私にして欲しいことがあれば遠慮なく仰ってくださいね

「片付けるの手伝いましょうか?」


 使い終わった皿やカップを片付けようとすると、由芽が立ち上がりながら言った。


「いやいいよ。そのまま座っててくれ」

「居候させてもらうんだから、これくらいはさせてください。それにその状態じゃあ思うように動けないでしょう?」


 そう言って俺の足元で眠る瑠衣を指差す。

 最初は胴体にいたのだが、俺が動く度に徐々にずり落ちていって、現在は右脚にしがみついている状態だ。


「それもそうだな。じゃあ頼む」


 カップと皿を両手に持って、右脚を引き摺りながら由芽と共にキッチンまで移動する。

 これだけでかなりの重労働だ。

 一人、応接間に残された次女の引接寺は、相変わらず不貞腐れた様子で頬杖をついている。


「すいませんね。妹達がご迷惑をおかけして」

「ハハハ……まあでっかいアンクルウェイト重りだと思えばどうってことないさ」


 まるで必殺シュートの特訓をしている気分だ。

 これをつけてたらイナ○レみたいなシュート打てるようになるかな。


瑠衣それだけじゃなくて芽瑠ちゃんのことも。あんなに先生に対して悪口言うとは思わなかったんです」

「いやまあ、むしろアレが正常な反応だよ」

「あんなに怒ったのは、楽しみにしていたドラマの最終回をネタバレされた時以来ですね」


 ……その二つを同列にするのはどうなの?


「普段はもっと優しくていい子なんですよ」

「ああそれは知ってる。担任だからな」


 皿を食洗器に入れながら、俺は学校での引接寺芽瑠を思い浮かべる。

 見た目はDQNのような印象を受ける彼女だが、実際はいじめられっ子を助けたり、孤立している生徒がいればさりげなく気にかけてあげたりと、根は優しい性格をしている。

 俺に対する敵意も、姉と妹を守る為だと考えれば理解出来る。


「瑠衣ちゃんほどではないけど、私も先生のことは信用してますから」

「そうか」

「まあ信用すると言っても、『先生なら言い寄って来ないだろう』というより、『先生になら言い寄られてもいい』っていう感じですけど」

「いやいや、ダメだろ」

「ふふふっ」


 由芽が意味深な微笑を見せる。

 大人びた容姿と相まって、大学生くらいに見える。


「これからこの家でお世話になる代わりと言ってはなんですが、家事全般は私に任せてくださいね。前の家でも私が担当していたので」

「別にそこまでする必要はないんだぞ」

「いえ私、お掃除や料理したりするのが好きなんです。先生も私にして欲しいことがあれば遠慮なく仰ってくださいね。なんならお風呂で先生の背中を流したりなんかも……なーんちゃって♪」

「大人をからかうもんじゃない」

「うふふ、失礼しましたっ」


 ペロッと悪戯っぽく舌を出しながら、含み笑いを漏らす由芽。

 妙に色気のある仕草だ。……いや、いかんいかん。さっき「絶対に手を出さない」と言ったばかりじゃないか。

 しかし家事が趣味なんて今時珍しいな。やはりひとり親家庭だと、家のことは長女が受け持つようになるのだろうか。


「それに……この家は中々掃除のし甲斐がありそうですし……」

「ん?」


 心なしか今、微妙に声の雰囲気が変わったような……。


「見てくださいこのシンク。最低でも7mm以上の水垢が合計で4つあります。コンロも8mm以上の油汚れが7つくらいありますよ。それから食器や調理器具の整理整頓も欠かせませんよね。見たところ食器棚のお皿は平均して1.7cmほどズレて並んでますし、調理器具に至っては種類も大きさもバラバラです。これでは落ち着いて料理が出来ません!」

