第2話 才能無しと言わないで
「一生ここで暮らすってなんなんです!?」
「言葉通りの意味ですよ。ここで私と一生暮らすんです」
アノリアはさも当然といった表情である。
これほどの美人と同棲だなんて、男としては万々歳。
しかし今はここがどこかも自分が何なのかも分からない状態で、こんな山奥に居座るのは良いことなのだろうか。
「申し訳ないですけど、私はこの山を下りて街に行きたいですね。自分のことすら良く分かっていないと云うのは、どうにも気持ちが悪くって」
「駄目です。山の外は危険がいっぱいです。悪い大人もいますし、怖い動物もいます。ここにいることが、あなたにとって最良なんです!」
「僕は子供か何かですか」
自分より二回りほど小さな女性に心配されるだなんて、せっかくガタイが良いのに残念でならない。
「アノリアさんは、どうして魔法が使えるんですか?」
「誰だって使えますよ。程度の違いはありますけど」
「じゃあ俺にも出来ますかね」
「出来ませんよ、才能が無さそうなんで」
冷たい視線で俺の心を抉って来る。
きっとこの人は、教師とかそういうの絶対に向いていない。
「そもそも、魔法が何たるかを理解しないでおいて『自分は出来ますかね』なんて簡単に口にする時点でダメなんです。知識も何もないのに大きな事を成すことが出来ますか? 出来ませんよね?」
「はい……ごめんなさい……」
どうして俺は、初対面の女性にここまで怒られなければならないのだろうか。
なんか昔もこういうことあったのかなと、ありもしない遠い記憶で懐かしんだ。
きっと前世はいじめられっ子だったのかもしれない。
「ま、まぁ、そこまで落ち込むことはないですよ。この山には野兎くらいしか出ませんから、本当に魔法は必要ないんですって」
「でも、格好良いじゃないですか! 俺もアノリアさんみたいに素敵な魔法を使いたいんです!」
「素敵、ですか」
ほんのりと嬉しそうに頬を緩ませたアノリアだったが、すぐ頬を叩いて気を引き締めた。
「そこまで言うのなら、初歩中の初歩を教えますので、それに挑戦してみてください。それが出来なければ、無能です」
そう言って、アノリアは人差し指を立てると、その指先に小さな火を灯した。
指が燃えているのではなく、指先から少しだけ離れているその炎は、そよ風に揺られながらも決して消える様子を見せない。
「これは初歩中の初歩。泳ぐ練習で例えると『顔を水につける』レベルです」
「本当に初歩ですね」
「それが出来なきゃ、それ以上のことなんて出来るはずがないってのは、理解できますか?」
言葉の圧に、無言で頷く。
人が簡単っていうものを失敗するかもしれないというのは、本当に緊張する。
「この程度なら詠唱も溜めも要りません。念じるだけです。さぁ、やってみてください」
念じるだけと言われても、何が何だか分からない。
言われるがままに、指先に集中して炎をイメージする。
さっきアノリアの指先で灯った小さな火でいい。
力強く願った魔法の力は、俺に応えてくれるのか。
そう考えながら、10分は経っただろう。
炎はおろか、指先が温かくなる兆しも無い。
「さて、あと何分挑戦しますか? それとも何時間?」
「えっと。その……」
「落ち込まないでください。無能なのは分かってましたから」
俺が挑戦している間、アノリアは炎で作った蝶々を何匹も飛ばせて、空に輪を描いていた。
「これで気は済みましたか? そんなに落ち込まないでください。家に来れば、私が用意した弓をあげます。それで兎や鳥を狩って、悠々自適に暮らそうじゃありませんか」
「そんな……もう少しだけ挑戦を!」
どうしても納得できずにいると、炎の蝶々が一匹、俺の鼻先にぶつかって消えた。
「あっちぃ!」
「そんなに力んだからといって出来ることではありません。良いじゃないですか、人には向き不向きがあるものです。もしかしたら、狩りのセンスは高いかもしれませんよ」
クスクスと笑うアノリアに丸め込まれていると、近くの茂みが突然動き出した。
急なことだったので、つい驚いてしまった。
「どうせ小動物ですよ。ここら辺に獰猛な動物はいません。そんなものに驚いていては、この先が思いやられますよ?」
「い、良いじゃないですか! 突然だったんだから!」
顔を赤くしていると、アノリアは小さな苦無のようなものを渡してくれた。
柄の部分が、俺の手にしっくりと合う。
まるで俺専用に作られたみたいだ。
「それはあなたにあげます。最小限の護衛には役立つでしょう」
まるで鉄塊を粗く削り取ったようなそれは、ナイフというよりも打製石器のような見た目をしている。
どうも切れ味に期待は出来そうもないが……適当に近くの小枝を切りつけると、何の抵抗も無く落下していった。
「切れ味は期待しないでください。見た目の通り、なまくらなんで」
「いやいやいや! 懐に入れておくのも怖いくらいの切れ味なんですけど!?」
おかしなことをアノリアが言っているそばから、茂みの揺れが大きくなっていく。
何かが迫ってきているんだ。
「丁度良いから、それで仕留めてみてください。兎なら、今夜のご飯におかずが増えますよ?」
「いきなり兎を狩るって、精神的にキツいんですけど……」
嫌な手汗が滲むのを感じながら、ナイフを握りしめた。
ここがどこなのか、自分が何なのか全く分からないけれど、生きていく術を持っておかなければならないのは事実である。
それに、魔法の才能が無いんだし、それくらい出来ないと駄目だろう。
覚悟を決めて、茂みを睨みつけた。
それを待っていたかのように、隠れていた生物が姿を現した。
そいつは、兎のような可愛らしいものでは無かった。
いびつに生えそろった牙、薄汚れた皮膚。
腰に巻かれた獣の毛皮が皮脂を帯びてギトギトしていた。
まるで子供が悪魔に取りつかれたような小柄な化け物は、焦点の合っていない眼光で俺のことを見つめていた。
息遣いの粗さは、離れていても伝わってくる。
言葉が通じないことは、一瞬で理解した。
「この世界の兎って、怖すぎないですか?」
「それは兎じゃありませんよ!」
アノリアは真っ青になって、その化け物に手を翳した。
さっき見せた炎の蝶なんか比にならない程の熱量を凝縮した火球を練り上げながら、彼女はつばを飲み込んだ。
「あれは、ゴブリンです……でも、どうしてここに……?」
焦るこちらとは裏腹に、ゴブリンは嬉しそうに舌なめずりをするのだった。
異世界転生した俺は底なしの魔力で君の笑顔を守りたい 2R @ryoma2
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