じゃあ160円分の『好き』ですね
「「あ」」
顔を合わせた瞬間、俺と引接寺芽瑠の声が重なった。
JK三姉妹がやって来る当日の朝。
やっぱりというかなんというか、引っ越しトラックと共に現れたのは、昨日予想した通り、俺の教え子だった。
家の前で待っている間、そうでないことを痛切に願っていたのだが、残念ながら想いは届かなかったようだ。
さらに驚いたことに、他の二人の姉妹も、つい昨日会ったばかりの人物だった。
「あら、アナタは先日の……」
図書室で会った女子も、俺に気づく。
廊下でぶつかった女子は、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしている。
そして肝心の引接寺芽瑠は、最初の内は状況が飲み込めない様子だったが、やがて見る見るうちに顔を強張らせて――
「さようなら」
背を向けて一目散に走り去ろうとした。
「「待ちなさい」」
しかし両脇の姉妹二人にすかさず取り押さえられる。
「へえ、じゃあアナタが芽瑠ちゃんの担任の先生なんですかぁ」
とりあえず立ち話もアレなので、中に入ろうということになり、暴れる引接寺芽瑠を無理矢理応接間まで引っ張って来た。
来る途中、彼女はずっと「離しなさいよこのっ! 私を騙したわねこの変態教師ー!」と叫んでいた。
「いつも芽瑠ちゃんがお世話になっております。私は彼女の姉で引接寺由芽と申します。昨日、図書室でお会いしましたよね? これからは妹共々、こちらでご厄介になりますので、何卒宜しくお願い致します」
「いえいえ、こちらこそ」
由芽と名乗る少女は、俺が淹れた紅茶のカップを置いて、礼儀正しく頭を下げた。
「で、こちらが三女の瑠衣です」
「ああ知ってる。君とも昨日会ったんだよな。学校の廊下でぶつかって」
「……えーっと……誰でしたっけ?」
「は?」
瑠衣と呼ばれた少女は、なんのことやらわからないと言った様子で首を傾げる。
「いやいや待ってくれよ。二度もぶつかったろう? しかもそのお詫びにチョココロネあげたじゃないか」
「あぁー! あの時の……って、すいません、やっぱり覚えてないです」
なんだ今のフェイント……。
と、そこへ長女がさりげなくフォローを入れる。
「ああ、あれアナタだったんですか。ホラ、瑠衣ちゃん昨日話してたでしょう? すっごく親切な人と会ったって」
「んー言われてみればそんなことがあったような……
ずいぶん食べ盛りなんだな。
「すみませんちょっと忘れっぽい子なんです。さて、これで私と瑠衣ちゃんの自己紹介は済みましたね。あとは――芽瑠ちゃんはもう知ってますよね。担任なんだし」
「あ、ああ……」
長女の視線がゆっくりと隣の椅子に座る人物に移動する。
正直、今は彼女について触れたくない。表情から俺に対する敵意がありありと滲み出ていて、今にも嚙みつきそうな勢いだ。
「ねえ芽瑠ちゃん。先生のこと紹介してよ」
「女子高生を騙していやらしいことする変態教師よ」
「ちょ、デタラメなこと言うなよ」
「だってそうじゃない!」
引接寺は声を荒げる。
「昨日アタシと話した時点でこうなることは知ってたんでしょう? それなのに、なにも教えてくれなかったってことは、自宅でアタシ達に変なことするのが目的だったからじゃないの!?」
「違う。頼むから俺の話を聞いてくれ」
「言い訳なんか聞きたくない! あんなに優しい言葉をかけてくれたのに、騙すなんて酷いっ!」
……なんだか恋人同士の口喧嘩みたいな会話だな。「信じていたのに裏切ったわね。もう終わりよ私達……」「待ってくれ。そんなつもりじゃなかったんだ!」みたいな感じ。
だが彼女は大真面目だ。あの時、言わなかったせいで、彼女は相当傷ついている。
目に涙を溜めてこちらを睨みつけているのがその証拠だ。
「教えなかったのは本当に悪かったよ。あの時はまだ俺も、無暗に人に言える立場じゃなかったんだ」
「嘘よ! もうすでにアタシを騙しているクセに、アンタの言うことなんか信用出来ない! どうせ由芽姉達と会ったのも偶然じゃなくて、信用させて取り入ろうって魂胆だったんでしょう!」
「だから違うって」
「まあまあ芽瑠ちゃん落ち着いて」
取り乱す引接寺を、長女が優しく諭す。
「由芽姉、やっぱり私の言った通りだったでしょ。こんな家さっさと出よう」
「どうしてよ。優しそうな先生じゃない。それに昨日の話を忘れたの? ちゃんと確証を得るまでは逃げないって」
「あのー……昨日の話って?」
俺の質問に答えたのは三女だった。
「えーと、かいつまんで説明しますと、昨日、芽瑠お姉ちゃんが男の人と暮らすのは嫌だと言い始めて、だったら代わりにチンチンを見せてもらおうって話になったんです」
「は?」
「違うでしょうが!」
引接寺が顔を真っ赤にして叫ぶ。
長女が説明してくれたところによると、昨日、同居人が自分たちに言い寄ろうとしたらどうするか、という話で散々揉めたらしい。
「なるほどな。……なあ、引接寺」
「「はい?」」
「なによ?」
三姉妹が同時に返事した。
「あいや、次女のことを呼んだんだが、ややこしいな……どうしようか」
「私のことは由芽って呼んでください。これから一緒に過ごすんだし、そのほうが呼びやすいでしょう」
「じゃあ私も瑠衣でいいです」