「あ、あの……」


 いきなり熱弁を振るい始めて困惑してしまう。

 先程までのおっとりした雰囲気はなく、まるで獲物を目にした狩人のように、興奮した眼差しをしている。

 そう言えば昨日も異常なまでに本棚の整理に執着していたのを思い出す。

 薄々気づいてはいたが、彼女は相当な潔癖症のようだ。


「ああもう我慢出来ない……! すみません、どうしても気になるのでちょっと整理させてください!」


 彼女はしかし、返事を聞く前に調理器具を手に取り始めた。


「ちょ、なにも今やらなくても……」

「お願いです、せめて調理器具だけでも片付けさせてください! でないと一刻も早く処置しなきゃ手遅れになってしまいます!」

「わ、わかった……」


 有無を言わせぬ口調と気迫に圧倒され、思わず了承してしまった。

 完全に掃除の修羅と化している。


「な、なるべく早く済ませてくれよ。引接寺を待たしちゃ悪いからな。俺は先に応接間に戻ってるぞ」


 俺は彼女の近くにいるのが怖くなり、逃げるようにしてキッチンを離れた。


「ああそうそう、料理のリクエストがあれば仰ってくださいね。先生の好物をいっぱい作りたいので」

「あ、ああ」

「むにゃ……なら私はホットケーキが食べたいですぅ……」


 足元の瑠衣が寝言を言う。

 本当は起きてるんじゃないのか?




「あれ、由芽姉はどうしたのよ?」


 脚を引き摺りながら戻ると、引接寺が不審そうに訊ねてきたので、俺は経緯を説明した。


「あー……だったらしばらくは戻って来ないわね。一度始めると自分の気が済むまでとことんやっちゃうタイプだから」


 引接寺は色々と察した様子で天を見上げた。


「実の姉にこういうこと言うのはなんだけど、由芽姉の潔癖症はマジで地獄よ。一時間以上かけて掃除機をかけるのはまだ序の口。問題はその後に使い終わった掃除機についたホコリを小型掃除機で吸って、さらにはその小型掃除機を雑巾で綺麗に拭いて、今度はその雑巾を手洗いで洗濯して、極めつけは洗濯に使った洗剤の容器まで洗いだす始末なのよ! ホント信じられないでしょう?」

「ま、マジか……」

「嘘だと思うんなら掃除の日に確かめてみなさいよ。アタシや瑠衣もよく付き合わされるけど、拷問される人の気持ちがよーくわかるから」

「ひぇ……」


 一番まともだと思われた長女にそんな一面があったなんて……。

 抱きつき癖のある三女も十分変だが、もしかしたら長女が一番の変人かもしれない。

 派手な格好をした次女が一番の常識人とは、人は見かけに寄らないな。

 三姉妹の母が、なぜ娘達だけで生活させるのが心配だったのかも納得がいく。


「ホント、家族でまともなのはアタシだけよ。お母さんだってそう。独断専行が好きで大事なことでも秘密にしたがる性格。おかげで娘のアタシ達はいつも振り回されっぱなし。挙句の果てには、よりにもよって担任の家で一緒に暮らすハメになるなんて……。なのに皆はまるでアタシのほうがおかしいみたいに言うんだから、嫌になっちゃうわよ……」


