異世界転生した俺は底なしの魔力で君の笑顔を守りたい

2R

第1話 泉の中からこんにちは

 温かくて滑らかな液体の中で、俺は沈むでも浮かぶでもなく揺蕩っていた。

 何も見えない、何も聞こえない中、ただ分かるのは心地よいという感触だけ。

 重力にすら押さえつけられていない俺は、自分が上を向いているのか下を向いているのかすらはっきりしない。


 いつからここにいた?

 ここに来るまで、どこにいた?

 なぜここにいる?


 そんなことを考えようにも、何の記憶もないし頭も回らない。


 ただ、俺を呼ぶ女性の声だけが、遠くからした気がした。


 ★


「……はっ! ここはどこだ!?」


 飛び上がるように立ち上がった俺は、自分が浅い水辺で横たわってたことに気付く。

 どうやら森の奥にある、小さな泉らしい。

 見覚えが無ければ、真新しさも感じない。

 どこまでも澄んでいる水のくせに、魚どころか水草も見えない。

 綺麗すぎて不気味さまで感じてきた。


 どうして自分がここにいるのかも分からないし、自分が誰なのかも思い出せない。

 くるぶしくらいの深さしかない水面に映る男の顔が、俺なのだろう。

 端正な顔立ちはまだ二十歳にも満たないのではないか。

 細身ながら鍛え上げられた腹筋は自分のものと分かっていても惚れ惚れする割れ方をしている。

 ……いやまて、俺いま裸じゃん。


「どうしてこんなことになっているのか、全く記憶にないぞ……なんで服も着ていないんだ。一先ず着る物が欲しい……」


「あ、それならこれをお使いください。用意しておきましたよ」


 ちょうど近くに座っていた若い女性が、俺に着るものを渡してくれた。

 これは渡りに船だ。

 ありがたく受け取った俺は、一瞬思考が停止する。


「きゃぁぁぁぁ!!」


 自分でも恥ずかしいくらい甲高い声が出た。

 一先ず体を隠すため、浅い湖にうつぶせになる。


「な、えっと、裸でごめんなさい!!」

「いえ、鍛え上げられた芸術のような肉体を見れてむしろ眼福です。そんなことより早く服を着てください。お尻だけ浮かんでいて、むしろ変態に見えますよ」


 女性がこちらに背中を向けていることを確認してから、急いで服を羽織った。

 まるで農民が来ているような汚れたごわごわした麻の服に身を包み、泉の外へ出る。


「着替えましたか……て、びちょびちょじゃないですか。ちゃんと拭いてから着ればよかったのに」

「いやいや、さすがに女性の前でいつまでも裸でいるわけにはいきませんから。それにしても、偶然いてくれて助かりましたよ。なんか自分の事も分からないし、ここがどこかも分からないんです。記憶喪失ってやつですかね」

「そうですか。何か記憶に残っていることはありませんか?」

「う~ん。あなたが綺麗だということくらいしか」


 俺がそういうと、女性は無表情のまま固まってしまった。

 女性は、俺が着ている服と違って肌触りの良さそうな絹の布で出来たものを着ていた。

 どこか踊り子のような華やかさと、淑女の品性を兼ね備えたデザインにも目が奪われるが、もっとも目を引くのはやはり女性自身。

 俺の肩くらいにしか満たない小さな背で、幼さすら感じるくせにその瞳は強い意志を感じさせる。

 長い髪は日々の手入れの成果なのか美しく、明るい茶髪が風にたなびいた。


「あの……大丈夫ですか?」

「あなたって人は、よくもまぁ女性に対してすぐそうやって容姿について言えますね」

「すんません、つい本心が零れたみたいで」


 ジト目で睨まれたが、嫌がってはいないようだ。


「そんなことより、名前か出身か、何も覚えていないんですか?」

「はい」

「ま、そりゃそうですよね」

「『そりゃそう』? 何か知っているんですか?」


 女性は少しだけ黙ってから、俺の顔を指さした。


「あなたは、転生者です。まさか噂に聞いていましたが、実現するとは……」

「転生者?」

「つまり、この世界の人間ではありません。この世の摂理から外れた異端です」


 説明を受けても、何も分からなかった。


「えっと、なんですか、それ?」

「転生とは、別の命が尽きた時に、それがまた別の命として生まれ変わることです。本来なら、何か記憶や能力を引き継いでいるはずなのですが、あなたにはもう残ってなさそうですね」


 女性は小さく溜息を吐くと、改めて深く頭を下げた。


「私は、アノリアです。この森で自給自足をしている、しがない魔法使いですよ」

「魔法が使えるんですか? 凄いですね」

「まぁ、戦闘には向かないですけど」


 アノリアが指を鳴らすと、高温の風が俺を包み込んだ。

 肌がひりつく感触に目をつぶると、一瞬で風は止んでしまった。


「私にできるのは、濡れた服を乾かすことくらいです」


 そう言われてから、自分の服がカラッと乾いていることに気付いた。


「凄いじゃないですか!」

「いや、本当に全然凄くないですから。魔法なんて、誰でも使えますって」

「え、じゃあ俺も出来ます?」

「……さぁ、どうですかね」


 急に言葉を濁したアノリアは、俺から顔を逸らしてしまった。


「もしかして……魔法が使えないんですか、俺?」

「魔法なんて、この森に住んでいれば覚える必要はありませんからね」

「いやいや、アノリアさんはそれで良いんでしょうけど、俺はいつまでもここにいるわけには行きませんからね」

「何を言っているんですか、あなたは私と一生ここで暮らすんですよ」


 何食わぬ顔で言われたこの一言。

 それが異常と感じるのは、おかしいだろうか。

 不思議な場所で出会ったアノリアは、まるで昨日も一緒に暮らしていたかのようなテンションでそう告げるのだった。

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