由芽と瑠衣が即答すると、残る次女に視線が集まる。
「アタシは嫌よ。こんな奴に名前で呼ばれるなんて」
引接寺芽瑠はきっぱりと断言した。
「んじゃ引接寺、お前の心配はもっともだが、俺は絶対に君らには危害を加えないと誓うよ。実を言うと俺だってこの状況は不本意なものなんだ。下手したら教師をクビになるかもしれないんだからな。でも君らのお母さんとの約束もあるし、一度だけ俺にチャンスをくれないか? 俺もお前に信用されるよう出来る限り努力はするから」
「だったらやれることは一つしかないわね」
「なんだ?」
「新しい就職先を探すこと。アタシが学校にバラしてクビになるから」
「いきなりノーチャンスかい」
引接寺の発言に、由芽が「芽瑠ちゃん……」と肘で脇腹を突いてたしなめる。
「そんな深刻に考えないでくれよ。男と言っても俺達は歳が離れているんだし。俺のことは父親みたいに思ってくれれば……ってさすがにそれは無理か……」
「私はいけますよ、それで」
横から瑠衣の援護が入る。
今更だが姉妹の名前が
「チョココロネをくれた恩もありますし、コロネをくれる人に悪い人はいませんから」
その理屈には異議があるが、味方になってくれるのは素直に喜ばしい。
「ほ、本当か?」
「はい、ねえパパ、私いい子にするからお尻ペンペンはしないでね?」
「……いや、やっぱやめよう。知らない人が聞いたら誤解されるかもしれん」
これにはさすがの由芽も苦笑いを見せ、引接寺に至っては凍り付いた視線をこちらに送ってくる。
「でも私は先生のこと割と好きですよ。一緒に住んでも全然平気です」
「そう言ってくれるとありがたいな」
「ちなみにあのコロネはいくらしたんですか?」
「ん、160円だけど」
「じゃあ160円分の『好き』ですね」
「なんか急にありがたみが半減したような……」
値段がつくと途端に安っぽく感じるのは気のせいかな。
「ちょっと瑠衣、本気なの?」
引接寺が信じられないといった様子で訊く。
「コロネを一つ貰っただけで好きになるとか、どんだけチョロいのよアンタ。この調子なら百個くらいプレゼントされたら結婚しちゃうんじゃないの?」
「それもいいですねっ!」
「あのねえ……」
「んふふぅ……普通の人ならそうはならないんですが、なぜだか先生だと安心出来るんですよねぇ。先生と私はもうマブダチなのですっ」
瑠衣は人懐っこい笑顔を浮かべて、肩と肩が触れ合う距離までこちらにすり寄ってくる。
まるで飼い主にじゃれつく猫のようだ。俺を信用しているのも、動物の勘だったりして。
「はあ……C‐3P○とR2‐○2のコンビが誕生してしまった……」
引接寺が忌々しげに頭を抱える。
「ねえ芽瑠ちゃん。さっきから先生のこと悪く言ってるけど、そこまで言うなら今までに一度でも先生に変なことをされたことがあるの?」
「え……そ、それは……」
口ごもる引接寺。
そりゃそうだ。担任とはいえ、今までほとんど接点はなかったのだから。
「ないんでしょう? 印象だけでその人の全てを決めつけるのはよくないわ。私も経験があるから言うのよ。あれは小学5年生の梅雨の日だったかしら。お昼ご飯にゆで卵を食べていた時のことよ。いつもは赤卵を使うんだけど、買い物に行った時は売り切れてて白卵にしたのよね。どうして赤卵のほうがいいのかと言うと、私の好きな色が赤だから。それで当時の同級生に松田さんっていう女友達がいて、その子が芽瑠ちゃんとあまり仲がよくなかったんだけど――」
「あ、あのー……もしもし? その話いつまで続きますかね?」
「ふぇ……はっ!? す、すみません! つい喋り過ぎちゃって……」
ふいに我に返り、由芽は慌てて頭を下げる。
唐突に長々と語り始めるから面食らってしまった。一度、熱が入ると止まらないタイプなのか。
「くかぁー……」
「ウン?」
気づくといつの間にか瑠衣が、静かな寝息をたてて眠っていた。
「あーあ、また由芽姉の長話のせいで瑠衣が寝ちゃった」
呆れ顔で引接寺がぼやく。校長の長演説で眠くなるのと同じタイプなのかな。
「オイオイこんなところで寝ると風邪ひくぞ」
仕方なく俺は、眠っている瑠衣の肩を揺さぶって起こそうとするが――
「あ」
「今、近づいたら……」
何故か引接寺と由芽が同時に声をあげる。
「え? 何――」
と、言い終わらぬうちにその理由が判明した。
ガシッ。
「うわっ。な、なんだ?」
突然、眠っている筈の瑠衣が、両手両足を俺の胴体に回してしがみついてきた。
咄嗟に引き剥がそうとするが、小さな身体では考えられないくらい強い力で纏わりつかれて離れない。
「あちゃー遅かったか……瑠衣は眠っている時に近づくと、誰彼かまわず抱きつく癖があるのよ」
「しかもこの子、他の人が揺すったり叩いたりしても全然起きないんです。自分から起きるのを待つしかないですね」
引接寺と由芽が口々に説明する。
「そ、そんな……」
つまり自分から起きるまでは、この大きな抱きつき人形を身に着けなきゃいけないのか。
……まさに重荷を背負い込まされた気分だ。
「むにゃむにゃ……先生と私はマブダチなのですぅ……」
可愛い寝言を言う機能が付いた重荷か……。
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