 自虐的な目で俯く引接寺。

 その寂しげな表情から、家庭内で彼女がどれほど孤独感を味わってきたのか、容易に察しがついた。

 引接寺の母親とは一度だけ会ったことがある。まさか俺の母と知り合いだったとは思わなかったが。

 互いの親がどういう意図で俺達を引き合わせたのかは知らないが、本人の意思を無視している時点で、どうせろくな理由じゃない。


「引接寺はなにもおかしくはないさ。いきなり親戚でもない男と暮らせなんて言われたら誰だって嫌に決まってる。お前が怒るのも無理はないと思うよ」


 実際、母から話を聞かされた時は俺も同じ気持ちだった。

 だから俺はどちらかというと、引接寺の言い分に共感している。


「俺に対してあれだけキツくあたったのも、自分だけじゃなくて姉と妹を守ろうとしたからなんだろう? 学校でもお前は、他人のことをちゃんと気遣える優しい奴だもんな」

「――ッ!? な、なによ……アタシのことを理解してるみたいな言い方して……ゴマすりでもしようっての?」


 引接寺は照れたように頬を紅潮させて、指をモジモジと動かす素振りを見せる。


「いや、ただ引接寺は正しいって言ってるだけだよ。昨日言っただろう。『どんなことがあっても生徒の味方になるのが教師の務めだ』って。あれは決して嘘じゃない」

「フ、フンッ! 別にアンタにどう思われようと全然嬉しくないんだからっ!」


 言葉とは裏腹に、「引接寺は正しい」と言われた瞬間、微かに表情が緩んだのを見逃さなかった。


「そ、それに、アタシが嫌なのはそれだけじゃなくて、もし一緒に暮らしてるのがバレたら学校の皆になに言われるかわかったもんじゃないでしょ。しかも家にいる時は部屋着やパジャマ姿だって見られるし、すっぴんまで見られちゃうのよ! そんなの……は、恥ずかしいじゃない……」

「確かにそれもそうだよな」


 引接寺の立場になって考えてみたら、年頃の女子高生には気まず過ぎるシチュエーションだ。


「あっ、でも別にすっぴんに自信がないって言ってるわけじゃないのよ。友達からはむしろそっちのほうが綺麗って言われるくらいだし。さっきから疑わしげな目をしてるけど、アンタだって実際に見ればきっとそう思うはずよ」

「なんかまるで逆に見て欲しそうな言い方だな」

「はあっ!? ななな、なに言ってんのよアンタ! そ、そんなワケないでしょう!」


 引接寺はあたふたと否定する。


「いや、ただなんとなくそんなふうに聞こえただけだよ」

「あぁもう! だったら勝手にそう思っていればいいじゃない! ええそうです、アタシはあなたに見て欲しくて仕方がない女なんですぅ! うっふぅん……もっとアタシのこといっぱい見てぇーん♪」

「…………」

「……ちょっと! いやらしい目で見ないでよ!」

「どっちやねん……?」


 いきなりヤケクソになったのか、引接寺が身体をくねらせて、煽情的な眼差しでウインクしてくるから、呆気にとられていただけなのに怒られた。

 途中で恥ずかしくなったんだろうな。


「むにゃ……私のセクシーな姿も見てくらさぁい……」


 足元でまたも瑠衣が寝言を言った。今の状態のどこがセクシーなんだ。

 それはともかく、話が脇道に逸れたが問題はまだ解決していない。

 恐らく俺が男である限り、彼女の懸念が払拭されることはないだろう。

 もし俺が性的不能か同性愛者だったら、あるいは恋人がいれば、少しは安心するかもしれないが、残念ながら俺はそのどれにも当てはまらない。


 ん? 待てよ……恋人?


 俺の中で、突然ある考えが閃いた。

 だがこんな咄嗟に思いついた作戦が通用するだろうか?

 ただでさえ同居人であることを打ち明けなかったせいで、あれだけ怒りを買ったのだから、もしバレたらどうなることやら……。

 下手をすれば諸刃の剣になりかねない。

 しかし引接寺の不安を和らげる為には、噓も方便だ。


「なあ引接寺、こんなこと言って気休めになるかはわからないけど、実は俺にはお前達に手を出そうと思っても出せない理由があるんだよ。今の俺には付き合ってる人がいるからな」

「本当にぃ? 誰よ相手は?」

「えっと……学校の皆には内緒にしてるけど、同じ体育教師のか、片桐先生……」


 果たしてこの作戦が吉と出るか凶と出るか……。

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冴えない高校教師がJK三姉妹と一緒に暮らすようになったワケ。生徒との恋愛はNGなのに、なぜだか彼女達からのアプローチが止まらない。 末比呂津 @suehiro

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