の30話は娘が書き溜めた、下書きを公開したものです。皆様からいただいたレビューやコメントは娘の遺影に報告しましたが、お礼や返信は私が書いたものです。だますようなことをして大変申し訳なく思う次第です。


 ただ、娘は、娘自身(私)と読者様、そして娘が作り出した仲間たちの縁を小説という言葉で紡ぎ出したのだと思います。その縁が途中で切れてしまうのは、母として大変残念に思った次第です。これは私の勝手な思いかも知れませんが、30話についての頂いたレビューや感想を娘は喜んでいたように思います。


 最後にピュアが言った『荒涼とした大地は広がるけれど、緑豊かな世界を目指して歩き続ける』をいう言葉を胸に、私も娘を思いつつ、歩き出したいと思います。



公開されなった30話の下書き −完−

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

公開されなかった30話の下書き 村中 順 @JIC1011

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